ふるふる図書館


095



 気配で目がさめた。
 夕暮れのやわらかい光が、あたりを照らしている。
 視線の先に立っていたのはハルだった。
 うずたかいごみの山に囲まれて横たわる私に、ぎくりとしたように目をみはる。なるほど傍からは死体に見えそうだ。私が身じろぎすると、ハルの緊張が少し解けたようだった。
「そんなところで何しているの」
 私が考えたまさに同じことを、ハルが静かに口にした。
「きみこそ。きみが来るようなところじゃないだろう」
 以前にもハルにそう言ったことがあると思い出す。幻にしか感じないほどはるかに遠い、子供だった日に。ハルはおぼえているだろうか。
「家を出て、ここで寝泊りするつもり?」
 ハルが近づいて私を見下ろす。私は手足を広げた標本の昆虫だ。注がれるまなざしは、私の体を貫き、床に縫いつける鋭いピンだ。ハルの口調も平坦で起伏がなく、下手な棒読みをしているみたいだった。
「私にはふさわしいんだ。そういう人間だから」
「帰らないの? お母さんみたいな生きかたを選ぶ?」
「そうだね。でも安心していいよ、私はやまんばとちがって、きみに金の無心はしない」
「僕とのつながりはすべて断ち切りたい? ずいぶんなあてこすりだと思わない? ここに住むなんて」
「やまんばもそうしてた」
「お母さんのようになることを拒んでいたくせに」
「前にも言ったろう。逃げられやしないんだ。どうあがいても。そういうふうに育ったし、そういうふうに育てられたんだ。男をとっかえひっかえ連れこんでは、その代償に生活の面倒を見てもらって」
「同じ道を歩むわけだ、きみも。ここでそんなふうに寝ているなんて、誰でもいいから私を好きにしてくださいと言っているに等しいものね。
 自力では何ひとつできない、ただ行きずりの人間に愛玩されるためだけに生まれて、夜店でものみたいに並べられて売られているひよこみたいだね。お金で買われる商品」
 ハルがかがみこみ、髪をつかんだ。ハルが私に触れるのは、ずいぶんひさしぶりだとぼんやり考えた。
「僕はね、きみなんか殺してやりたいよ。どういう神経で、どういう了見で、僕にそんなこと言えるんだろう。きみが憎たらしくてたまらない。大嫌いだ。この世でいちばん嫌いだよ。どうすればこの心が収まるのか教えてもらいたいくらい」
「そう」
 私は力なくまぶたを閉じた。
「だったら、私を殺して。手荒く扱えばいい。気がすむまで汚して壊してくれてかまわない。ううん、そうしてほしいんだ」
 ハルの声がかすれた。
「またそんなことを。どうしてそう残酷にふるまえるのか、わからないよ、ほんとうにわからない。
 なぜきみを友だちだなんて思っていたんだろう。嘘つきで、冷たくて、誰にも心をひらこうともしない、他人の気持ちを全然理解しようともしない、最低な人間なのに。
 きみよりもきれいで、きみよりもひどいひとでなし、ほかに見たことがない」
 相変わらず無感情な口ぶりと裏腹に、ハルの手に容赦のない力がこもる。毛髪が何本も抜ける音がした。つむっている目から涙があふれた。痛いせいだ。でもどこが? 何が痛いんだろう?
「泣いたってむだだよ。きみはいつかも、僕に殺されたがっていたよね。僕といかがわしいことをしたいとも言ったね。
 望みをかなえてあげる。むごいことをしてあげるよ。発言を後悔するくらいにね。文句はつけられないよね、自分で願ったんだもの。
 きみにとって僕はその程度の人間なんだよね」
 ハルとこの場所でだなんて、不思議な気持ちだった。ハルには似合わないのに。

20060704, 20141006
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