ふるふる図書館


094



 私は、どこに行けばいいんだろう。
 養父の財は焼失した。養父は焼死した。過失なのかそうでないのか、原因は不明なまま。
 養父の親族の家に仮住まいしているが、私を引き取る手筈になっているのだろうか。誰ひとり知らないひとたちなのに。
 養父には保険金がかけられていたから、養父が経営していた会社の人間はそれで当面の生活をまかなうことができるようだった。
 私にも、遺産を相続する権利があるらしかった。
 しかし、養育費や学費等で借りていた額をさしひけば、私が受け取る分などないだろう。金を返すべき相手はもう、いないけれど。
 そこまで考えてようやく気づいた。私は借金返済の義務というくびきから逃れ、自由の身になったということに。
 これはよろこぶことなんだろうか。うれしいことなんだろうか。
 財なんていらない、居場所だけがほしい。
 私は、どこに行けばいいんだろう。
 はるか深い胸の奥からぼんやりと浮かび上がったのは、やまんばと暮らしていた、あの貧しくみすぼらしいあばら家だった。
 私の居どころは、もうあそこしかないのだ。
 やぶの中に人知れず住みつき、私もきっとやまんばになっていくのだ。ひとを喰らって糧にして生きるのだ。
 私にはそれがふさわしい。やまんばの子供なのだから。

 小暗い雑木林の中の一本道を行く。
 一年もたっていないのに、ずいぶん古い記憶をたどっている気がした。
 はるか昔に見たことのあるキネオラマの映像を、もう一度銀幕でなぞっているみたいだった。現実感にとぼしい、うすっぺらい、にせものじみた風景。
 かつての住居に着き、その状態に一瞬自失した。
 ガラスが一枚残らず破られた窓から、たやすく窺い知れる室内。なけなしの家財道具はひっくり返され、廃棄物が散乱し、誰かが淫らな行いに使ったとおぼしき痕跡がありありと残されている。
 空き家だと思われて、不特定多数の人間に荒らされるがままになっていたのだろう。混沌としたるつぼ、完全な廃墟と化していた。
 二十年ほど起居しておきながら、懐かしさや感傷などといった気分など、微塵もわいてこない。
 それが私らしく、またこの家らしく思え、少しおかしかった。
 枠しか残っていない玄関のドアからやすやすと入れるようになっていた。靴のまま上がった。
 スイッチを押しても、当然電灯はつかない。
 こんな物騒な場所でひとりで一晩すごすなど、尋常な人間はできないだろう。まだ日は高いのに、うらさびしさが鬱々とあたりを覆っている。
 だが、何を恐れることがあるだろう。物取りが来たからとて、何も取られるものなどない。暴漢に襲われたからとて、今さら守らないといけないものなんてない。体なんてどうだっていい。命だってどうでもいい。失うものがなければ、おびえる必要もない。
 自分には恐れなどないと、子供のころしきりに言い聞かせていた。まるで口癖。本心では、私を喰い散らかすやまんばやおとなたちにびくびくしていたくせに。
 もうやまんばはいない。おとなたちは、逆に私が喰らってやればいい。だからもう、おびやかされたりしない。
 そういえば、私は自分もやまんばになることをも怖がっていたのだ。おかしな話。なってしまえば、恐怖から逃れることができるのに。
 どんなに拒んでも、いやがっても、あらがっても、どうせ私は餌食にされる。ふるえてうつむき膝をかかえて縮こまりながら生きているよりは、自分から相手を喰いものにしたほうがよほど耐えられるし救われる。
 散らかり放題のいかがわしい小道具や汚れた残滓を足でわきによけ、ひとりぶんの空間を作り、座る。
 なんだか、疲れた。何もかも。
 頭の中を、ぐるぐるとさまざまな場面がとめどなくあふれて回った。
 仰向けになり、四肢を床に投げ出した。そのままたちまち眠気につつまれた。

20060704, 20141006
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