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ハルの母親が亡くなった。睡眠薬を大量に飲んだためだという。異変に気づいた使用人が発見したときには、寝室で冷たくなっていたという。
報せを受けて、おれも葬儀に参列した。
憔悴したハルの顔は色も表情もなくして、喪服の黒が痛ましいほど映えていた。
「僕のせいなんだ。最後に別れたあの日、追いかけていればよかった。ちゃんと気持ちを伝えていれば、母は死なずにすんだ」
精神の安定を崩し、薬を常用していたそうだ。自殺なのか事故なのかわからない。しかし、母は死んでもいい、もう目ざめなくてもいいと思っていたにちがいなく、その原因を作ったのは自分だ。
電話をもらって、おれがハルのアパートに駆けつけたとき、ハルは魂の抜けた調子でそう語った。
「ハルちゃんのお母さんは、ぼくを憎んでた。ぼくがハルちゃんを取り上げるって。ぼくがいるから、ハルちゃんはお母さんのもとに帰って来ないんだって。
そのとおりだもの。だから、ぼくが悪いんだ」
アキもまた、沈んだ口ぶりにふさわしい態度だった。
ふたりの断片的な話から、何が起こったのかをおれは推測した。通り一遍でありきたりな慰めなど、口にできなかった。
どうして、こんなに無力なんだろう、おれは。それに、ハルも、アキも。
おれたちは、強さを手に入れなくては。誰にもおびやかされず、誰も傷つけられないために。
冬空はよく晴れていた。故人の体を焼いた煙が、斎場の煙突から立ち昇り、吸いこまれていく。見上げると、澄んだ深い瑠璃色が目にしみた。
おれも、美しいものも醜いものも、何もかもを抱いてつつみこんでしまえる、あの瑠璃色の空のようでいたい。
世間のひとは、きっとこの気持ちを「母性」と勝手に呼ぶだろう。おれはハルやアキのお母さんにはならない。なろうと思わない。誰かを、何かを犠牲にしなくてはなりたたないものが「愛」なら、おれはそんなものいらない。母親にも姉にも恋人にも夫婦にもならない、ただ、ふたりの友だちでいたい。
いや、葬儀の最中に死者の冥福を祈ることもなく、ハルとアキのことを考えているおれは性根が腐っているのかもしれない。
「傲慢だな」
ぽつりともれたつぶやきも、はるか高い天空に消えていった。