ふるふる図書館


047



 私の目の前には、またあの子がいた。
 いつか出会ったことがある。
「いつまで、私をこうしておくつもりだ」
 たずねると、子供はにっこり笑った。
「ぼくは、もっともっと長いことあなたに閉じこめられていたんだよ」
 邪気のない瞳で、私の顔をのぞきこんでくる。
「ねえ、うれしかったでしょ。ハルちゃんに抱っこしてもらえて」
 私は目を伏せた。そのとおりだったからだ。
 こんなに汚れて、醜くて、あさましい私の体を抱きしめてくれるなんて。あのハルが。思い出しただけで、気が遠くなりそうな心持になる。
「ナッちゃんも、あなたの頭をいつもなでてくれるでしょ。可愛がってくれるでしょ。でも、それはぼくだからだよ。あなたじゃないよ」
 私じゃない。そのことばは胸をえぐった。
「もしあなただったら、抱っこも、いい子いい子もしてもらえないもの。ね、そうでしょう。
 だから、あなたは眠っていてくれないと」
「でも、これ以上ハルにもナツにも迷惑はかけられない。かけたくない」
 ハルは、私のことでひどく心を痛め、悩み、苦しんでいる。漠然と、そんな印象を持った。きっと私が、みっともなく甘えたり泣いたり頼ったりおもねったりねだったりしてばかりいるからにちがいない。
「だめだよ」
 いともあっさりと子供は却下した。
「もしアキがあなたになったら、またあなた、逃げるでしょ。ハルちゃんとナッちゃんから。いなくならないって、さっき約束したばかりだもん。ハルちゃんと。
 あなたは恐れてる。ハルちゃんとナッちゃんに見捨てられるのを怖がってる。でも、ぼくならそんなことにはならない。逃げる必要ないんだよ。
 まだ、アキはぼくのままでいくよ。なんにも困ることないよ、ぼくはあなたなんだから」
「ちがう」
 私は首をふる。
 こんなに計算高くて、小ずるくて、与えられるものに貪欲な子供が、私であるはずなどない。
「前にも言ったじゃない。ぼくのことを知らんぷりするから、あなたはだめになったんだ。だけど、もう、あなたは疲れたんでしょ。ぼくを隠しつづけることに倦んだんだよね。だから休んでいていいのに」
 私が奥深く秘めた欲望。封印した願望。それがこの子の正体なのだと私は悟った。
 無垢の皮をかぶった媚。清浄をよそおった醜悪。
 吐き気がした。どんなにえずいたところで、空洞な自分から何も出てこないことも知っているのに。
 むしろやさしく相手は言う。噛んで含めるように、諭すように。私の方が頑是ない子供なのだというように。
「あなたがどう思おうと、ぼくたちは同じひとりの人間なんだよ。DNAの二重螺旋みたいに切り離すことができないんだ。ぼくがあなたに巻きついているのじゃなくて、あなたもぼくに巻きついているんだ。お互いが、あざなわれた縄みたいにからみついている。
 ぼくはあなたを苦しめてるかもしれないけれども、あなただってそう。
 たしかに、あなたが自分の中のいらない部分を切り離したから、ぼくが生まれた。ぼくを生んだのはあなただよ。でもぼくはいつまでたっても、あなたの一部なんだ」

「ちがう。知らないそんなの」
「どうしたの、アッちゃん」
 ハルちゃんがかたわらに飛んできた。
 ぼくはぼんやりと視線をめぐらせた。
 ハルちゃんとお散歩して帰ってきて、そのあと疲れて眠ってしまったのだっけ。
 ぼくが横たわっていたのはハルちゃんのベッドで、ハルちゃんの匂いがした。
「悪い夢でも見た? くたびれてたみたいだったから。ごめんね、僕があちこち連れまわしたからだね」
 やさしく頭をなでてくれた。その手にぼくはしがみついた。胸が痛くて、のどがつまって、何も言えない。どんな夢を見ていたのか、もう思い出せないのに。
「いやな夢は、忘れていいんだよ」
 大事なことだった気がする。なくしちゃいけないものだった気がする。だけどぼくは、ハルちゃんのことばにすがった。
 もしかしたらずるい逃げ道を選んだのかもしれないけど、落ち着かなくて心配で、ただただハルちゃんのもとにのがれたかったんだ。

20060513, 20141006
PREV
NEXT
INDEX

↑ PAGE TOP