046
ひとりで戻ってきたナツは、僕とアキの間に流れるぎこちない微妙な空気を察したらしい。
「やっぱり人違いだったよ。アッちゃんに変なこというやつは、この無敵のチナツさまがとっちめてやるからね」
朗らかに宣言して、アキの口もとをほころばせた。
アキをかたい表情にさせてしまっていたのは、ほかならぬ僕だ。
彼がアキの体を自由にした相手だと、すぐにわかった。
それと気づいた瞬間、僕のはらわたはじりじりと熱く焦げるように痛んだ。今まで感じたことのないほど激しい怒りで、目の前が暗くなった。
アキをもてあそんだ彼にはもちろん、ほしいままにさせたアキにも腹が立ったのだ。
彼は、腕力にものいわせて、アキをどうこうするような人間ではなさそうだった。
十年以上もずっと、ナツと僕はアキのために心を砕いて、精神的な支えになりたいと願ってきた。なのに、だめだったの? 役に立ててなかったの?
そこまで考えて、僕は心底憎んだ。自分の醜さ、あさましさ、いやしさ、無力さ、おしつけがましさ、恩着せがましさ、嫉妬深さを。
アキが価値を置く人間は、僕以外はナツだけじゃないと許せないという心のせまさが情けなかった。
「ごめんなさい」
おどおどとしたアキの声で、ようやく我に返ったのだ。
アキをおびえさせたことで、さらに自己嫌悪に陥る。でもとにかく、今のアキにこんな気分をぶつけるのはまちがっていると我が身に言い聞かせることで、なんとかもちこたえた。
ナツと別れて家路をたどりながら、僕たちは黙りこんだ。
アキは、ショックがまだ尾をひいているようで、僕のことをときどき遠慮がちに見ながらも口をひらかない。
神社の入口まで来た。
「アッちゃん」
「はい」
急に僕に呼ばれて、緊張して、かしこまった返事をした。
「どこか、行きたいところはない? 寄り道して帰ろう」
そういえば、小学校からずっと同じ学校に通っていたのに、アキと寄り道して帰ったことなどほとんどなかったことに気づいた。僕は生真面目でいい子な優等生みたいに、母の言いつけを守ってまっすぐ帰宅していたのだった。
「うん」
僕の申し出に輝かせた目を、アキはすぐに伏せた。
「でもぼく、このへんに何があるのかよくわかんないから。行きたいとこ、ハルちゃんが決めて」
その顔を見ていたら、たまらなく胸がしめつけられた。
「どんなところがいい?」
「ハルちゃんと一緒だったら、どこでもいい」
僕の腕は、衝動的にアキの体をかき抱いていた。とめることができない。アキがそっとしがみついてきた。
「ぼく、さっき怖かったの。ハルちゃんが、ぼくをひとりで置いてどっか行っちゃったりするんじゃないかって。ぼくのこと捨てちゃうんじゃないかって」
「そんなことするわけない。アッちゃんこそ、黙って僕たちの前からいなくなったりしないで」
「ぼくだって、そんなことするはずないよ」
押しつけられた胸から、アキの鼓動が伝わってくる。恥ずかしいほど、破裂しそうなほど飛び跳ねている僕の心臓を、アキは感じているにちがいない。
このアキは、僕とともに十年以上もすごしたアキとはちがうのに。幼児のアキをこんなに熱愛している僕は、病にかかっているのだろうか。
アキへの気持ちは、アキがどんなことになってもさめていかない。たとえアキが幼子になっても寄り道なんかしてくれない。