ふるふる図書館


038



 約束どおり父のもとをたずねて行くと、社長室に案内された。
 ふたりで話したいことがあると言ったら、多忙な父は息子との語らいにこの場所を選んだのだった。
 そのうち、僕がこの部屋の主になるのだ、スーツを着て、まともに家ですごすこともなく、あくせく仕事に没頭するのだ、目の前にいる父のように。
 簡単な応接セットがあった。革張りのソファにかけて、僕はアキのことを切り出した。
「実の父親など探してどうする。彼を引き取らせるのか」
「わかりません、彼の人生を好転させるのに、よいきっかけがないか探しているだけです。お父さまは、お心当たりありませんか」
「心当たりね。ありすぎてひとつひとつ思い出してられんよ」
 父は口もとをゆがめるようにして短く笑った。
「あの女は、孕む前はわが家に住みこみで働いていたが、そのころから誰彼かまわずだった。おおかた、金もないつまらない男でもひっかけたんだろう。
 挙句、私を子供の父親だとでっち上げてゆすりたかりをし、わが子まで殺そうとするとは、あきれた女だ。
 彼は、あの女の血を色濃く受け継いでいるようだな」
「お父さま、彼に会ったことがおありなのですか」
 はっとして僕が問うと、父は興味もなさそうにうなずいた。
「何を言われても顔色ひとつ変えない。まったく得体の知れない魔物のような子だったな」
 僕は身を固くして、両手を握りしめた。こういうおとなが大勢いるから、アキは……。
「泣くんです」
 低く押し殺したような声がもれた。
「怖い夢を見たと言って、よくうなされて泣くんです、彼は。昔の記憶なのでしょう、おとなにも子供にも責め立てられて、いじめられて、苦しんでる。
 アキが魔物のような子だったのなら、そんな子にしたのはいったい誰なんでしょうね、お父さま」
 涙が一粒、膝に落ちた。
「おまえはやさしすぎるな、チハル。私は心配だよ」
「ご自分の後継者として、経営者としてうまくやっていけるかが、ですか?」
 僕はむしろおだやかに、父の顔を見据えた。微笑みながら嫌味を口にできる己が不思議だった。
「アキがお父さまの実子だと信じていたときは、彼がお父さまの跡を継げばいいのにと思っていました。僕とちがって、彼には才能がありますから。
 今、やはり彼のほうがふさわしいと思っています。お父さまと血のつながりがないという点では、僕も同じなのですから」
「おまえが私の子だというのは、皆が認めているではないか」
「そうですね。お父さま」
 僕に相続させたいのは、僕がお母さまの子だからでしょう? 旧華族、財閥系出身のお母さまのコネクションが大切だからでしょう? だから、お父さまは僕を息子として扱っているのでしょう?
 そこまで口に出すことはできなかった。僕は立ち上がった。
「お時間を取ってくださって、ありがとうございました」
「彼のことは、もういいのか」
「ええ。このまま僕のもとにいたほうがよさそうです。お手間を取らせて申し訳ありませんでした」
 ああ、どうして一時でも考えたりなんてしたんだろう、アキの父親を見つければいいかもしれないだなんて。
 アキに必要なのは、そんなことじゃない。
 ねえ、アキ、僕にきみを守らせてくれる?
 ずっときみに頼ってほしいと思ってた。なのに、今、どうしていいのか戸惑ってばかり。相変わらず不甲斐ないね、僕は。
 それでも、そばにいてもいい? きみの人生をもう一度探す手伝いをさせてくれる?
 きみに必要なのは僕たちだって、うぬぼれててもいい? 思いあがっていてもいい?

20060507, 20141006
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