036
「アキ、どう?」
大学に来たハルをつかまえて、おれはたずねた。
ハルは、休学届を提出しに来たところだった。アキの様子を見るために、しばらく大学を休もうというのだ。
就職先は決まってしまったのだから、別に卒業できなくてもいいけれどね、とハルは自嘲気味に笑っているが、ハルの実家の体面を考えるとそうもいかないらしい。
「相変わらずだよ」
ハルは答えた。
「今日はアキに留守番させてきたんだ。でも、連れてくるべきだったかな。大学の中に入れば、何か思い出すことがあるかもしれない」
「でも、誰かに見つかったら厄介だよ。ここに来なくてよかったんじゃないの」
「そうだね」
アキは、将来を嘱望された若者だった。変わり果てた雰囲気に、アキを知る者はおどろくだろうし、アキによけいな刺激を与えかねない。
「それより、アキ、留守番できるんだ」
「お利口にお留守番しててねって言ったら、わかったってこっくりうなずいてたよ」
想像して、おれは泣きそうな気分で吹き出した。
「なんで、そんなに可愛くなっちゃったんだろ、アキ」
「お母さんに殺されかける前はそういう子だったのかな」
「それじゃあ、アキはこのままのほうがいいのかな。そのほうがアキには幸せなのかな」
と言いかけて、おれはごめんと謝った。そんなおれに、ハルが小首をかしげる。
「アキの面倒をハルばかりにまかせっぱなしで」
「謝ることないよ。アキといるのは楽しい」
ハルは一人っ子だし、誰かに世話をされたことはあってもその逆はないはずだ。相当な負担がかかっているだろうに。
「ひとにかしずかれていることが当たり前になってはいけないのに、ずっと僕はそうして生きてきたから。
今、僕は、たぶん分不相応なことをしている。でも、そうしたいんだ。二十歳にもなって、背伸びだなんて恥ずかしいけれど」
「そんなことないよ、背伸びしないと変わらないことだってあるから」
ハルが実家を出たのも、つきつめればアキのためだったことをおれは知っている。
ハルの気持ちは強い。ハルが、そこまで他人を愛することができる人間でいることも、そんな友だちがいることも、おれはうれしく誇らしいと思う。
やきもちなんてつまらない。自分にそう言い聞かせているおれもまた、ほんとうは背伸びしているのかもしれなかった。