ふるふる図書館


032



 秋が深まりつつある夕方。自宅に、一本の電話がかかってきた。
 とびつくように受話器を取った。もしかしたら、失踪したアキなんじゃないかと思ったから。
 しかし、声の主は、僕の知らないひとだった。一瞬弛緩した僕の神経は、すぐに緊張した。
 身元不明の怪我人が発見されたというのだ。その人物の荷物に、僕とナツの住所を記したはがきがあったという。
 特徴を詳しく聞いて、アキにまちがいないと確信した。年齢、背格好、顔立ち、服装、右腕の傷跡までアキのものと一致した。
「それで、アキは無事なんですか」
 急きこんでたずねると、命に別状はないと答えが返った。
 崖から転落した様子で、頭を強く打って昏睡状態だが、じきめざめるだろうとのことだった。
 場所を確認したところ、はるかに遠い地方だった。アキが会いに行くと言っていた、親戚の家はそのあたりだったのか。
「すぐに迎えに行きます」
「失礼だけど、あなたは、身内の方ですか?」
「え、ええ……そのようなものです」
 僕は唇をかんだ。弟だときっぱり言えればいいのに。
 大切な友だち。
 本人には迷惑かもしれないけど、血のつながりもないけど、大事な弟。

 ナツと連絡を取り、翌朝早く、取るものもとりあえずふたりでその地に向かった。
 到着したのは、正午を回るころだった。
 小さな病院の廊下はしんとしていて、僕はざわざわと胸が騒いだ。
 病院なんて、夜中でもないかぎり、静寂とは無縁だ。入院とはいえ、多くの他人が密着して生活している空間だ。プライバシーもプライベートもない。そんな場所のはずなのに。
 山奥の小さな町にある病院は、こういう雰囲気なんだろうか。
 それに、ひとつの疑問が、とげのように鋭いしこりになって胸を刺していた。
 ナツと僕の連絡先が持ちものにあったというけど、それでは、親戚の家の住所のメモはなかったのだろうか?
 いったい何が起こったのだろう?
 ナツが、力づけるように僕の背中をかるく叩いた。つい憂い顔をしていたようだ。
 いけない。アキは生きてて、ちゃんとここにいるんだ。心配いらないんだ。僕はナツに微笑みを返した。
 面会が許されて、ナツと僕はアキの部屋に入った。
 ベッドに横たわっていたのは、頭に包帯を巻かれ、頬にもガーゼを貼られたアキ。まぎれもなく、本物のアキだ。
「心配したんだよ、アキ」
 僕は安堵のあまり、声がかすれた。ナツもほっとしたように笑った。
「いきなりいなくなるから、びっくりしたよ。もう会えないんじゃないかって不安になっちゃった。アキの帰りを待ってたんだよ」
 アキは今まで眠っていたのか、焦点の合わない瞳で、僕とナツを等分に見つめた。
 それから、おもむろに口をひらいた。
「だあれ?」
「え?」
「お兄ちゃんと、お姉ちゃん、だあれ?」
 僕の体を、ひたひたと、静かな冷たさが押し包んだ。
 唐突に、世界が遠のき、何も聞こえなくなった。

20060426, 20141006
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