030
右腕に走る、醜いひきつれ。それは咎の烙印だ。
雪がちらちらと降り出していた。初雪ということだった。
私は荷物らしい荷物もない身軽な格好で、山間の小さな村を訪れた。すれ違うひとは少なかったが、よその人間だとすぐにわかるのだろう、例外なく不思議そうな視線を私に向ける。
長袖の季節だったことが幸いだった。あまり人目を集めたくない。
ぽつりぽつりと点在する家から、目的の場所をたずねあてた。古めかしい、広い木造の住まいだ。奇妙な、味噌の匂いがする。
「ごめんください」
私は呼ばわった。
出てきたのは女のひとだった。こちらを見てはっとする。背格好や雰囲気から、やまんばの血縁なのにまちがいなかった。私がはじめて出会う親戚だ。
訛りの強い調子で私を誰何するのへ、やまんばの名前を出し、息子だと告げた。
相手はくたびれきった嘆息をもらし、何の用かと重ねてたずねた。
「母が亡くなったので、お報せにあがりました」
女のひとは、やまんばの妹だそうだ。
家に上げ、茶を出してくれた。
私は、小さな瓶に入れた遺灰と、薄紙につつんだ遺髪をさしだした。
叔母は受け取りをかたくなに拒んだ。
初対面の甥を疎んじている。ひしひしと伝わってきた。歓迎されないとは、もとより予想していたことだ。
やまんばと叔母にはおさななじみがいたという。
三人は実に仲睦まじかった。しかし、叔母ともうひとりが恋仲になってしまってから、三人の関係は崩壊しはじめた。
叔母が山の中で見たものは、血まみれでこときれた恋人と、返り血を浴びた姉。
何が起こったのかはわからない。
しかし姉は、妹に幼なじみを取られるのを厭うていた。妹が憎いわけではない、嫉妬していたわけでもない、三人でいられなくなるのが耐えられなかったのだ。
誰かを想う姉の心は、誰かを不幸に追いやるものでしかない。姉の血など絶えてしまえばよかった。子を産んで、こうしてわたしの前に遣わして、まだわたしを苦しめるつもりなのか。
かろうじて私が聞き取れる方言で、叔母はそう語った。
心中して死ぬなんて姉らしい、とも。
おまえは姉に愛されていなかったのだ、だから今日まで生きてこられたのだ、とも。
私はふらりと立ち上がった。
「もう、行きます」
叔母はひきとめようともしなかった。
私は、やまんばだ。知らず知らずのうちに、同じ道を選んでいる。
ハルとナツが私をないがしろにしたら、きっと私は絶望する。きっと罪を犯すだろう。
いや、生まれたことがすでに罪。右腕に刻まれたのがその証。
やまんばから逃れるためにここまで来たのに、逆にとらわれてしまった。皮肉にも。
ハルとナツに、離別のはがきをしたためた。鞄からメモを取り出して、ふたりの宛先を明記した。
もう二度と会わないだろうと、やまんばの親族の住所が書かれた紙を破り捨てた。
私は山に入った。遺灰と遺髪を納める適当な場所を探すために。
スニーカーを履いた、山歩きに不慣れな私の足は、うまく道をたどることができない。
雪はやまない。これからどうするの、ほんとうにそれでいいの、と問いつめるようにひとひらずつが私めがけて絶え間なく吹きつける。
めまいがするような光景だった。
体が平衡感覚を失った。よろけて、飲みこまれた。
底知れない深みへと。