019
校内放送で、ハルが職員室に呼び出された。
放課のあと間もないころだったから、私とナツはハルの鞄を持って廊下で待った。
職員室から出てきたハルは、うかない顔をしていた。
「家から電話があったんだ。祖母が倒れたんだそうだ。もう高齢だから覚悟はしていたけれどもね。
学校まで車で迎えに来るって言われた。僕はそのまま病院に行くから、ふたりとも、先に帰っていいよ」
先に帰っていい、というより、先に帰ってほしいのだろうと私は思った。ハルは、家人を私になるべく会わせないように気を遣っている。こんなときでさえも。
ハルのそばにいたくても、ハルによけいな重荷を背負わせたくない。
ナツも察したようだった。
「わかった。帰るけど、おれたちにできることがあったら、何でも言ってね」
あえて付き添うとは言わなかった。ここで、ナツひとりがハルにつきあって迎えを待つのも私に悪いと思ったのだろう。
三人で昇降口を抜けて、校門までの道を進んだ。
エンジン音が聞こえた。
「もう着いたみたい。それじゃまたね」
ハルは急いで駆けていった。
遠目に、門に横づけされた黒塗りのセダンが見えた。ドアがひらかれ、車内にハルの背中が吸いこまれた。
私は瞬間、息をのんだ。車は走り去っていく。
「ねえナツ、ハルのほかに後部座席に誰か乗ってた?」
「え? 見えなかったよ。距離があるもの」
そうだ。見えるほうがおかしいのだ。なぜ見えてしまったんだろう。
あのひと、ハルのお父さん? 私の心臓が早鐘を打った。
いつだったか、逃れようのない呪詛のことばを私に植えつけたあのおとなのひと。
私の上をたくさんのおとなたちが通っていった。しかし、あのひとほど、私の胸にくっきりと忘れられない軌跡を残した人間はいなかった。
それがハルの継父なら。
私の実父だ。
だったら、私のことをあれほど的確に評したことも説明がいく。あくまで優雅で、冷酷な罵倒。
ナツに呼ばれて我に返るまで、私は、黒いセダンが道につけていったわだちを凝視し続けていた。