ふるふる図書館


020



「こんなにあっさり落ちるとは思わなかった。きみ、実はおつむが足りないの? 学業は優秀なくせに」
 誰もいない体育倉庫のマットレスに私を横たえ、手首をしばりながら、そうたずねてきたのは私の同級生だった。
 いましめなくても私は逃げないが、彼の望みどおりにされていようと思ったので、口をはさまないでおいた。
 彼の手が私の髪を梳き上げた。
「いつもそうやって取り澄ましてるね。どうすれば、その表情を変えさせることができるんだろう。苦痛を与えればいい? それとも快楽?」
「それを知りたいために、ぼくを呼び出したってわけ。苦痛も快楽も、ぼくには同じ価値しかないから、どちらでもきみのお好きに」
 彼は私を間近でのぞきこんだ。
「へえ、きみはそういう趣味があるの」
「趣味ではないよ」
「それじゃ、殉教者みたいなもの?」
「信じてる教えはない。それより、いいの? のんびり会話していたら夜になる。校門が閉まるよ」
 もうひとつつけくわえることにした。
「ぼくに深入りしたひとはみんな身を滅ぼしていくんだ。家庭が崩壊したり、私財を失ったりね。それがいやならほどほどにするといいよ。ぼくが言いたいことはこれだけ。あとはご自由に」

「きみに手をかけたら、ぼくも破滅するんだろうか」
 私の胸に頬をのせて、彼が言う。私はふふっと笑った。
「そんなことをしたら、相手がぼくじゃなくても、まちがいなくきみは破滅だよ」
「前にうわさを聞いたんだ。きみがひとの運命を狂わせる魔物だって。ばかな蜚語もあるものだと思ったけど、どうやらほんとうらしいね。最初は、ここまでひどい仕打ちをするつもりはなかったんだ」
 拘束された私の手首を、彼が指でたどった。
「ああ、鬱血してる。跡が消えないな。残したくなかったのに。体育の授業できみが着替えるたびに、視界に入ったらどきどきするだろうなって。色白だからよけいに目立つね。
 でも、今さらどうでもいいやそんなこと」
 彼は、指を私の首に巻きつけた。徐々に力がこもっていく。私は目を閉じた。
「怖くないの?」
 彼が問う。どうして怖がる必要があるのかわからない。
 唐突に、握力がゆるんだ。なぜ中断するのだろうと、私はまぶたをあけた。
 私におおいかぶさっている彼が、肩を揺らして笑いこけていた。
「なるほどね、きみは本物だ」
 さっぱりわからない。
「ほんとうに狂ってるか、ほんとうに化け物か、どっちかだよ。いや、どっちもかな。ただのばかっていう地点を軽く通り越しちゃってる。かなわないな、負けたよ。完敗だ。
 入学以来、ぼくはどうあってもきみの成績を抜けないでいたんだ、ずっと。必死に勉学に励んでも、きみは涼しい顔でぼくより優れた点を取る。悔しかったな。でも、ぼくがどんなふうにきみを見ていたか、きみはまったく気づきもしなかったんだろう」
 私はまじめにうなずいたが、彼は吹き出した。
「化け物相手に勝とうというのがまちがってたんだな、そもそも」
 ひとり納得している彼に、私はたずねた。
「ぼくは、きみに何かした?」
 彼は少し考えた。
「慰め、かな」
 答えて身を寄せてきた。
「また、慰めてくれる?」
 事情がよくのみこめないまま私がうなずくと、彼は三度声を上げて笑った。
「やっぱりきみ、今に死ぬよ。破滅するのはきみのほうだよ」
 それから真顔になった。
「きみがしていることは、慰み者になるってことだ。だけど、そういうもの抜きに、またふたりだけの時間を取ってもらえないかな?」
「なぜ?」
「きみに興味を持ったからさ。もしかしたら、気に入ったのかな。きみに魅入られたのかも」
「その話、ぼくは断れる?」
「どうしてさ。無理強いはしないけど、悪い話じゃないと思うよ。今度はきみのことを慰めることができるかもしれない」
 私は視線を伏せてゆるく首をふった。
 私の表情を変えさせるもの。それは、苦痛でも快楽でもない。まったく別のものだ。それを彼から受け取ることはできない。
 理由はわからないけど、私はそのときそう感じたのだった。
 彼にほどいてもらったロープのあとがついた箇所を見ながら、ハルとナツに見つかったら困るなと私はそんなことばかり気にしていた。

20060422, 20141006
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