014
「あなたは世界一幸せな子供よ、チハルちゃん」
ことあるごとに母はそう微笑んだ。
呪文のように繰り返されるそのことばを、幼かった僕は信じきっていた。
大きなお屋敷。
立派なお父さま。
やさしいお母さま。
世話を焼いてくれる使用人たち。
疑う理由など、何ひとつなかった。
だけどその幸せは、浜辺に、砂で作った城でしかなかったことを知る日がやってきた。
どんなに頑丈そうに築き上げても、一度の大波で、あっけなく崩れ去る、もろくはかない砂の城。
金切り声でわめくヒステリックなお母さま。
髪を振り乱した見知らぬ女のひと。
紙のように蒼白な顔をした、僕と同い年の子供。
その子の細い右腕をずたずたにする包丁。
充満するかぎなれない匂い。
その日を境に、僕はきっと、世界一幸せな子供ではなくなった。
それでも、アキにめぐり会えた。
たとえ、あんなにひどい、血まみれの出会いだったとしても。
今、ナツと一緒にアキが僕のそばにいる、だから、幸せだ。
世界一だなんてことばで飾る必要は、もうない。
世界の誰とも比べることさえできないほどなのだから。
20060409, 20141006