010
アキがおれの家に来たのは、小学生のときだけだった。
ハルが一緒のときもあったし、ひとりで訪れた日もあった。
おれのやんちゃな兄弟たちは、アキをあっさりと仲間に入れてしまった。
アキは笑顔を見せるようになった。奇跡を前にしたようなまぶしい思いで、おれはアキの透きとおった表情を見つめた。
遊んでいてアキがかすり傷を負ったりすると、おれの母が手当てをした。
消毒して、ばんそうこうを貼って、仕上げはおまじない。
「痛いの痛いの、飛んで行け! ほら、海の向こうまで飛んでったよ。無人島まで飛んでっちゃったよ」
アキはくすぐったそうな顔をしていた。
ついでに、母はアキの耳掃除をすることもあった。アキに膝枕をして、救急箱から綿棒を取り出す。
「ちょっとひやっとするよ」
母は湿らせた綿棒を、アキの耳の穴に入れる。アキの肩が小さくぴくりと跳ねる。
そのあと、恍惚と羞恥がないまぜになったような複雑な表情を浮かべて、じっとしているのだった。
なじんでいるかに見えて、しかしアキは、いつでも無表情に戻ろうとしていた。すぐに我に返ろうとしていた。即席の家族なんだと言わんばかりに。
おれたちはしょせん他人で、アキの心をひらくことはできないのかと思っていた。
アキは、「自分の家に帰りたくない、ここにいたい」と駄々をこねることさえできなかった。
だから、おれのうちに来なくなってしまったのだ。
なぜ、必ず母親のもとに戻っていったのだろう。やまんばとまで呼んでいた親のところに、かたくななまでに帰ろうとしたのだろう。
20060418, 20141006