ふるふる図書館


008



 ひとりで帰り道をたどっていると、白い自動車が横を通った。
 私に追走するその車の、運転席の窓が下りた。男の顔がのぞいた。おとなの男のひとの年齢は見当がつかない。
「ねえ、ぼく。この辺の子?」
 私はうなずいた。雑木林の中の一本道。私の住んでいる家はすぐそばだ。
「道に迷ったんだけど、大通りにはどう行けばいいかな?」
 男がたずねる。私は少し考えた。簡単に教えられるほど、大通りは近くにはない。
 男は身を乗り出してきた。
「ぼく、きれいな顔をしてるね。写真を撮らせてもらってもいい?」
 私が無言で男を眺めると、急いでカメラを取り出してみせた。
「ほら、おじさん、カメラマンなんだ。どう、お礼もするよ。お菓子がいい? おこづかいもあげる」
「いらない」
 私が断ると、猫なで声がさらに聞いてきた。
「じゃあ、何がいい? 何かほしいものあるだろう?」
「教えてほしいことならあるよ」
「なんだい?」
「愛って何?」
「へえ、そんなことか。わかった、教えてあげるよ、後でゆっくりね」
 男は私をうながして、林へと踏みこんだ。私の住まいと同様、いくつか打ち捨てられた廃屋がある。その中のひとつに入っていく。
 私は、男の言うままの格好をして、レンズに身をさらした。
 シャッターが切られる音を何十回聞いたかわからなくなるころ、唐突に、戸が開いた。
 はっとして男が振り返った。
 衣類をしどけなくはだけられたあられもない私の姿に、呆然と立ちすくむハル。
「何してんだ! アキから離れろ、痴漢!」
 小学生らしからぬ迫力で鋭く叫ぶナツ。
 何か、弁解するような、なだめるようなことを男は言った。しかし険しく眉を逆立てているナツには通用しなかった。
 丸めこむのは無理だと悟ったらしい男は、逃げ出した。エンジン音が遠くなる。
「警察に通報してくる! 車のナンバーもおぼえたから。近くの公衆電話に行くから、すぐ戻るよ。ハルは、アキを見てて」
 ナツはてきぱきと告げると出て行った。
 ハルが私の前にひざをつき、服をきちんと着せた。気遣わしげにそっとたずねる。
「アッちゃん、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶって?」
「痛いこととか、怖いこととか、されなかった?」
 私は首をふる。黙っていたら、ナツがやってきた。
「ねえ、どうして?」
 私がいきなり口をひらいたせいか、びっくりしたようにふたりがこちらを見た。
「どうしてふたりとも、ここにいるの」
「アキのところに行こうって思ったんだ」
「ハル、言ったよね。こんなとこに来ちゃいけないって。ナツ、言ったよね。ぼくにかかわっちゃだめだって」
「アッちゃん、ずっと僕たちのこと避けてたじゃない。だから、話がしたかったんだ」
「どうして、あのおじさんのこと、追っぱらったの」
「あいつ、アキによくないことしてたもん。アキがひとを疑わない、純粋な心を持ってるから、そこにつけこんだんだ」
「そうだよアッちゃん、あのひと、悪いひとだよ」
 ハルまでもがあしざまに、きっぱりと断言するので珍しく、意外だった。でも私はまた首をふる。
「あのひとに聞きたいことがあったのに」
「何を?」
「宿題出たじゃない、作文の。どうしてもわからなくて、教えてもらいたかったんだ。あのひと、教えてくれるって言った」
「それで、あいつについてったの?」
 大声を上げるナツの頬は、私と男が一緒にいるのを発見したときよりも紅潮した。
「ばか! アッちゃんのばか」
 ハルが私を罵った。そのくせ、私にしがみついてきた。私はあっけにとられる。
「そんなの、僕たちが教えたげるよ! だから、危ないことしないで」
 ナツも抱きついて泣いた。
「友だちっていうのでよかったら、おれたちがいくらでもあげる。おれたちがいるのに、なんで見ず知らずのひとを頼るの?」
 私はどうしたらいいのかわからず、なすがままになっていた。ぼんやりと、先ほどまでいた男のことを考えた。
 たしか、道に迷っていたと男は言っていた。どこまで行き着けただろう。
 しかし途方に暮れた迷子は、この瞬間、まちがいなく私のほうだった。

20060411, 20141006
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