004
小学校の裏山から、不愉快な声がひびいてきた。
意味はよくわからない。でも誰を攻撃しているのかははっきりと知れた。
シセージ。メカケノコ。
アキのことだ。
そのほか、聞くに堪えないひどいことばまでが飛び交っている。おれは思わず駆け出した。
林の奥に、想像したとおりの光景がくりひろげられていた。
髪をつかまれ地面にひきたおされているアキを見て、おれの頬に血がのぼった。
「卑怯者!」
おれは叫んで、その場に飛びこんだ。
「何をしてるんだ、この恥知らず!」
うでっぷしの強さなら負けない自信があったが、多勢に無勢では勝ち目がないということに思い至らなかった。
それほど、おれは冷静さを欠いていた。
しかし、していたことがことだけに、彼らはあっけなく逃げ出した。なにしろ、ただの暴力だけではなかったのだから。
アキは、虚をつかれたような目をおれに向けていた。おれは心配になった。
「だいじょうぶか?」
「助ける人がいるなんて、思わなかった」
アキが淡々と言った。まるで最初から何もなかったように。
その声を耳にすると、アキにまつわるうわさのひとつをいやでも思い出してしまう。
何をされても動じない、抵抗しない、逆らわない。人形のように、顔色を変えない。人形みたいに、命じればどんなことでも平然とやってくれる。簡単に言いなりになる。あいつにはまともな人間の心がない。あばずれの魔女の血をひいているんだ、などというばかげた流言だ。
そんなことあるわけない、と打ち消すおれの考えをよそに、アキは無表情でいるばかりだ。乱れた服をととのえようともしない。
ずいぶんあたたかいのに、落ちていた手袋を拾ってはめた。
その動きで、はっとした。
アキの右手は、少し不自由なんだ。注意して見ないとわからないくらいだったけれど。
おれの視線にアキが気づいた。
「昔、人喰いやまんばに食いちぎられたんだ。あんまりぼくにかかわると、ナツも巻きこまれるよ」
どう答えていいものかためらうおれのわきを、いささかぎこちない動作でランドセルを背負い終えたアキが歩いていく。
通りすぎ、ついと振り返った。
「はじめてだったから、言うの忘れてた。かばってくれてありがとう、ナツ」
手袋の紺色が遠ざかっていく。暑い目をしてまで、手袋で欠点を秘するアキ。
ひとの心がないなんて、やっぱり嘘だ。
はじめてアキが身近な、自分と同じ子供なのだと思えた。
でもいつか、おれの前でその手袋を取れる日がくればいいのにとせつに願った。