ふるふる図書館


第五部

第五話 おまつりは保護者と



 ときは流れて、二学期。
 秋といえば文化祭である。準備に追われて、どことなく全校浮き足立っている。
 桜花高校の文化祭「桜花祭」では、クラスごとにひとつ、文化部ごとにひとつ、教室や部室などを使って催しものを行う。
 すでに生徒会長の地位を退き、下級生に引継ぎをした綾小路那臣(あやのこうじなおみ)。彼は私利私欲のために生徒会の権力を行使していたのではないかと、森川知世は信じて疑わない。
 前生徒会長がうちたてた条例のために、いかにあれこれ被害をこうむっているか、考えてほしい。慰謝料を断固請求したいくらいのものだ。
 今回もまた。部や学級などの別の団体から誰かを引き抜くことが解禁になったため、知世はいくつかの学級のイベントをかけもちするはめになってしまった。
 多忙すぎて、自由にほかのところを見てまわることさえかなわない。
「ごめんね、茶道部の茶会には行けそうにないや。お茶と和菓子をよばれたかったのになあ」
 ためいきまじりに一年生の入江彰(いりえあきら)に謝ると、おっとりとした笑みを返された。
「気にしないでください。よかったら、今度先輩のおうちで茶会でもしましょう。お庭で野点なんていかがですか」
「わあ、風流だなあ」
 知世の、一面黒雲におおわれた鉛色の心は、一条の光がさしたように明るくなった。
「じょうずに点てられるかわかりませんけど、それでもよかったら」
「入江君、日舞の名取なんでしょ、それだけでもすごいよ。そのうえ茶道も完璧だったら、おれのほうが困っちゃう。
 そうだ、一年一組はなんのイベントやるか決まった?」
 彰と、隣にいた綾小路史緒(あやのこうじふみお)、飛鳥瑞樹(あすかみずき)はすばやく視線を交錯させた。数秒である合意に達したらしく、史緒が躊躇しながら口をひらいた。
「うちは……パントマイムをするんです。飛鳥君が」
 知世は一瞬眼をみひらいた。
「へえー。いいなあ、見てみたいなあ。瑞樹君がやるんだもん、大入り満員になりそうだねえ」
 相好をくずす知世に、どことなくほっとしたようすをみせる下級生たちが可愛らしい。
「そんなに、気をつかわなくっていいよ。演劇同好会は、一回の発表で解散したし、文化祭でも何もしないけどさ。瑞樹君は好きなように好きなことをやっていいんだよ」
「いいんですか」
「おれの都合ではじめたものじゃないか、同好会なんて。継がなくてもいいって言ったのは、もう演劇をするなってことじゃないんだからね。やりたいときにやればいいんだからね」
 瑞樹は、無言で大きくうなずいた。

「桜花祭」は、金曜の前夜祭を除けば、土日の二日間で開催される。
 週休二日制が根づいていなかった時代のこととて、土曜日は校内のみ。日曜日は校外から自由に参加することができる。
 一日目はなんとか乗り切った知世だが、一般参加者にまでこの姿を公開するのかと思うと気分は加速度的に、おもしろいほど沈む沈む。
 涙を流さんばかりの小園深晴(こそのみはる)や、鼻血を吹かんばかりの前生徒会長、欣喜雀躍する級友たちに惜しみない称賛を浴びせられたとて、何をどううれしがればいいのか。
「どうせ一度、演劇発表会のときにそれなりの格好しているじゃないか。だからいいだろうが」
 なだめすかされて、どうにもあやしく恥ずかしいものを着衣するに及んだわけだが。
「減るもんじゃなしとか言うけどさ、確実に減るよな。寿命とか、希少価値とか。さらに羞恥心だの繊細さだの良識までもなくなったらどうしてくれる。
 だいたい、奇をてらって呼びものこさえて眩惑させて集客しようとゆー魂胆があざとい。心意気がいじましい」
 ぶつくさ文句をたれながらも、「ハーツイーズ」のアルバイト店員、葛原純(くずはらじゅん)にしこまれた通りの所作で、自分のクラスが出しているコーヒー店にてせっせと骨身惜しまず働く知世。
 おのが勤勉さに眩暈がしそうだ。
「ご注文は何になさいますか」
 クロスをかけて、なんとかテーブルにしたてあげた机に着席した客に、知世はたずねた。
 客は四十代だろうか、女性である。ひとりで来るとは、少々めずらしい。生徒のお母さんだろうか。
「あなたは、森川知世君?」
 客が名前を確認してくるものだから、知世は意表をつかれて「はいっ」とこたえた声が裏返ってしまった。
 この年代のおとなは、女性も男性もちょっと苦手なのだ。相手がいくらおとなでも、おとなの態度で会話をリードしてくれるとは限らない。
「はじめまして。わたし、飛鳥瑞樹の母親です。いつも瑞樹がお世話になっております」
「えっ。あ、こちらこそ、瑞樹君にはお世話になりっぱなしで……」
 あわてて頭を下げる。よりにもよって、こんな。ウェイトレスの格好をしているときに!
 首から上がヒートアップして、何かが焼き切れそうになってしまう。もじもじとエプロンのフリルを指でまさぐった。若奥さまかおれは、とこんなときにも律儀に自分につっこむことを忘れない。
「瑞樹から聞いてます、森川君のこと。日本に帰国してから、あの子、表情も口数もめっきり乏しくなって。最近、やっと少しずつ話すようになったんです。友達もできたようですし。あなたのおかげです。本当に、どうもありがとう」
 アメリカで生活していたせいなのかどうなのか、歯に衣着せぬ率直な物言いだ。まっすぐすぎて、知世はまたもや消え入りそうに恥ずかしくなってしまう。
「いえ、おれは何も……。ほんとに、全然」
 彼女は瑞樹のことを語ってくれた。
 飛鳥家は、格を重んじる家柄なのだとか。
 瑞樹の家庭は本家から少しはずれているため、さほどはきびしくないが、それでも、瑞樹が芸能活動を行うことには、一族郎党こぞっての反対にあったそうだ。絶縁し、いっさいの交流をたたれるほどに。
 母親は、それで、息子を連れて渡米した。彼女自身の出自も親戚筋なので、昔日から息苦しさを感じていたようだ。
 瑞樹は才能があったし努力もしたが、生き馬の眼を抜くような世界には向いていなかった。しかし、母には意地があったし、おいそれと日本に帰るわけにはいかなかった。自分のわがままで、息子のことを振りまわしてしまったのだ、と彼女は言った。
 手のかからない、ほがらかで活発な子だと思っていたのだという。それなのに、アメリカで映画に出演したことがきっかけで有名になってから心身のバランスが取れなくなったり、病気がちになったり、日本にいた夫に呼びもどされた後に様子がすっかり変わってしまったり、そんなことがあってようやく、瑞樹のことが理解できるようになったなんてだめな母親だった、と彼女は自嘲ぎみに笑った。
 自分のことで手一杯で、息子に気遣われていることがまるでわからなかったなんて。
「だけど。おれだって。自分のわがままで、瑞樹君につきあってもらったし、瑞樹君をひっぱりまわしてしまったし」
「瑞樹はあなたを選んだのだから、そんなふうに思う必要はないんですよ。あの子はただ、のびのびと芝居がしたかったんです。足をひっぱりあったり、腹をさぐりあったり、みんなに無理にいい顔してみせたり、そんなことをせずに。
 きちんとお礼を言わなくてはと思っていました。でも、あなたも一躍時の人になっていたから、落ち着いてからにしようと考えていたんです。突然で、かえっておどろかせてごめんなさいね」
「いえ、そんな」
 手を顔の前で勢いよくぶんぶん振るばかり、気の利いたせりふひとつ返せない自分がひどくもどかしい。
「よく似合ってるね、その服。そうね、そこまで自分を捨てられる無私なところにあの子はひかれたのかもね」
 最後に、ほめたのかそうでないのかよくわからないことばを残し、エスプレッソを注文した。
 こんな衣装を着ていることを、知世は心底悔いた。千載の恨事。
 時間よ疾く過ぎ去るがいい、いつか思い出に変わるというのなら。笑ってふりかえることができるようになるというのなら。
 はみだし者、つまはじき者、落伍者、変わり者。それは、瑞樹だけでなく知世もまた押されつづけてきた烙印だった。
 森川家でも、小学校でも、中学校でも。集団に入れず、仲間になれないアウトサイダー。炭酸入り清涼飲料ではない。
 瑞樹とは似たものどうしだったのか。たとえ大多数からドロップアウトしても、受け入れてくれる誰かがいるのは、なんてすてきなことなのだろう。
 よし、自分の意に染まぬとしても、目下の仕事はちゃんと立派にやりとげよう。意欲をあらたにわきあがらせ、握りこぶしを固める、エプロンにミニスカート姿の知世だった。
 その結論もどこか方向性において間違っているような気もするが……。

20050621
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