ふるふる図書館


第五部

第四話 再会は幼なじみと



 妹がほしかったそうだ。可愛らしい、フリルとレースの似合う女の子が。
 娘がほしかったそうだ。愛くるしい、リボンとブーケの似合う女の子が。
「なっちゃんは? ふうちゃんは? 妹だし娘でしょ?」
 いつだったか、まだ幼かった森川知世が投げかけた質問に、母と娘の三人はいっせいに、よく似通った顔を見合わせた。
「あたしは自分でふわふわした服を着るのは趣味じゃないな。着せるのが好きなんだ」
 豪放磊落という熟語がよく合う、長女の七瀬芙雪(ななせふゆき)。
「可愛い子にぴったりの服を考えるのが楽しいの。自分で着たって、すみからすみまでじっくりと、心ゆくまで観賞できないでしょ、つまらないもん」
 次女の七瀬菜月(ななせなつき)。こちらは、軽妙洒脱といった雰囲気。
「わかったでしょう、知世ちゃん。そういうわけだからなのよ」
 ふたりの母親の七瀬玖理子は、和気藹然と笑った。
 三人の条件にぴったりかない、ニーズをいかんなく満たす知世にお鉢が回ってくるのは、いわば自明の理だった。
 はじめのころは洋裁好きの玖理子が服を縫っていたが、そのうち、菜月が「知世ちゃんにはこういう服が合いそうだよ」とさまざまな服や帽子や小物をみずから考えてつくり出すようになった。
 それがたねになり芽吹き、十数年たった今デザイナーとして、ひとつのブランドを世に生み出すに至ったのだ。
 ブランド名は「チセ」という。アイヌ語で「家」という意味だが、まるで無関係なのは言わずもがな。「知世」という名の読みをかえただけだ。知世に似合うファッション、が裏の、というより真のコンセプトなのだから。知世に着てほしい服、をせっせと考え、つくり、販売しているのだから。
 よくよく考えてみれば、いとこ愛にみちあふれた、涙ぐましい感動物語と言えよう。
 しかし。
「知世ちゃん。そろそろうちのモデルやってみようよ? お願いお願い」
「やだよう。何度たのまれてもやらないってば」
 それは話が別なのだ。
「あたしのファッションを、世界でいちばん上手に着こなせるのは知世ちゃんだけなのに。いちばん似合うのも」
「そりゃあどーもありがとう。でもねなっちゃん、たのむから、おれの名前出さないでね。『チセ』の秘密をカムアウトされたら、おれ、もう学校行けなくなっちゃうから」
「あっはっは。もう知世ちゃんたら照れ屋さんなんだから」
 違う。

「ねえ、見てあの子、知世ちゃんになんとなく雰囲気が似てない?」
 久方ぶりに実家に帰ってきた菜月が、買い物のおともに知世をナビシートに乗せ、ローバーミニを運転しているときにふと口にした。
 いとこの視線の先をたどり、知世は歩道を並んで歩くふたりづれの後ろ姿を認めた。
 菜月の言うのは、その片方だろう。白い肌、茶色の髪、すんなりとした体つきの少女だ。
 もうひとりが、その少女に話しかけている。横顔が見えた。知世はあっと思った。
 凛とした顔立ちに、健康的な小麦色の肌。チカシと名乗ったあの子。柳田誓子だ。
 その間にも、菜月は車を徐行させ、ふたりに近づいた。右ハンドルでよかった。ウインドウを下ろし、右手でレイヴァンのサングラスを取りながらにっこりする。
「突然でごめんなさい。そこのあなた、わが社の専属モデルになってみません?」
 その声かけあやしすぎるから、という知世のつぶやきはもちろんそっくり無視された。

 喫茶店「ハーツイーズ」のひとつのテーブルを、四人で囲んだ。
 少女の名前は、栗本峻音(くりもとたかね)。柳田誓子のいとこにあたるという。
「うーん。うちのすぐ近所にこんなにきれいな子が住んでいたとは。一世一代の不覚だわ」
 腕組みしてうなる菜月を、峻音は頬を染めて熱烈に見つめた。
「わたし、『チセ』が大好きなんです。服も持ってるし。そのデザイナーさんが、あのお屋敷のひとだったなんてびっくりです! ああもう、どうしよう」
 二十七歳の菜月は、高校を卒業してすぐに、単身渡仏している。峻音は現在中学二年生だから、ほとんど接点がなかったのだろう。
「モデル、すっごくやりたいです! でも、お父さんとお母さんがなんていうかわかんないし。ね」
 峻音は、頼るようなすがるような甘えるような瞳を隣席の誓子に向けた。
「いいと思うよ。叔父さんと叔母さんには、口ぞえしたげる」
「ほんと? やったあ、ありがと、うれしい」
 ぎゅっと誓子の腕に抱きつく。まっすぐで、屈託のない女の子だ。うらやましいほど。

 菜月と峻音が手洗いに立ち、知世は誓子とふたり残された。
「久しぶりだね、知世ちゃん。全然変わってないから、すぐにわかったよ」
 誓子が口もとをほころばせた。慈しみにあふれた視線だ。知世も気恥ずかしいような照れくさいようなこそばゆいような気分で笑い返した。
「ちかちゃんこそ。こっちに来てたんだね」
「元気そうだね。ずいぶん背がのびたんじゃない? 今に抜かされそうだなあ」
「まっさか。おれのほうが断然ちっちゃいのに」
「親戚か」
 突然背後から、いやになるほどおなじみの、清冽玲瓏な声がして、知世はびくっとした。
「なんだお前、どこからわいてきたんだよ」
「ひとを虫扱いするんじゃない」
 春日玲は、情けや容赦や手加減や、遠慮や会釈の一ナノミクロンもない力で、むにっと知世の頬をひっぱった。
 かたわらで、誓子が眼をしばたいている。玲は切れ長の瞳も怖ろしげで、とうてい未成年には見えないほどだから、おどろくのも無理もなかろう。
「表向き、お前をちゃんづけで呼ぶのは親族しかいないはずだが。『親は呼び捨てだよ、子供のときから。親戚しかいないよ、そんな恥ずかしい呼びかたするの! おれのこといくつだと思ってんの!』って主張していたじゃないか。しかし親類のわりには似てないな」
「ご丁寧にわざわざものまねまでしてくださってどーも。おれたち身内じゃないよ。なんていうのかなあ、ねえ?」
「幼なじみ、かな。でも、話をしたのは今日で三回目だけど」
「ほほう。三回目でも、『ちかちゃん』か。ふむふむ」
 玲は腕組みし、片手をあごに当てた。そんな動作も宛然ギリシア彫刻のごとく一分の隙もない。
「何にそんなに感心してるのさ」
「お前がそこまで気安く誰かを呼ぶなんて、めずらしいと思ったまでだ」
 うわあまさしくその通りだ、ろくすっぽしゃべったこともない相手をさらりと「ちかちゃん」だなんて。知世がひたすら瞠目していると、誓子がまっすぐに玲を仰いだ。
「あの、春日玲さん、ですよね?」
「よく知ってるな」
「当然ですよ、鬼のようにけんかが強いって有名でしょう。だから会いたかったんです」
 知世は、「それどういうこと」と声をあげそうになった。知世は、今ひそかに、伯母に合気道を習っている。自分の弱さがいやなのだ。強くなりたければ玲に教わるほうがいいだろうが、そんな意欲はつゆほどもわかなかった。一寸の虫にも、プライドってものがあるのだ。
「いろいろと聞いたよ、知世ちゃんの演劇発表会のこと。残念ながら見られなかったけど、かなりあちこちで話題になったからね。
 春日さんとやっていたっていうから、ものすごくおどろいたよ。春日さんと、記憶にある知世ちゃんがどうしても、結びつかなかったから。いろいろかってに心配しちゃった。いじめられてやしないかとかさ。杞憂だったみたいだね。よかった」
 いやいや、何をおっしゃいますのやら。思うさまいじめられてますとも。来る日も来る日もつつがなくとどこおりなく順調に。どうして、この場面を見て安堵できるのか、知世にはちっとも解せない。
「そういえばお前、こいつのことが好きだろう。二年前、こいつが若い娘と仲よく歩いてるのを見てほうけていたじゃないか。雨のそぼ降る中に捨てられた子犬のような眼でさ」
 そんな詳しく描写しなくていいって。ていうかよくおぼえてるな、仔細もらさず克明に。
「その子って、峻音ちゃん?」
 知世が確認すると、誓子はうなずいて苦笑した。
「そんな関係じゃないんです。あの子はこちらのこと、いとことしか思ってないし」
「ほう、よかったな森川。おれは、他人の恋路をじゃまする気はないぞ。馬に蹴られて死にたくないからな。久しぶりに会ったのなら、ゆっくりと旧交をあたためればいい。それじゃあ」
 淡白に去ろうとした玲を、誓子が呼び止めた。
「自分は知世ちゃんが好きです。何年もずっと。たぶんこれからも。でも、片思いだ」
「え……」
 知世が応じる前に、誓子がつづけた。
「ごめんね知世ちゃん。こっちから言い出したことなのに。わかったんだ。知世ちゃんのことがよくわかるだけに、たぶん知世ちゃんをひたすら甘やかして終わってしまうって。これじゃ知世ちゃんのためになれない。傷を舐めあって慰めあうだけ」
 知世は、鈍器でめいっぱいぶん殴られたような心持になり、視界が一瞬暗転した。鈍いのろいとろいともっぱらの評判の知世にしてはめずらしく俊敏に、その意味するところを正確に察した。
 受け入れてはもらえないのだと。
 脳が誓子のせりふをがんこに通せんぼするため、耳の中でぐるぐるくりかえし回って、飽和して、あふれ出しそうになる。
 平和な昼下がりの店内が、にわかに愁嘆場に早がわりしそうで、知世はとっさに笑顔をうかべた。だいじょうぶ、笑える。
 笑えてない、と玲が無情に言い放った。
「そんなことない」
「変てこりんな顔になってる」
「変てこりんな顔はもともとだよ、失敬な!」
「無理しすぎだろ。見ての通りこんなにショックを受けてるぞ、こいつは。お前に拒まれたことで。それでも、こいつを捨てるか?」
「拒んでなんていません、捨てるわけない。知世ちゃんは大事です。知世ちゃんがよければ、ずっと友達でいたいもの」
 誓子は、どこから見ても、あざやかできれいな笑顔だった。
 峻音と一緒に菜月が戻ってきた。何か言われる前に、知世はすっくり席を立った。
「おれもトイレに行ってくる」
 手洗いに入り、洗面台の鏡で表情を確かめていると、わきからいきなり腕をひかれた。電光石火の早業で個室に連れこまれ、鍵をかけられた。玲のしわざだ。
「何するんだよう、狭苦しいし暑苦しいし、誰かとトイレに閉じこもる趣味はないぞ」
「ここをせんどとばかりにまくしたてるな。あの小僧が追いかけてくるかも知れないからだろ。しっかしお前って、つくづく報われない恋ばかりだな」
「……恋、なんてのじゃないよ。あの子は、おれ自身みたいなものなんだ。だから、あの子の言うこともわかってる。でも。頭は理解しても、気持ちがね。納得してくれないんだ。
 おれ、自分だけが大事なのかな。身勝手なのかな。誰かをちゃんと好きになるなんて、一生できないのかな。だって自分に似た人ばかり……」
 知世は壁に体を預けて、顔を手で隠した。見せられないし、見せたくなかった。
「へえ。ほんっとに、自分のことわかってないのな」
「うう、わかんないよう。そんな、冷たく吐き捨てるように言わなくてもいいじゃないか」
 泣きたい気分を、この期に及んでやっとこ知覚した。やっぱり愚鈍なのか自分は。
「おーい、そこで何してるんだ?」
 どんどんとノックする音がした。いつまでもトイレを占領されていることにしびれをきらした男性客が、個室の扉をたたいているようだ。そりゃ、ひとつの部屋からふたりぶんの声での会話が聞こえてきたら不審だろう。だがどうやってここを出ればいいのか。
「こういうときは、正面切って正々堂々、平然と、に限る」
 玲は、知世の後頭部をむんずとひっつかみ、自分の胸におしつけた。眼をむく知世に頓着せずに、いとも気軽に無造作にひょいっとドアを開け放った。
 げげーっ。ちょっと待てよ! 知らない人がいるんだぞそこに! いや知ってる人ならなおのこといやだけど!
 知世は、密着した顔を離すことができなくなり、あわてて玲にひしっとしがみついた。
「ご迷惑をおかけして、どうもすみませんでした」
 申し訳なさげを装いつつも、高原の朝みたいにさわやかですがすがしい、玲の声が聞こえる。まさに演技派、さすがぺてん師。
「それは別にいいけど、彼女泣かせちゃだめだぞ」
 誰が彼女か。と反駁することもできない。やってくれたな、おぼえとけよ。おのが性のつたなさ情けなさがせつせつと身にしみて、本当にこっそり玲のシャツに涙をこぼしてしまった……。

20050621
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