ふるふる図書館


第五部

第六話 パーティーはみんなと



 出がけに、伯母にけっこうな量の紙の束を渡されたときは、正確に三秒絶句した。
「何、これ」
「学校のお友達に配っていらっしゃい。デザインは、深晴君にしてもらったわ。さすが美術部の部長さんね、よくできてること」
 明眸皓歯とはこのことをさすのか。伯母のきらめく笑顔に逆らえるすべなど、あわれな森川知世にはもとよりないのだ。
 だから狂気の沙汰に、みずから手を貸すはめにおちいってしまったのである。
 日本人高校生男子が。十八歳の誕生日に。おうちでパーティーをひらくだなんて。
 朝っぱらから尋常でないくたびれようで蹌踉と、知世は二学期も終わろうとしている学校へ持っていったのだった。自分のバースデイパーティーの招待状を。
「大勢誘うのよ。ひっこみ思案になって手を抜こうたってだめ。ノルマを達成するまで、この家の敷居はまたがせないわよ。もちろん、深晴君はノーカウントですからね」
 伯母に釘をさされて。

 こんなとき、まっさきに知世が足を向ける人物は彼だ。
 朝のホームルームがはじまる前の一年一組の教室は、無秩序なざわめきに包まれていた。
 なのに、扉からのぞきこむ知世に誰かひとりが気づいたとたん、喧騒はさざなみとなってさーっと一年生たちの間をわたっていった。
 ほら、あそこ。あっ、森川先輩だ。そんなささやきがすこぶる居心地悪い。春日玲のように平然と昂然と頭を高く上げて受けとめるのは至難の業だ。
「おはよう、瑞樹君」
 衆人環視の中、知った顔を見つけ、ほっと気持ちがなごんだ。飛鳥瑞樹は、あいかわらずきれいな仮面をかぶったがごとき相貌で、知世に挨拶を返す。
 しかし、知世に招待状を手渡された刹那、ほんのわずか虚をつかれた色を双眸の奥に走らせた。
「来年の一月なんだけど、来てくれる?」
 控えめに問いかけると、少し怒ったような顔をした。耳朶とほっぺたと目のふちを、虫眼鏡で見ないとわからないほどかすかに染めてこくんとうなずく。それだけでもう劇的だ。知世は激烈に猛烈に感動してしまう。
 この下級生の頭髪をくしゃくしゃかきまわしたくなるのを、かろうじて我慢した。これ以上耳目を集めるの愚を犯すのを避けたのだ。
 後からやってきた、入江彰にも招待状をさしだした。彰は、七瀬邸の建物や庭園が大のお気に入りなのだ。それはそれはうれしそうに受け取ってくれた。
 綾小路史緒は、複雑な顔をした。
「お招き、ありがとうございます。行きたいのはやまやまなんですが、その……。兄が知ったら、黙っていないだろうと思うんですよね」
「反対される?」
「いえ、自分も行くって言い張って聞かないんじゃないかと。どんな手立てを使っても、万障くりあわせて出席するんじゃないかと」
 知世はうーんとうなったが、ほどなく、いいよそれでもとうなずいた。
「でも、せっかくのなごやかな雰囲気がぶち壊しになりでもしたら。申し訳なくて、ぼく、みんなに顔向けできませんよ」
「まあ、そのときはそのときだよ。またそれも楽しい思い出になるだろうしさ。もしあいつが来たがったら、ちゃんと招待状渡すってそう伝えといて」

 昼休みに入り、二年生の教室棟へおもむいた。
 陽耶(あきや)も呼んでいいですか、と確認する滝沢季耶(たきざわときや)に招待状を二枚。季耶は、手刀で「心」の文字を書いて神妙におしいただいた。
 それから、演劇同好会の宣伝をしてくれたお礼をこめて、新聞部の田浦悠里(たうらゆうり)と西条要(さいじょうかなめ)にも一枚ずつ。まるでお歳暮だ。暮れの元気なご挨拶。
「お、森川。玖理子さんは元気か?」
 三年生の教室棟へ帰る道すがら、教諭の木野忍(きのしのぶ)が声をかけてきた。木野教諭は、二年生の学級を担任しているのだ。
「なんだなんだ、今日はめがねかけてるのか? 授業中だけじゃなかったのか?
 ふだんまでかけてることないだろ、せっかく玖理子さんに似た顔してるのに。これのおかげで、うかつにもお前と玖理子さんが似ていることに気づかなかったんだからな」
 知世のめがねを一旦つまみあげたものの、またもどす。
「ふうむ、でも玖理子さんがめがねをかけるとこんな感じになるのか。いやあ、理知的でなかなかいいなあ」
 にかにか機嫌よく笑み崩れる。伯母のことしか頭にないのかこの人は。ほとほとうんざりしつつもさりげなく招待状を隠そうとしたのだが、生活指導教諭のさとい眼はごまかせなかった。踏んだ場数が桁違いなのだ。
「おっ、すごいなこれ。玖理子さんに手料理でおもてなししてもらえるのか」
「あのう、あくまで主役はおれなんですけど」
 抗議が、相手の右耳から左耳へと抜けて宙へと消えていくさまをはっきり見た気が、知世にはした。
「おれも行くぞ」
「いえ、これは若い者どうしが親睦を深め合うためにですね」
「同年代ばかりで固まるのは世界がせばまる。よくないぞう、先生は感心しないなあ」
 こうして、八枚目は木野教諭がうまうまとせしめてしまった。もしプレゼントなどという気の利いたものを持ってくるのであれば、どうせ伯母のぶんだけだろうなあと諦観に似た心持ちで知世は推測した。
「ところでこれ、オプションとして玖理子さんのキスマークはついてないのか?」
「ついてるわけないでしょそんなもの」

 三年五組、自分の教室へとたどり着くと、ひとり残っていたクラスメイトが「どこ行ってたんだよ」と問いただした。
「あれ、まだここにいたのか。学食の席、なくなるぞ」
 根岸麻人(ねぎしあさと)が四時限めに入る前に食券を買っていたのをおぼえていたので、知世はそうこたえ、鞄に招待状の束を入れようとした。つい先刻と同じ轍を思いっきり踏んづけて麻人に見つかり、取り上げられ、けたたましく騒がれた。
「何だこりゃ! 小学生か、お前」
「悪かったな、笑うなよ、そんなにけたけたと」
 むっつりしてみせたいが、くらましようもないほど頬が熱くなってしまう。
「あー、腹筋いてえ。それで、休み時間にも配りまわってるわけか?」
「あるていどの数こなさないと、家に入れてもらえないんだよ」
「へえ。じゃあおれ、もらってやろうか?」
「それだけじゃだめなんだよ、もらったからには来ないと。いいのか? 参加者は、うちの同好会に縁がある人ばかりだけど」
「げっ、春日玲もか? じゃあ遠慮しとくわ」
「あ。春日玲。忘れてた……」
「あ? お前ら、友達じゃねえの?」
「ええと。友達、じゃないんじゃないかなあ。少なくとも、向こうはそう認識してないね」
 おもちゃとか珍獣とか下僕の扱いだとは、口にするにはあまりに自分があわれだ。そこまで自虐趣味はないのでことばを切る。だが、この妙な関係をいったいなんて言えばいいのか。
「だったら何だよ。恋人か? 夫婦か?」
「ぶっ! なんでだよ! だいたいなあ、おれは押しも押されぬストレートなの!」
「ああはいはい、必要以上に金切り声を張り上げると、よけい怪しまれるぞ」
 軽くあしらわれた。
 無理解という名の溝は深まる一方だ。近づこうとすればするほど逃げ水のように遠ざかり、距離はいっかなちぢまらない。いつか雪解けはやってくるのか、知世は断崖の底をのぞきこむがごとき暗澹とした気分に叩きこまれるのだった。

 玲に招待状を渡したものかどうか考えあぐねているうちに、帰りのホームルームも終わり、放課後になった。
 誘ったところで、気が向かなければ欠席するし、誘わなくたって来たければかってに登場する。それが春日玲の行動パターンだ。約束はやぶるのではなくて、はなからしない。いっそいさぎよいほど奔放だ。
 誰かを、どんな形にせよしばりつけるのはあまり気がすすまない。その鎖になることも。だから、弱さで迷惑をかけたくなくて、足手まといになりたくなくて、伯母に合気道なんぞをこっそり教えてもらっている。我ながら似合わないが、それでも、いつぞやの二の舞はごめんだ。
 ほだしたくないからと、去るものは追わずただ見送るだけの自分は、もしかしたらものすごく薄情で淡白なのかも知れない。玲とは、卒業したらきっと会わなくなるだろうし、ましてや連絡を取り合うことなど想像だにできない。
 あれこれ考えながら、廊下でぼうっとしていたら。
「誕生日祝いやるんだってな」
 ご本人が目前にいた。相変わらずの早耳だ。いったいどこから。どんなネットワークで。
「毛づくろいする猿か、お前は」
 玲の髪をひとふさ指先ですくい、とっくり観察していると、玲は不審げになった。
「これ抜いて息吹きかけると、お前の小さな分身がわらわら生まれるとかないよな? それでスパイ活動するの」
「くだらん妄想に浸ってないで、招待状よこせ、ほら」
 さも当然のように、端整な手を突き出した。
「え? 来るつもりなの」
「いやそうだな」
 玲がすごんだ。いやすごみをきかせているわけではなくても、そう見えるのだ。掛け値なしに事実なので仕方がない。事実を重く見てもらうしかない。温和で柔和な顔ができないもんかねまったく。
 別にいやそうにしてないよ、と言いかけて口をつぐんだ。
 なぜばか正直に申告する必要があるんだ。
 戸惑いの中に、多少はうれしさみたいなものがあって。どうやら、眉をひそめてしまったのは、それをごまかすためだったみたい。素直になれなくて。ばかだね。
 などと乙女な思考にうつつを抜かしている場合じゃない。ていうか何このポエムみたいなの。
 知世は、にべもしゃしゃりもない態度をことさら強化することに努めた。
「玲が来るなんてどうしても思えなくって。だって、みんなでパーティーだよ? 伯母にも、いっぱい誘うように言われてるしさ。そんな集まりにお前、参加したいか?
 社交的で陽気でほがらかで若人らしい、健全なイベントだぞ。ほらどこひとつとってもお前に当てはまる要素ないだろ?」
 玲は剣呑な笑みを唇に刻んだ。
「ほおー。そこまで言うか。だったらぜひとも行ってやろうじゃないか」
「またお前一流の気まぐれだろ。あてにならないなあ」
「おれに二言はない」
 言質はとった。成功だ。ふっ、ちょろいな。
 知世がいやがればいやがるほど、玲の積極性が増すことは、ここ二年半の付き合いから習得済みだ。
 にしても、なぜ「お前に来てほしい」「うん」でことが運ばないんだろうか。そのほうがよっぽど簡単でシンプルなのに。
 この関係って、どこか歪んでいるんじゃないだろうか。いや自分がじゃなくて、玲がだ。この天邪鬼がだ。断然そうだ、絶対そうだ、明確にそうだ。違うとは言わせない。
 もう、一緒にいられる時間も少ないっていうのに……。

20050621
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