ふるふる図書館


第五部

第二話 墓参は珍獣と



 春日玲にとって、森川知世はまるっきり、まったくもって理解できない変人だ。
 わかるのは、奇妙な珍獣っていうことくらい。
 誕生日に、知世をおともに連れて外出し、それは顕著に判明した。
 街をふたりで歩いていたら、CDショップの前に風船を配っている若い女性がいた。どうぞ、と明朗快活な声とともにロゴつきの大きなピンクのを渡された知世は。
「うわーい。見て見て、風船もらっちゃったよ! やったあ。もうけ!」
 喜色をいかんなく前面に押し出していた。恥ずかしいやつだ。女性が笑顔になって、「もうひとついる?」と水色の風船を知世に持たせた。その言葉づかいから、知世を小中学生だと思っていると推測できたが、当の本人は気づきもしない。
「ほらほら、玲のぶんまでくれたよ! はい、持って持って」
「おれにあげたはずないだろ。お前の常軌を逸した浮かれように、いちじるしくあわれをもよおしたんじゃないのか」
「いらないの? じゃあ、おれがもらっちゃうよーだ」
 勝ち誇ってうきうきと宣言するが、うらやましさなどみじんこほどもおぼえない。
「持っとけ。お前が迷子になったときの目印になる」
 迷子になんかなるか、子供扱いするな、と反駁するかと思いきや、知世は玲の顔をためつすがめつまじまじと見て、さも心配そうに口をひらいた。
「どうしたんだよ、お前らしくないぞ。薄気味悪いな。おれがはぐれたら、置いてきぼりにしてさっさと帰りそうなのに」
「そうか、その手があったな」
「もし離れ離れになったら、おれのこと、探しにきてくれるのか? いや、実際にきてくれるかはともかく、そんな発想ができるようになったとは……。人として正しくまともにまっとうになってきたもんだなあ。いやはや。真人間ばんざい」
「何をそんなに感動してるんだか。お前こそ、いつからそんなざっくばらんすぎる口がきけるようになったのやら。
 それよりお前、そんなに風船が好きなのか」
「うん。だってさ、こうしているとうきうきしない? 正しい休日のお出かけって感じしない?」
 理解に苦しむ論理と発想と感性だ。
「おれ、家族でどこかに出かけたことないからさ。動物園とか遊園地とか、そんな特別なところじゃなくても。デパートに行ったりレストランでごはん食べたりなんてことだってなかったよ。
 おれも母親も、父親のこと苦手だし、父親もおれのこときらってるし。母親はおれのこと大事にしてくれてるけど、でも、どちらにもどこかに連れて行ってもらったことなんてないな。だからさ、日曜日、家族連れで、風船を持って街を歩いてる子どもがうらやましくってさ。ふつうの家族ってこうなのかなあって。
 あこがれてたんだ、だから。風船にさ」
 謎めいた思考回路の一端が、ここであらためて浮き彫りになったかたちに。
 高校に入学したばかりのころ、彼のことを「知世」と呼んだら、このおたんこなすのとんちきは、きょとんとしてまわりをきょろきょろ見まわしたものだった。
「今ここにお前しかいないだろ、知世って名前の人間は」
「ええっ、おれ?」
 知世は、一メートル五十センチばかりずざっと後退した。
「ちょっと、下の名前で呼ばないでよ!」
「なんでだ。お前が知世って名前なのはみんな知ってることじゃないか」
「でもっ」
 目許が朱を刷いたように染まっている。おもしろい。だが不可解だ。
「おれのことも玲って呼べばいいじゃないか。それでとんとん、どっこいどっこいだろ」
「そういう問題じゃなくて。ほかの人に聞かれたら、妙に思われるって」
 妙なのはお前だ。
「だったら、誰もいなかったらいいってことだな?」
 けっして快諾とは表現できない歯切れ悪い態度で、知世はうなずいた。にじみ出る苦渋。
「……うう。それなら、まあ、いい、よ」
「今、思いっきり間をあけたな。よし、決めた。第三者がいないときは、お前もおれのことを名前のほうで呼ぶんだぞ」
「ええー。『春日君』のままにしとこうよ」
「いや、玲でいいって。あ、気がとがめるなら『さま』をつけてもいいぞ」
「いやいやいやいや。そこまでは!」
 知世は首も両手もちぎれよとばかりぶるんぶるん振った。いい度胸だこと。
「ほれ、言ってみろ。もじもじするなよ思いきり悪い。たったの四文字だろうが」
「玲……」
 結局「さま」はつけずに二文字にして、現在に至っている。

 電車を降りて、しばらく歩いた。生花店で花を買い、大きな霊園に入っていく。盂蘭盆にはまだ早いせいか、ひとけがない。緑に染まった木洩れ日と、蝉しぐれがふたりをつつんだ。ふしぎと、痛いほど太陽が照りつけているのに涼しさを、うるさいほど蝉が鳴きたてているのに、静けさを感じさせる。
「ごめん、おれ、お墓参りだなんて知らずにはしゃいじゃって……」
 知世は冴えない口ぶりでしょぼくれた。
「墓参りはきらいか?」
「違うよ、そうじゃなくって……。騒いでごめん」
「なぜ謝るんだ、面妖な」
「怒ってる?」
「なぜ怒る必要があるんだ?」
 はじめて見る墓石の前には、真新しい花が供えてあった。何者かが先に来たようだ。
 大輪の白百合の花束。昨夜は行かないって言っていたくせに。つくづく、似たもの親子でためいきがもれる。
「そうそう、お線香は? 水は? ちゃんとした作法も知らないの?」
「知らん。やったこともない。今日がれっきとした墓参りデビューだ」
「いばるな、胸を張るな、ふんぞりかえるな。ははーん、わからないからおれを連れてきたってわけだろ?」
 知世がとんちんかんな結論に達しているのも、いつもの通り。
 先達のレクチャーにしたがって、玲は正しい墓参りをすませた。

「おい、真っ赤だぞ、ほっぺた」
「へーき……」
「嘘がへただな。隠しとおせる余裕がなかったら率直に言え、たがいに面倒になるだけだ」
 玲は、ぴしゃりときめつけた。
「うんわかった、ちょっと休みたい……」
 春日家の墓をあとにして、もと来た道を歩いているときだった。
 墓地にほど近い寺院の木陰に力なくへたりこんだ知世は、ひらひらと帽子で顔をあおぎ、服の襟を左手でぱたぱたさせて風を送った。
 まだ、ペットボトルの飲料水を持ち運ぶ習慣がない時代なので、自動販売機でも見つけないかぎり、水分は摂取できない。
「そんなに暑さに弱かったっけ、お前。全然汗かいてないな」
 指摘された知世は、襟ぐりを広げて自分の服の中をのぞきこんだ。それから、片腕を上げて、わきのにおいをくんくんかいだ。
「それがくせものだよ。汗がかけないから、体温調節できないんだよ。体内に、熱がこもってばてる。
 体育の時間も、よく先生に怒られるんだよなあ。涼しそうな顔して、本気出してないと思われてるみたい。こっちは倒れるくらい必死なのにさ、冗談抜きで」
「ああ、たしかにお前、卒倒するまでがんばりそうだよな、あほうだから。ちっとは手抜きすりゃあいいのに」
 心地よい風がわたってきて木の葉をゆらし、色の異なるふたりの髪をそよがせた。
 知世は大木の幹にもたれ、気持ちよさそうにのびをした。ずいぶん、くつろいでいる。かつての、おびえたような逃げ腰及び腰のへらへら笑いは、影もかたちもなくなっていた。
 鈍くて足りなさそうな感じが如実にあらわれてるな。桜花(おうか)高校開闢以来の秀才という名声をほしいままにしているくせに。「ぽやん」とか「ふにゃっ」とか、ぱ行やは行ではじまるオノマトペがぴったりだ。
 ふと、脳裏にひとつの考えがよぎった。もしかして、みんながこぞって口をそろえる「可愛い」というのはこのようすをさすのだろうかと。これまたよくわからん。
 黙考しつつ、とみこうみしていると、知世がかるく柳眉を寄せた。
「何をそんなに見てるんだよ、穴があくだろ。
 あそっか、こんなところで足止めくわせてるから怒ってるんだ。ごめん。せっかくの誕生日なのに、おれのわがままばっかりで。もう行こうか」
「無理するな、お前がへばって困るのはおれなんだから、もうしばらく休んでろ。もちろんこれは命令で、お前に逆らう権利はないからそのつもりで」
「へいへい、仰せのままに」
 誕生日だから大目に見るつもりなのか、めずらしくやたらと寛容で聞き分けがよい。玲は、笛ラムネを取り出して、知世と自分の口にひとつずつ入れた。
 玲は着替えも持たずに七瀬家に一泊したので、知世の服を借りていた(いちばん大きいものしか選べなかった。夏でよかった)。今朝の食事も七瀬家の人びととともにし、同じものを食べた。浴室もせっけんもシャンプーも使わせてもらった。
 洗剤もせっけんも、七瀬家の庭で栽培したハーブを用いて女主人が手づくりしているので、知世の寝具も衣類も、せっけんもシャンプーも、花の香りがする。
 すぐ隣で、木に背中をあずけ、風に髪をなぶらせて眼を閉じている知世からも、花の香りがする。
 だから今の玲は、知世と同じにおいがするはずなのである。
 はからずも、昨日今日と、家族ごっこばかりしている。
 知世のバッグにしっかり結びつけられた、とことん場違いな風船を指ではじきながら、それが妙にここちよいことに玲は首をひねった……。

20050621
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