第四部
第五話 双子に関する一考察
田浦悠里(たうらゆうり)は、滝沢陽耶(たきざわあきや)、季耶(ときや)という一卵性双生児の兄弟と幼なじみだ。
家がお隣どうしだとか、親が友達どうしだとか、そんなできすぎた設定はない。しかし保育園時代から、互いに家を行き来しているので、双方の家族とも気安い関係を築いていた。
双子を、いつからどこで区別できるようになったか、そのあたりの記憶はあいまいだ。
どこもかしこも瓜二つなのである。本人たちも時おり区別がつかなくなるそうで、手や足を見ていると、自分のかかたわれのかわからないときがある、と、高校生になった今でもそう言うのだ。
自分の意識がやどっているのが自分の体だと悠里はあたりまえのように感じているのだが、ふたりにとっては必ずしもそうではないということか。自分がもうひとりいるようなものではないか。悠里の感覚では、理解に苦しむところである。自我のめざめのプロセスは、悠里と彼らとでは少しく異なるのかも知れない。
鏡がいらないというのも、悠里にはぴんとこない不可解なところだ。自分と寸分たがわぬ姿をしているものが、自意識と関係なしに動いているなんて。おまけに、自分の声を外部から耳にすることができるなんて。
ふたりにはふたりの世界があって、なんだか疎外されている気持ちになることもあった。ひとりがふたつの体にいるような、ふたりぶんの体でひとりのようなものである。
しかし、少しずつわかってきた。いずれの面でも兄の陽耶のほうが、ごくわずかに、だがあきらかに季耶にまさっていることに。
季耶も尋常ではない突きぬけぶりを披露してはばからないときがあるが、陽耶の場合はなみたいていではない。メーターの針もちぎれよとばかりに振り切れている。
ファストフード店に入れば、若い女性店員に「きみ、お釣りはとっておきたまえ」とにっこり笑うわ(小銭ごと彼女の手をしっかり握りしめてだ)、田浦家に遊びに行けば、悠里の母に「今日もかがやくようなまぶしい笑顔ですね」と無邪気にほほえみかけるわ。顔を赤らめた彼女たちの笑いをさそうことに失敗したためしはない。
遠足の時間、悠里が気になっている女子のもとまでおやつのバナナを持っていき、慇懃な姿勢で悠里をさして、
「どうぞ。あちらのお客さまからです」
真顔で言うこともあった。
陽耶がおちゃめな言動に及ぶたび、悠里と季耶は尻馬に乗ってみせるから、ひとくくりに「お調子者三人組」との称号を奉られるに至った。
しかし、本当に非凡さでぬきんでているのは、三人のうち陽耶なのだ。同級生や教諭たちが気づかなくとも、悠里は熟知していた。きっと、季耶も。
季耶はどう思っているのだろう、としばしば悠里は考える。もうひとりの自分だと思っていたかたわれに、どんどん水をあけられていくのは。追いつけないほど遠くに行かれてしまうのは。
性格や趣味嗜好や感性が違うのならまだいいのだが、同じ遺伝子、同じ体質、同じ食生活、同じ家庭、同じ服、同じ住居、同じ学校、同じ町、似たりよったりな人間関係のせいか、内面もまた非常に共通していた。そのぶん顕著に露骨に残酷に差があらわれる。
だが、その件に悠里も季耶も陽耶も触れたことがない。相も変わらず三人でつるんで、毎日機嫌よくばかな所業に精を出していた。
だが、三人で遊びほうけるそんな生活が、いつまでもつづくわけがない。
陽耶は地元の若葉高校、季耶は家から離れた桜花高校へと進学を決めた。
それまで、何でもかんでもひっついていたふたりが、決定的に別々の道を選んだのである。
陽耶は「男子校なんて死んでもいかない」と言い張り、季耶はしつこくつきまとってくる女子がいるから若葉はいやだと決意を表明した。
ついでにいうと、桜花高校のほうが偏差値が高く、陽耶の成績では少々安全圏からはずれていた。
滝沢家の長男は、「末は博士か大臣か」の神童が、「二十歳すぎればただの人」になる典型だ。才能はありあまっているくせに、何しろ努力が大きらいなのだ。
(いや、苦労せずともなんでもできるのが当たり前だったために、そもそも努力というもののやりかたを知らないこともありうる。それはそれで不幸といえよう。)
たちの悪いことに成績が落ちても屁とも思わない。真の天才っていうのはそういうものなのか。
学業成績は低空飛行すれすれなのに、学年一の秀才でも四苦八苦した数式を直感とひらめきであっさり解いてのけ、みんなの賞賛と感嘆を浴びることもあるのだ。そんなときは立ち上がって、「みなのもの、静粛に」という身ぶりで両腕を振ってみせる、そのおどけっぷりが、うまいこと、憎めないキャラクターづくりに一役買っているのだ。
陽耶といれば、退屈の二文字からは永遠に無縁でいられる。わかりきったことだった。
わかっていながらどうして、自分が桜花高校にすすんだのか、悠里ははっきりと答えを出していない。
「おじゃましまあす」
悠里はひとこと声をかけ、滝沢家に上がった。両親は共稼ぎなので、今は長男坊と次男坊しか在宅していない。
かって知ったるひとの家とばかり、戸締りをして階段をのぼり、陽耶の部屋のドアをひらく。むろん、いちいちノックなどする間柄ではない。
「やっほう、ゆーりん」
勉強机の椅子にかけた陽耶が能天気に手をふった。季耶はベッドにすわっている。
「なんだよ、改まって呼び出して」
悠里はじゅうたんにあぐらをかきながらふたりを等分に見比べ、たずねた。
季耶は、首をかしげて肩をすくめるジェスチャーをする。陽耶が重々しく切り出した。
「単刀直入に言うとだな。ある実験をしたいんだ。ゆーりんにも立ち会ってもらいたくて」
「実験?」
悠里は季耶と異口同音に問い返し、顔を見合わせた。陽耶は神妙なおももちである。こんな表情のときは、とんでもないたくらみを実行する前か、しでかした後に決まっているのだ。
「おれたちも、もうお年ごろなわけだろ。いつなんどき、好きなひとと手に手をたずさえてめくるめく世界に足を踏み入れるかわからない。相手に不快な思いをさせないように、予習しておく気づかいが必要かつ重要だ。
そんなわけで季耶」
弟の顔にぴしりとお気に入りの扇子をつきつけ、しかつめらしく命令をくだした。
「お前、おれの相手になれ」
「……はあっ?」
季耶と悠里はそろってすっとんきょうな声を上げた。
「なんでおれなんだよ?」
「とうとう血迷ったかあきやん。いつかこんな日がやってくるのではと覚悟はできていたけども!」
何をうろたえるか、といった風情で泰然と、陽耶はこたえた。
「落ち着けふたりとも。
いいか、おれは、行為の最中に鏡を見ることができないだろう。でも季耶を見ながらすれば、その問題は解決するんだ。
それから、おれに触れられた相手がどういう感覚になるのかもわかるしさ。相手のそういうことを知っておくのも愛ってやつだろう。こればっかりは、自分で自分のこと触ってもわからんからなあ。自分の感触を客観的に分析できるって、そうはないぞ」
あくまでも本気、どこまでもまじめそのものだ。
悠里は今さらながら確信を深めた。
やはり陽耶は常人じゃない。
「つまりだ、これはお前にもあてはまるんだぞ、とき。お前も実験されるだけじゃなくて実験できるんだ。双方にとって便利でお得、利害の一致だな。
おれの言うこと、どこか間違ってるか?」
自信満々に胸を張る。あきれかえってにわかにことばも出ない悠里にかわり、季耶が口をひらいた。
「で、ゆーりんの役割は?」
「もちろん、ブレーキだよ。おれだって、いかにゆーりんの前とはいえ、愛する弟の痴態をさらそうと思わないからな」
「お前はとんまなのか? 陽耶!」
陽耶は、あっそうか、とこれまた真顔でぽんと手を打った。
「気づかなくて悪かった。ゆーりんもまざりたいよね、ごめんごめん」
「そーじゃないだろっ!」
「んー、おれは仲間入りしなくていいよ、ここでしずかに見守ってるから」
「見捨てる気か! 心の友がピンチにおちいっているというのに!」
「まあまあ、そう恥じらいなさんな。これは実地訓練なんだからさ。
好きなひととじゃなきゃいやなの! って思ってるんなら安心しろ。こんなのものの数にも入らないぞ」
「軽佻浮薄なお前と一緒にするな」
「ふーん。じゃあ、いざその場にのぞんだとき、りっぱにやりとげる自信があるのか? イメージトレーニングだけでいいのか?」
「だからって、はじめから上手すぎても不信感をあおるだけじゃないか!」
「ああ、つべこべうるさい口だな、ふさいじゃうぞう。ほれほれ」
「こらあ! やめろ! 寄るな触るな近づくな、この変態! 破廉恥! 痴漢!」
「おや? 怖いのか季耶君。 昔はよくチューしたじゃないか」
「義務教育前の話だろ! 人生の汚点をこれ以上増やすな!」
見目麗しい、寸分たがわぬ容姿をした少年ふたりが頬を寄せ合い唇寄せ合っているのなら、一部のマニアの垂涎をおおいにさそう扇情的な光景になるだろうに、このふたりでは、色気がすっぽり欠落した様相を呈している。まるきりギャグかコメディーにしかならないのがいかんともしがたく。
そんな図を眺めているうち、悠里の脳裏に、不意にひとつのひらめきがよぎった。
幼児のときからのつきあいなのに、いまだにさっぱりつかめない陽耶の行動パターン。あのひとに似ていやしないだろうか?
表面上はまるで別人だし、いつもむだにむやみに上機嫌な陽耶をほうふつさせる点はつゆほどもないように見えるのだが。
見ていて飽きないというか、周囲を巻きこむ突拍子のなさというか、そういうのが。
季耶が興味をひかれて近づき、師匠として崇敬している上級生、どこまでもクールすぎる春日玲に。
なるほどそうか、そうだったのか。
兄とは袂をわかったように見えても、季耶は心のどこかで常に求めているのだ、陽耶のおもかげを。
「ときやんっ!」
ほうほうのていで、陽耶の魔手からのがれて悠里のそばへと退避した季耶は、感極まった悠里にいきなりぎゅむっと力いっぱい抱きすくめられた。よくよく厄日に違いないが、悠里が頓着することではない。
懸命にもがきつつなにやら抗議しているらしき声も、胸に顔を押しつけられているせいでもごもごとしか聞こえない。
ほおずりするがごときの勢いで、悠里はぎゅうぎゅう腕力を強めた。
「もう、可愛い! なんて可愛いんだときやんは!」