ふるふる図書館


第四部

第三話 仲間に関する一考察



 桜花高校では、地元との交流をはかるという目的のもと、月に一度、外周清掃というものを実施している。学校の周辺を、ごみを拾ったりほうきで掃き清めたりしてきれいにするという、全校生徒全員参加の催しだ。
 綾小路史緒は、飛鳥瑞樹、入江彰のふたりとつれだって校門を抜けた。見上げた土曜の梅雨空はどんよりくもって重苦しかった。
「おや、お三方。あいかわらず仲よしさんだね」
 だが、竹ぼうきを手にした森川知世に遭遇し、史緒は笑顔になってしまった。愛嬌たっぷりの知世はひとことでいうなら、ファニーフェイスなのである。つまり、おもしろい顔。
 そのとき。
「ミズキ?」
 聞き慣れない声がした。その発言が瞬時に、史緒の脳裏で片仮名に変換されたのは、あきらかに英語なまりだったせいだ。
 史緒がふりかえると、何を食べたらそんなにすくすくにょきにょき育つのだと、首をかしげたくなる大柄な人間が見えた。あきらかに欧米系だ。
 雲をつくよな大男の存在感と、瑞樹の名前をむやみやたらと連呼するのとでおどろく生徒たちに眼もくれず猪突猛進、大きなストロークでまっしぐらにこちらに向かってやってくる。
 瑞樹は、ささっと知世の後ろにかくれた。
「瑞樹君の知り合い?」
 知世の問いに首を振る瑞樹。さもいやそうだが、いつもの表情でもある。本心は不明だ。
 たちまち到着した異邦人が、知世の背後をのぞきこんだ。瑞樹は、知世の体を盾にしてよけた。
 英語を操りながら異邦人が反対側に回りこむ、と、瑞樹もすばやく回避する。
 ふたりの動きに合わせて右へ左へと、なすがままに首振り扇風機のごとくくるくる向きを変えさせられていた知世だが、本格的に眼を回す前にどうにか機会をつかんだようだ。彼らに対峙した。
「ちょっと、ちょっと待ってよ。どういうことか、説明してくれない?」
 請われた瑞樹は、ためいきまじりにしぶしぶ声を発した。
「しりあいです」
 そりゃあ、見ればわかるがな。
 くだんの異人がまたもやぺらぺらと瑞樹に話しかけてきた。瑞樹は仏頂面で、ぶっきらぼうに二言三言返した。そのさまに、史緒は信じがたい気持ちで瞠目した。
 誰だって、石が口をきけばおどろくだろう。
 しかも、英語だったのだ。ふだんしゃべっている日本語よりもよほど流暢な。おまけに、いつもよりもセンテンスがはるかに長い。億劫そうなのは常と同じではあるが。
 驚愕なんていう生やさしいラインをかるがる飛び越えて、なんだかぼんやりとしてしまった。
 史緒が腑抜けになっている間にも、会話はとどこおりなく進み、学校がひけたら瑞樹と異邦人は校外で落ち合うことにまとまったらしい。
「おれも行くっ!」
 知世が勢いよく挙手した。話の展開がわからず、どうして森川先輩が? と思ったときには、史緒も名乗りをあげていた。
「ぼくも!」

 喫茶店「ハーツイーズ」に集った面々。
 まずは正体不明の異邦人。くすんだ金髪に血色のよい肌。恰幅がよく、ひげを生やしており、若いのだかそうでもないのだかとんとわからない。
 飛鳥瑞樹。黙然とむっつりと、椅子にかけている。いつもと別段変わったふうには見えない。
 それから、森川知世、入江彰、綾小路史緒。どこから聞きつけたものか春日玲(かすがれい)まで抜けめなく出席していた。
「きみたち、ミズキのトモダチですか?」
 片言に近い日本語で異邦人が問いかけた。
 友達か。そう改めて聞かれると、はたしてどうなのだろうかと史緒は逡巡する。たとえ、こちらがそう思っていたところで、瑞樹本人はそう認識しているのかは、まったくもってあやしいところだ。
 彰が「そうです」と、はっきりあっさり、こっくりとうなずいた。
 すると新たな質問が浴びせられた。
「じゃあ、ミズキがアメリカの映画スターだったことは知ってるね?」
 びっくりして、史緒は瑞樹の顔を見た。知らなかったのは、ほかの者も同様だったとみえる。玲以外は。
「お前は知ってたのか?」
 ひとり端然とかまえる玲を、知世が鋭く見とがめた。
「最初に会ったときは気づかなかったがな。ずいぶん昔の話だ。MIZUKIという名前で出演した映画が、大ヒットをとばしたんだ」
 なるほど、それで。唐突に知世から瑞樹君と呼ばれても違和感をおぼえなかったわけだ。
「出演依頼が殺到したが、次回作が日の目を見ることはなかった。MIZUKIは忽然とマスメディアから姿を消してしまったからな。
 まさか、日本でごく普通に高校生活を営んでいるとは、誰も思ってなかっただろうな。このおれさえも知らなかったし」
「ふへえーっ」
 史緒と彰が感嘆の声を上げる中、異邦人が肩をすくめて首をふり、熱弁をふるいはじめた。感情が激しているのか、またしても英語だ。オーマイゴッドとかいう、いかにもありがちなニュアンスということはわかるが。
「なんて言ってるんだろ?」
「早口で、聞き取りづらいねえ」
 史緒と彰が顔を見合わせる横で、玲が淡々と通訳した。
「『ほんとうに友達なのか、瑞樹のことを何も知らないとは』」
「そんなこと言われてもねえ……」
「『せっかくわたしが見出した子なのに、こんなところにいてもなんらメリットはない。本格的なレッスンなど、何も受けてないんだろう。才能を埋もれさせるだけだ。
 瑞樹、ニューヨークに一緒に帰ろう。小さいときからずっとレッスンしてきて、きみは演劇のために生きているようなものだったじゃないか。今の生活がいいわけがない。
 今、新作映画の撮影をしている。諸事情から、まだ主役が決まっていないうちにクランクアップになってしまった。あの役をやれるのは、瑞樹、きみしかいない。もちろん一緒に来てくれるだろう』」
「待ってください」
 知世が口を入れた。玲がひきつづき知世の英語を翻訳する。
「『さっき学校でも言いましたが、本人の意向も聞いてみないうちには、突然そんなことをおっしゃられても納得できません』
『聞くまでもない、瑞樹の態度がその答えだ。こんなに精彩を欠いたつまらなそうな瑞樹は、アメリカで見たことがない。あのころの瑞樹は、実にいきいきしていたよ。よく笑って、泣いて、怒って、楽しそうだった』」
 あのう、まるきり想像できないんですけど。
「そっかあ。飛鳥君、楽しくないのか。この生活が」
 彰がしょんぼりと肩を落としてうつむいた。
 こんなところで悪かったな、しょせんぼくはスケールの小さい日本で育ったただの凡人ですよーだ。史緒は映画監督とおぼしき人物に、声に出さずに悪態をついた。
 湾岸戦争の勃発も記憶に新しく世界平和はせつに願うものの、日米友好の気分には、今はなれない。
 監督は、自信にみちあふれ、どこか尊大にさえ見えた。持たざる者のひがみだろうか? それを言ったら、春日玲も監督と同類なのだけども。
「どうして飛鳥君は日本に来たの?」
「かていのじじょう」
 彰の質問に返ってきたのは、簡素をきわめた抑揚のない答えだった。まるで音声の羅列だ。英語でも日本語でも、しゃべることは大儀きわまるらしい。
「『瑞樹の親族は、映画に出ることに反対なんだ。だから日本に強制的に送られた、そうだよね、瑞樹。チャンスさえあれば、また映画界に戻りたいだろう?』」
 ミズキミズキとなれなれしく呼び、あまつさえ瑞樹の頭や肩に手を置いたりするが、瑞樹は平生と変わらない。さては監督、与太をとばしてないかと勘ぐりたくなった。
 だが、長年思いをかけてきた少年を探し当てたことに有頂天、うれしさ絶頂なのか、監督はとんと気に病まないごようす。
「『どうした、瑞樹、照れてるのか? 相変わらずシャイだな。しばらくぶりに会ったんだから、もっと喜んでもいいんだよ。はっはっは、つつしみぶかさが日本の美徳だったか?』」
 並はずれて内気だったのか。そうだったのかもしれない。史緒は、飛鳥瑞樹という級友のことを本当に何も知らないと痛感した。かってに苦手意識など持って、彼を避けていた自分を強く恥じた。
「『わたしの映画に出てくれるね、瑞樹。すばらしい映画だ、絶対気に入るよ。何度オーディションをしても、きみ以上にイメージにぴったりな子はいなかった。もう撮影ははじまっているんだ、時間がないんだよ。航空券も用意した。家族への説得は、もちろんわたしがする。
 なんだったら、今夜にでも発つといい。なあに、きみを受け入れる用意はすぐにできる。きみは体ひとつでこちらに来ればいいんだ。いろいろな書類は、あとでどうとでもなる』」
「ずいぶんまた急な話だなあ」
 彰が吐息をもらした。
 知世がふたたび口をひらいた。
「『おれたち、演劇のサークルをやっていて、もうすぐ発表会があるんです。瑞樹君が抜けたら、たいへん困ります。あなたにも、ご理解いただけると思うのですが』
『ふう、やれやれ、そんなお遊びをやっているのか。
 ああ、失礼、そんなつもりはなかったんだが。しかしね、やはりプロの世界とはちがうんだよ。きみはちゃんとそういう教育なりレッスンなりを受けてきたのか?』
『……いいえ』
『話にならないな。素人の高校生の趣味におさまる器じゃないんだよ、彼は。それはきみにも、わかっているだろう』」
 こんな暴言を吐かれたら怒りそうなのは玲だと思っていたが、意に反して平静に訳をこなしていた。かえって、知世のほうが歯ぎしりなり唇をかみしめるなりしそうなおももちで憮然としている。反駁しようにもできない、といったていだ。
「『もちろん知っていますよ! でも瑞樹君はなくてはならない大事な存在で……』」
 出演者が飛鳥瑞樹ひとりしかいないなど打ち明けようものなら、監督はさらにそこをついてくるだろう。知世はぐっとつまった。
「『瑞樹のためを思うなら、成功させてやりたくないか?
 突然でおどろかせたのはすまなかった。きみたちの名誉や自尊心を傷つける発言についても、おわびする。
 だが、こちらも瑞樹を得たくて必死なんだ。わかってほしい。
 さあ瑞樹、われわれはおいとましよう。ふたりでじっくり話し合うことが必要だ』」
 監督は、瑞樹の腕を引いて立ち上がった。財布からお札を抜いて、テーブルに置く。新渡戸稲造だ。
 知世は固辞したが、監督もゆずらない。押し問答の末、玲が「じゃあおれがもらっておく」と言って、ちゃっかりポケットに入れてしまった。

 ドアの真鍮のベルをからんと鳴らしてふたりは出て行った。
「相手はうなるほどの金持ちなんだ、おごらせておけ。どうせお前は知らないだろうが、有名な映画監督だからな」
「だけどばかにしてるじゃないか、五千円で瑞樹君をあきらめろだなんて」
 玲に応じる知世は、さっきまでとはうってかわっていた。柳眉を下げ、とんがった唇はへの字にひん曲がっている。まるで五歳児のくしゃくしゃな泣き顔だ。
「そうと決まったわけじゃなかろう」
「でも、おれには引き止める権利なんてないよ。たしかにおれはどがつく素人だし、瑞樹君の才能を生かしきることができないし。全部あの監督の言ったとおりだもん。瑞樹君だって、世界のひのき舞台に立つほうが幸せなんだよ。今までおれたちにつきあってくれただけでも感謝しなくちゃ」
 しんみりと暗くしめっぽい声で、せつせつと話す。
「先輩、そんなこと言わないでくださいよ! 演劇同好会は、積年の夢だったんでしょう? ここで頓挫していいんですか?」
 史緒は、後輩という立場も忘れて檄をとばした。
「夢だったら、もたもたうだうだぐずぐずうじうじためらっていないで、もっと早く行動していればよかったんだ。臆病にならずにさ。気づいたら、もう卒業じゃないか。わざわざ日本にまで飛んでくる監督に負けてる。悔しいけど負けてるよ」
「先輩……」

 明けて日曜日、午前十時。
 川の土手に、ちょこなんと体育座りをしている知世の後姿が見えた。ぽつんと小さい背中が哀愁を負っている。
 ここは、約束の場所。同好会のけいこ場所。
 しかし、飛鳥瑞樹の姿はない。
「先輩、飛鳥君は……?」
 歩み寄り、おずおずとたずねたが、知世は微動だにしない。先輩、と呼びながら肩をぽんとたたくと、ひざこぞうを抱えこんだ態勢のまま、こてんと横にころがってしまった。くたんと草っぱらに寝そべり、起き上がる気力を徹底的に放棄している。
 彼は来ないのか。もしや、すでに遠くアメリカに旅立ってしまったのか。
 ひとことの挨拶もなしに? やっぱりそのていどの関係だったのだろうか?

20050428
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