ふるふる図書館


第三部

第八話 三角関係の脅迫者



「やったあ、いいところに来たっ。これぞ神さまの思し召し。ちょうど多忙なところに救いをおつかわしになるとは。ああ、きみの背中に純白の翼が見えるよときやん」
 新聞部の部室の前を通りすがったのが運のつき。田浦悠里は目ざとく滝沢季耶を見つけ、ここで会ったが百年目とばかりに、とびつくやいなやその腕にしっかとしがみついた。
「だめ。忙しいから」
「なーにをおっしゃる、帰宅部が。文芸部、辞めたじゃないか裏切り者。おれと一緒に新聞部に入ればよかったのに。ねえ手伝っとくれよう。発行日に間に合わないんだ。猫の手も借りたいんだよ」
「猫に手があるか。足しかないぞ」
「そのありもしない手が欲しいほど、せっぱつまってるんだ。ときやんはりっぱに手があるじゃない? 二本もあるんだ、一本くらい貸してくんろ」
「相棒はどうしたんだ」
「要ちんは予備校だってさ。たのむよ、この通り」
 季耶はちらりと部室をのぞいた。ガリ版で刷ったわら半紙が机に山と積まれている。
「そうかそうか、がんばれよ。おれはこれから師匠と逢引き。挽肉のことじゃないぞ。今日は森川先輩の家に顔を出すという情報をしいれたんでね。おやつがガトーオペラだから、師匠が来るのは確実だな」
「師匠って、あの、春日玲のこと? ひどいわ、ひとりぼっちでこんなに苦労しているあたしよりあの人を選ぶって言うのねっ」
「うん」
 季耶は真顔でうなずいた。間髪入れず。実もふたもなく。
「ときやん~。おれたち長いつきあいだろお。いやよお願い捨てないで。どうしてそんなにあの人がいいのさー。なれそめは何だよ」
「ふふふ。聞きたい? どうしても聞きたいよなゆーりん。しかたない、そこまで言うなら話してあげよう」
 季耶はにわかに笑みくずれ、部室に入ってきた。
「おれが最初にあの人を見たのは、入学したばかりのころでさ。放課後ひとりで校内を探検してて、最後に屋上に行ったんだ。鍵がかかってなくてドアを開けたら、あの人がひとりでフェンスにひじついてもたれかかってて。
 あの人、煙草くわえてたんだ。仮にも、校舎の中でだぜ。たいした度胸だとびっくりだよ。こっちがひやひやものだったよ。どきどきしながら気づかれないようにこっそりあの人を見てた。
 なんだかおとなっぽくて、すごみがあって、他人を寄せつけない、冷たい感じするだろ。鼻筋通った横顔がそんな雰囲気で。
 しばらくして、煙草を口から離したんだ。それがさ」
 季耶は思い出し笑いをかみ殺す。いつしかしっかりホッチキスを握らされ、新聞部の手伝いをさせられていることにも気づかず。
「煙草じゃなくて、飴だったんだ! それも今どきどこで売ってんだっていうぺろぺろキャンディー! うずまきもようの! チュッパチャプスだったらそんなに衝撃受けないよ。なんで黄昏迫る屋上で、ひとりかっこよく駄菓子しゃぶってるんだよ!」
「う、うーん」
 悠里は同調しかね、あやふやにうなずくことしかできない。
「まっ、要するにさ。念願かなって、天下に名高い桜花高校に入れて、これから貴重な青春をまっとうするんだって期待に胸をふくらませていたわけさ。いっぷう変わった個性豊かな人間たちに囲まれて、波乱万丈な毎日をすごすことこそ学園生活の醍醐味ってものだろ?
 おれってとりたてて特徴ない凡人だしさ。陽耶と一緒にいたころは、双子ってだけで注目浴びていられたけれど、はじめて離れ離れになって、そんなこともなくなるんだなって思ってた。
 そんななかあの人を眼にしてさ、ああ、ここは桜花なんだ、おれの青春がここから始まるんだなって思ったんだよなあ。あの人はおれの青春の象徴なんだ」
「ふうん。それでときやんは事件を起こしたがるんだねえ。納得納得。はてさてこれは何でしょう?」
 悠里は写真を取り出して、ひらりと季耶の目前につきつけた。
 季耶が往来で熱烈な抱擁をしている場面が、ばっちりおさまっている。相手は、恥じらうように体をよじるしぐさもういういしく可憐な美少女。じゃ、なくて。
「白昼堂々、大胆なんだからもう。ときやん、森川先輩とそーゆー関係だったのか?」
 めったにないことだが、悠里は機嫌をそこねた顔をした。よほど親密な人間でないと見逃すほど、ほんのつかの間のことだったが。
 森川知世をとられたことが気にさわるのか、ふたりがただならぬ間柄にあることを内緒にされていたことが不服なのか。はたまた、男どうしでいちゃつくなってことだろうか。
 季耶が手短に経緯を語ると、悠里は「さすがはときやん、後先まるで考えないよな」としみじみ感服した。
「目撃者がいるんだ。おれもあきやんも、男だなんてばらしてないけどね。地元じゃ、ちょっとしたうわさになってる」
 その件については、兄の滝沢陽耶から聞いた記憶がない。はて。ここぞとばかりにつっこんできそうなものだが。
 写真を撮った人物の名をたずねると、推測通りの名前が返ってきた。
 妹尾司(せのおつかさ)。写真部の二年生である。新聞部に、多数の資料を提供することで貢献している。見返り次第で、どんな依頼もひきうけ、完璧になしとげるプロフェッショナルだ。
 もちろんクライアントの秘密は絶対厳守。世の中財力だと公言してはばからず、一部の人間を鼻白ませているが、口の堅さと腕の確かさで、絶大な信頼をかちえている。
 桜花高校の生徒で見てくれがよい者は、誰もが隠し撮りのターゲットにされていると考えてもあながち間違いではない、と陰でまことしやかにささやかれているほどなのである。
「てことは、流言はまだ森川先輩の耳には入ってない?」
「地元の人間じゃなければだいじょうぶ」
「ふへえー、助かったあ。でも知られるのは時間の問題かあ。気炎を上げる人間は大勢いるよな。寄ってたかって私刑に処されるんだ。若いこの身を無残に散らすんだ。うう、骨は拾っておくれよ、ゆーりん」
「あきやんは多言しないだろうな。表に出さないけど相当ショック受けてるみたいだもん。弟に負けたって」
 ははあ、この点について言及してこない理由はそれか。思い知ったか。因果応報だ。
 悠里はにんまり笑った。
「つまり、おれが言わなければもれる心配はないってこと。妹尾っちから写真を見せられたのもおれだけだし。だからさ」
 季耶にヘッドロックをかけ、耳もとにつと口を寄せる。
「おれにゆすられて」
「ユスラレテ? 何それ食べ物の名前?」
「あのねえ。おれは、この写真をたねに脅迫してんの。恐喝してんの。たかってんの。おどしつけてんの。だから危機感と緊迫感を持ちたまえよ」
「言うことを聞け、さもないと『さくらジャーナル』に載せて大々的に公表するぞと?」
「そ。ものわかりいいね、季耶君」
 悠里は顔を接近させたまま、にっこり。
「むむう、そうきたか」
「おれの要求をのめば、秘密にしとく。春日先輩にもね」
 そう、このことを知られると季耶がもっとも困るのは、森川知世と春日玲なのだ。別に、知世ファンを自称する有象無象はどうだってよろしい。恨まれようが制裁をくわえられようが、束になってかかってこられようが屁でもない。それを、悠里はお見通しなのだろうか。
 そうかも知れない、保育園のころからのつきあいだ。
 幼いころからいつも、悠里と陽耶と三人一緒だった。三人一緒にいることが本当に楽しかった。悠里だけが、双子を一度も間違うことなく見分けてくれた。両親にもできなかったのに。
 だが十六歳になった現在、すっかり行動範囲が別々になってしまった。陽耶は別の高校に進学したし、悠里は二年生になってから新聞部の主力を担うようになったし。
 いや。季耶はふと思いあたる。原因として大きいのはむしろ、自分がほかのふたりをかえりみないようになったことなのではないかと。ほのかに、さみしさと後ろぐらさが忍び寄る。
「何がねらいだよ? 金? 宿題? 予習?」
「まずは新聞部の手伝いからね。それから今度、一緒にクレープ食いに行こ。新しくできた店あるだろ、駅前に。あと、映画にもつきあってよ。おれが全部お金払うからさあ。安心して、大船に乗った気でおれにゆすられていなさい」
 何だ、そのおどし文句は? と思いつつも、季耶はすとんと腑に落ちた心地がした。
「わかった。陽耶と三人で行こう。おれがあいつのぶんを出すよ」
 あにはからんや、悠里は腑に落ちない顔になった。
「なんでそこであきやんが出てくるの?」
 え? と今度は季耶がきょとんとする番だった。
「ときやん、まだ兄離れできてないの? だめだよ、脅迫しているのはおれなんだから、ちゃあんと言うことお聞き。おれはお前とがいいの。やだなー、ひょっとしてお兄ちゃんコンプレックス?」
 よしよしと、悠里が季耶の頭をなでる。柄でもなく感傷にふけった今の数瞬はいったい……。
「どうしてあきは誘わないんだよ。あいつは頭がいいし(悪知恵が働くだけだけど)、足も速いし(逃げ足だけど)、人当たりもいいし(世渡り上手ともいうけど)、明るいし(躁病っぽいけど)……」
 いったん言葉を切り、季耶は小声でつけくわえた。
「ゆーりんは、あきのほうがいいのかと思ってた」
 だから。自分は玲や知世のあとをついてまわっているのに。陽耶と自分は、どうせ切っても切り離せない関係だ、であるなら、せめて陽耶を悠里にゆずろうと。
 将来、社会人になるだろうし、結婚して所帯を持つこともありうる。いつまでも、三人一緒にいられない。それがわかっているから。
 陽耶のいないところで、悠里とふたりの時間を増やすことは出し抜いているみたいで、うれしいような後ろめたいような。
「ほおらごらん。お前あきやんがいちばんなんじゃないか。そうだよなあ。子宮にいるときからずっと一緒なんだもんな。一心同体、相思相愛。勝ちめないか」
 勝ちめないって、どっちに? たずねようとしたのに、舌が動かなかった。なぜだか。
 悠里がこんなに近くにいて、体温も鼓動もわかる。おもらしした回数だって初恋の相手の名前だって知っている。しかし今、悠里がわからない。否、自分の心情というべきか。
 季耶はかわりに別の言葉を口にした。
「どうだっていいよ、ばか陽耶は。ただ、昔みたいに遊べたらいいなって思っただけ」
「うんにゃあ。あきやん、女の子ばかりに眼がいって、全然かまってくれないもん。だいたいさ、女の子とじゃなくて、三人で遊ぶほうが絶対楽しいのに、全然わかってないんだ。
 もう頭きた。あいつなんかほっといて、ふたりで仲よくしよ、ときやん」
 そうかやっぱり悠里は陽耶のほうが……。兄には勝てないのか。どうしても。
 しかしひるがえってかんがみるに、季耶は、陽耶と悠里のどちらがいいかとたずねられたら答えられない自覚があった。
 そこがやっかいなのだ、季耶も悠里もともに陽耶がいちばんなら、同志というか共犯者というか共謀者というか、そんな連帯感でつながることができるだろうに。
「いいよ、おとなしくゆすられてやろうじゃないか。煮るなり焼くなり好きにせい」
「わーい。らっきー」
 悠里は季耶に回した腕の力を強くした。
「いてえよ。こら、おれはぬいぐるみか」
 いったい何だかなあ、この日常は……。

20040621
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