ふるふる図書館


第一部

第五話 お熱いのがお好き



 桜花高校の教室棟の奥、最西端に、部屋がひとつある。そこは、文芸部と漫画研究部の部室として使用されていた。
 扉はおおむね閉ざされていて、関係者以外は中をうかがうことはできないが、潔癖症の人間が卒倒しかねないほど、種々雑多な物体が氾濫している空間である。
 部員の私物を挙げるなら、教室に置ききれない教科書、辞書。万一家に忘れてきても、ここからひとのを拝借できる。
 または、教室で教諭に見つかると、没収の憂きめにあう漫画本。
 ポーズのデッサンのために、関節が自由に曲がる木製人形。
 インクつぼだの、丸ペンだの、かぶらペンだの、Gペンだの、ホワイト修正液だの、定規だの、スクリーントーンだの、イラストレーションボードだの。
 ほとんど漫研のものではないかという不満が、文芸部の二年生、滝沢季耶(たきざわときや)の胸中にわいた。
 だいたい、双方の部員が放課後ごとに、この部屋で何をしているか。本を読み、飲み食いし、同好の士が、ディープでマニアックな談義にひとしきり花を咲かせているのがほとんどである。
 季耶には、不本意なことおびただしい。
 むさくるしい男どもが、美少女戦士やら魔法少女やらの魅力を声高に言いたてるありさまは、彼にとってとうていいたたまれるものではなかった。
 たまりかねた季耶は、文芸部の先輩のひとりに相談をもちかけることにした。

「で? ここで話しあう必然性はあるのかい」
 森川知世が、不機嫌に疑問を投げかけた。
 無理もない。学校から帰宅してみたら、何の前触れもなく、招かざる客が二名も自室にいるのである。あまつさえ、片方は平然として悪びれず、片方は面識さえないのだ。
 おまけに、ちゃっかりとカスタードプリンまで食べている。
「だいじょうぶ。お前のぶんも調達してきたから」
 春日玲がよこしたプリンを憮然としたままひとさじ食べ、いぶかしげに眉根を寄せる。
「これ、タマゴドーフじゃないか?!」
「茶碗蒸しのほうがよかったか」
 季耶は笑いをこらえるのに苦労したが、さすがに気の毒になり、頬をぷっとふくらませている知世に自分のプリンをゆずった。
 知世は感涙にむせんばかりで、季耶の手を取る。
「ああ、きみはなんて慈悲ぶかいんだ。それなのに哀れだなあ、ひとを見る眼に問題があるなんて。
 何がうれしくて、こんな無情で非情で冷淡で冷厳で冷酷な人間に相談せねばならない?」
「ああそれは。春日先輩だけが、連中と一線を画しているので」
「春日と一線を画していない人間なんて、この世にいないと思うけどなあ」
「人をばけものみたいに言うな」
「あいたたた。暴力反対」
 ほっぺたをむぎゅうとつねられた知世だが、季耶には親身になって回答してくれた。
「部室に毎日、律儀に通わなくてもいいじゃないか。寄稿だけしておけば。こいつをごらんよ。まめに顔を出しているわけではないでしょ」
 かたわら、玲が茶をいれる。
「実は、部室の居心地がいいと思いはじめていたりして。ふとそんな自分に気づいて、これはまずいと危機感をおぼえたんじゃないのか」
「そんなことありませんっ」
 季耶は大急ぎで否定した。熱意をこめて力説する。
「おれは、自分をみがいて向上していきたいんです。知的な興奮と冒険と刺激を味わいたいんです。交際を通じて視野を広げて、好奇心を満たして、広範な知識を得られるような、そんな理知的な人とのおつきあいを望んでいるんです」
「そのために、文芸部に? どんなものにせよ愛着がすぎれば、はたからはあほうに見えるものだ。森川は演劇あほう。漫研部は漫画あほう。文学少年は文学あほう。
 対象は違えど、おのおの立派なあほう揃いだ。だから、文芸部にそんな期待を寄せるほうが間違っている」
 玲の毒舌に、知世は唇をとがらせてちょこんと肩をすくめた。
 季耶は、たまごどうふをすくうのを忘れて黙考した。おもむろに、スプーンを置いて玲に告げた。
「おれは、部をやめます」
「ずいぶん結論がはやいな」
「今わかったんです。自分に必要なものが何なのか」
「それはそれは」
 反応に、熱がないことはなはだしい。
「春日先輩、おれは、あなたひとりがいればいいんです」
 さしもの玲も、少々度肝を抜かれたようだ。プリンを食べる手が一瞬とまった。
「あなたこそ、おれの求めていた理想の人です。どうか師匠と呼ばせてくださいっ」
 知世が興味ぶかげに、両者を見比べている。やれやれ酔狂な、とその顔つきに書いてある。ありありと。
 玲は泰然と承諾し、おごそかに宣言した。
「かまわないが、道をきわめるのは厳しいぞ。ついてこられるか?」
「はいっ、お師匠さま!」
 知世がぼそりとつぶやいた。
「道をきわめると書いて、極道と読むんだよね……」

 季耶と玲は、知世の下宿を辞したところで、教諭の木野とはちあわせした。
 木野は周章した。植えこみのかげにひそんでいたのだから、当然だろう。
「お前たち、この家に用があったのか」
 どうやら、知世が住んでいることを知らないらしい。
「ええ。どうかなさいましたか」
 玲はしれっと応えた。
「いや、あの、うん。ちょっとな」
 教諭の態度は煮えきらない。
 この館の女主人、七瀬玖理子(くりこ)に恋慕して、このような行為におよんだといったところだろう。
 彼女は、あたり一帯を行動範囲にしており、校内でも謎のアイドルとして、一部のマニアに大人気なので、おおいにありそうなことだ。
「あら、どうかしたの、ふたりとも」
 玄関から、当の女主人が顔を出した瞬間を見計らったかのように、玲がことさら大きな声で語を継いだ。絶妙のタイミングである。
「そうですか。ひとの家の庭に隠れているのがちょっと、ですか」
 女主人が、大きな眼をさらに見ひらいて、口もとに両手を当てた。
「まあ。あなたですの? 下着泥棒は」
「何をおっしゃいますやら。めっそうもない」
 教諭がみるまに血の気も失せて、ぶるぶる首を振っているところへ、知世も姿を現した。
「犯人が見つかったの、伯母さん」
「オバサンだと? 失礼だろう、謝りなさい」
 教諭は知世につめよった。
「こんなに若くてきれいなお嬢さんに何てことを」
「きゃあ、いやだわ、そんな」
 はしゃいだ女主人、はなやいだ声を出す。
「何を勘違いしてるんですか。先生こそ下心がみえみえじゃありませんか」
「あなた先生でしたの。先生が盗みを働いていたんですの? いくらおだてたからって、見逃してなんてあげないんだからっ。あの黒いのは特に気に入っていましたのに。可愛い薔薇の刺繍がついてて。ここのところがレースになってて」
「あわわわ」
 教諭は水芸よろしく、鼻から血を吹きだした。空中に、真紅のダリアの花が咲く。
 玲はとっくに、高みの見物を決めこんでいる。
 騒動と混乱が拡大する中、季耶はわくわくと胸をおどらせていた。
「そうだそうだ、こういうエキサイティングで波乱ぶくみな日常生活を、おれは長いこと切望していたんだ!」

20040621
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