ふるふる図書館


第一部

第二話 わが家は花ざかり



 飛鳥瑞樹が、桜花高校の演劇同好会に入って間もない放課後。
 森川知世は、瑞樹と並んで校内のベンチに腰かけ、花見としゃれこんでいた。
 ひらひら舞い落ちる花びらに、かたむきかけた日ざしがやわらかくはじける。
「学校から部室がもらえるのは部だけなんだよ。同好会には固有の部室がないから、活動の場がないわけ。そこでだけどね。
 おれの下宿先に来ない? 今度の土曜日。今後の活動と方針について、打ちあわせしたいんだ」
「そういえば、お前の家に行くのははじめてだな」
 テトラパック入りいちご牛乳のストローから口を離してこう言ったのは、瑞樹ではむろんなく、春日玲である。
「お前も来る気か」
 知世はあからさまに眉をしかめたが、玲は歯牙にもかけなかった。さも当然と言わんばかりに胸をはる。
「おれは専属の脚本家だぞ」
 玲は文芸部に所属している。台本が必要なときにはよろしく、と知世に頼まれたことがあるのを、いまだにきっちりおぼえているのだ。
「それに、お前たちをふたりきりにするのは、危険きわまる。昨今、妙なうわさが流れているのを知っているか飛鳥君。火のないところに煙は立たないからな」
 無言でかぶりを振った瑞樹に、玲が懇切丁寧に説明しようとした。
「こら。不埒な発想をするんじゃない」
 知世は真っ赤になって、玲をこづいた。
 このふたりの関係は、二年前に出会ったときからちっとも変わっていない。
 いや、進歩がないと言うべきだろうか。

 知世は、母の生家の七瀬(ななせ)家に下宿している。
 七瀬家は、数百年も前から、周辺一帯の土地の所有者なのだそうだ。
 知世の母はふたり姉妹。姉妹の母、つまり知世の祖母は、六年前に鬼籍に入った。姉が家督を継いだ。その配偶者である婿養子も、四年前に胃がんで他界しているという。
 さて、土曜日の昼下がり。
 知世の案内のもと、玲と瑞樹は七瀬邸に到着した。
 高校から徒歩およそ十五分の場所に位置する、広壮な洋館が、古色蒼然たるおもむきを呈していた。
 手入れのいきとどいた庭に、色とりどりの花が咲き揃っている。チューリップ、桜草、蘭、ヒヤシンス、木蓮、水仙、パンジー。
 和風のものも洋風のものもあったが、不思議に調和して、違和感をおぼえさせない。家と庭にただよう、歳月の重みのためだろうか。
 うら若い女性がひとり、玄関に出迎えに現れた。
 高校生か大学生だろうか。色素の淡い肌や瞳や髪、小柄でたいそう可愛らしいところが、知世と共通していた。
 間違いなく血縁だろう。花もようの可憐なワンピースが、たいへんよく似合っている。
「まあまあ、いらっしゃい。知世ちゃんのお友達ね」
「ちゃんづけはよしてよ」
 知世は、苦虫を数十匹ほどかみつぶした。玲と瑞樹の視線を無視しようとつとめているのが、傍目からもあきらかだ。ちっとも成功していないが。
 彼女は、知世の抗議もどこ吹く風。満面にたたえた笑みはびくともしない。あっけらかんと話しつづけた。
「あらあら。あたし、あなたのおしめを取りかえていたのよ。お風呂も一緒に入っていたじゃない。今さら照れなくてもいいのに。反抗期かしらねえ、遅まきながら」
 玲は彼女の出現に、初めのうちこそいい心持はしなかったが、なかなかどうして愉快な展開になってきたではないか。
 他人の弱みを握ることほど、玲を楽しませることはない。ほかならぬ知世のものなら特に。
 若い女と知世が親密なのは、やはりどうにも気に食わないが。たとえ親族であっても。
 過去のあれやこれやを暴露されかけ、知世はそうそうにふたりを紹介した。
 玲は非の打ちどころがない優雅さで挨拶した。こういうことはお手のものである。また、貴公子然としたふるまいが自分に似合うことも熟知しているのだ。
 瑞樹は、ぺこりと無造作に会釈した。例によって例のごとく、その胸のうちはまったく読めない。相変わらず徹底した、無口、無表情、無関心ぶりだった。
 彼女は眼をかがやかせた。趣はそれぞれことなれど、ふたりともずば抜けて端麗な容貌なのである。
「知世がいつもお世話になっています。これからも仲よくしてやってくださいね。
 ほんとにこの子ったら、いつまでたってもお間抜けな、とぼけた子で。ちょっと、聞いてちょうだいな……」

 知世の部屋に入り、ドアを閉めるやいなや、玲はどっと笑いこけた。
 彼女は、春日玲を大笑させるという、異例の快挙をなしとげたのである。
 結局、過去のあれやこれやを暴露されてしまった知世は、むっつりとしている。その内容は、あえてここでは伏せておこう。本人の名誉のため。
 瑞樹が無愛想のままでいるのは、知世のなぐさめになったかどうか。実はかなりおもしろがっているのかも知れないが、内心はさっぱりうかがえない。
「ひさびさに腹の皮がよじれた。いやはや、おちゃめないとこだな」
「いとこはみんな独立して家を出てる。あれは伯母」
 玲は笑うのをやめた。
「せいぜい二十歳くらいに見えたが」
「おれの実の母の実の姉だよ」
 玲は知世の頬を両手ではさんで、しげしげと見つめた。
「そうか、お前の並はずれた童顔は血筋だったのか」
「何だこの手は」
 玲はかまわず、さらに顔を近づける。
「なるほど、あんなに若くて可愛い女とふたりきりで生活しているから、学校の男どもには眼もくれないってわけか。このおれというものがありながら」
「なんでそーなるんだっ。ええい離れろ、うっとうしい」
 知世は、のしかかる玲の体をひっぱがそうとやっきになっていたので、ノックの音のあとにドアがひらいたことに気づかなかった。
「あ。伯母さん」
「そうよね。不思議には思っていたの。どうして地元の高校に行かずに、わざわざ桜花高に入学したのかしらって。
 あなたのおうちのほう、男子校がなかったのよね。ごめんなさい。もっと早くに察してあげればよかったわね。
 いいの、何も言わないでちょうだい。このことは、伯母さんの胸の中だけにしまっておきますからね」
 お茶とお茶うけの盆を置いた七瀬未亡人は、慈愛と理解にみちたほほえみをうかべて、部屋を出た。
「ちょっと待てっ。誤解だ」
 知世は、長身の玲を押しのけようともがいた。
 今さらながら、玲の悪だくみにはまったことを察したところで、もう遅い。
「いいのよ、知世ちゃん。伯母さんには何もかもわかっているの。って言ってくれるさ。案ずるな。いい伯母ぎみを持ったな」
「勝手に独り合点しないでよう、伯母さあん」
 ようよう玲の下から抜けだすと、知世は伯母を追って廊下を走っていった。
 これだから、玲は知世から眼を離せないのである。いつ誰にあんなに楽しいおもちゃを横取りされるかわかったものではない。
 玲が常日ごろ、自分を取り巻くものすべてに対して感じる退屈。それを忘れさせてくれるのが、森川知世という人物なのだった。
 当の本人にとっては、迷惑このうえない話だろうけれども。自分の退屈しのぎ、ひまつぶしのためのおもちゃの人権など、尊重どころか認めもしない玲だった……。

20040621
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