おまけ
涙君はひとりぼっち
どうしよう、ハンカチ置いてきちゃった。
すごく大切なものなのに。
ぼくは後ろを振り返り振り返りして歩いた。
もちろん、さっきの子が追いかけて渡してくれるはずはない。
顔を血で汚して、ぐったりとうずくまっていた子供。
ハンカチしか入らないような小さなポシェットにはハンカチしか入っていなかったから、ぼくはそれでその子の傷を拭こうとした。
ぼくの手を激しく振り払ったときはちょっと面食らったけど、もう一度近づいたら突き飛ばされるなんて思わなかった。
地面にころがったまま身動きもとれなかった。
そんなに、ぼくは気持ち悪いの? 見ず知らずの子にまできらわれて意地悪されるほどなの? やっぱりぼくには友達なんてできないの?
相手に、ものすごい形相でねめつけられて、ぼくはすくんだ。
遠くからぼくを呼ぶ声がしたのを幸い、夢中で走って逃げ出した。その場に落としたハンカチをそのまま忘れて。
「どうしたの?」
ぼくの手を引いているいとこが、ぼくの顔をのぞきこんだ。
つい今しがたの出来事を話せば、明るく笑い飛ばしたりなぐさめたりしてぼくの心の重苦しさを、あっさり取りのぞいてくれるだろう。
でも、まだ生々しい、新しい傷をなぞるようなまねはぼくはできなかった。
「あれ、服が汚れてる。ころんだの?」
いとこが立ち止まったのをきっかけにして、ぼくは思い切って言った。
「ちょっと、落とし物しちゃったんだ。先に行ってて」
「あたしたちも一緒に戻るよ」
いとこは、ぼくにとことん甘い。
「ううん、ひとりでいいから」
なんとか説得して、ぼくはそっと、あの子に出会ったところへと足を運んだ。
宝物を取り返すには、勇気を出さなくちゃいけない。
建物の陰からこっそりのぞいた。
あの子がいた。
たったひとりで、ぼくのハンカチを両手で持って、じっと見つめていた。
その眼から、はらはらと涙が落ちていた。
透明なしずくは、ハンカチでぬぐわれることもなく、あとからあとからこぼれた。
ぼくの心臓は、何かにぎゅっとつかまれたようになった。
なんで泣いてるの? 泣きたいのはぼくのほうなのに、どうしてあの子が泣くの?
その怪我のことで泣いてるの?
あんなに悲しそうな顔を、ぼくは見たことがなかった。ひたすら静かに泣いていた。ときおり、こらえきれない声が小さくもれた。
胸がすくまで思いっきり泣いたほうが、どんなにか楽になれるのに。嗚咽を殺して泣くなんて、そう、まるでぼくみたいだ。
誰もかばってくれない学校でいじめられて、気持ち悪いってののしられて、夜こっそりふとんの中で体と声をふるわせるぼくにそっくりだ。
そばに行って、ことばをかけたかった。
そのハンカチ、使っていいよって。涙を拭いてって。
でもできなかった。また迷惑がられるかもしれない、拒絶されるかもしれないと思うと、どうしようもなく怖くて、まぶしい日ざしにあざやかな花が咲いている夏のさなかなのに、世界は真っ白に凍てついてしまった。蝉の声さえ聞こえないほど。
のどがつまる。胸が痛い。
しばらく立ち尽くしていたぼくは、結局、なんにもできずにその場を離れた。
最初ぼくから近づいたのに。あの子を見捨ててしまった。
なんて無力なんだろう。なんて弱いんだろう。なんて意気地なしなんだろう。なんて臆病なんだろう。
ぼくはいつものように、唇をかんで泣き声を立てまいとした。ちょうどあの子みたいに……。