第九章
千洋君に会っても、わたしは普段通りだった。
引き裂かれ、ふたりになったわたしのうちの片方が千洋君に接していたのだと思う。
勉強中、消しゴムが机からラグにころがり落ちた。拾おうとかがんだのが同時で、わたしと千洋君の手が触れた。
ひんやりとなめらかな千洋君の感触。わたしは自分の手の熱さを恥ずかしく思ったが、千洋君はあわてて手をひいた。ささいなことでも真っ赤になる頬をうつむけて。
不用意にふれると輝きがくもり、力をこめるとあっけなく割れる、もろく儚いガラス細工みたいだ。
わたしはなにごとにも動じない心をもとうと決意を固めた。それは武器になるだろうから。千洋君に代わって戦うための。
たったひとつだけ、変えてはいけないもの、汚してはならないもの。その思いは、出会ったときからずっと、同じだ。
わたしは少女に生まれたかったのではない。女に生まれたかったのでもない。だけど男になりたいなどとは毛頭思わない。
兄を思い出し、千洋君に触れて、いったい自分がどんなものになりたいのかが、あこがれていたものがなんなのかわかってきた。
ものごころつかないころから、ずっとずっと、そうだったのだ。子供のころは気づかないでいたけれど。なぜって、子供のころまわりにいた、兄を除く少年たちは、乱暴で鈍感で、上下関係を築くのが大好きで、わたしの理想にまったくそぐわなかったから。
だからわたしが求める「少年」というのは、おそらく偶像化された存在なのだろう。
決してかなわない望みだからこそ、炎のように激しく、明るく輝いて、絶えず胸を焦がしていたのかもしれない。
手の届かない願いならせめて、自分の中で大切にしていこう。守っていこう。それくらいなら、神さまだってきっと許してくれるだろう。
心の中の、唯一無二の聖域。
誰一人、触ることさえできない。
わたしの大切なものを次々に土足で踏み荒らし、踏みにじるような野蛮人には、絶対に負けない。
罪深いわたしには、それさえ身に過ぎたことでしょうか、神さま。想いつづけることすら罪でしょうか。
あの晩夏のできごとは、ちっぽけなことにすぎなかった。あれしきのことで、わたしは傷つかない。傷つくはずがない。多くの経験のうちのたった一回なのだから。
肌に触れるのも触れられるのも、たいしたことではない。
トクラ君以外の人間とも実験と練習をくりかえしているうち、相手の数は片手でたりないほどになった。合計回数となるともう把握できない。
相手は、その気になればいくらでも見つかった。今まで足を踏み入れたことのなかった街へ、相手を探しに行ったりもした。わたしは女だから、金がかからないですむ。それどころか、食事がついたりお金をもらえたりする。
もちろん、妊娠や病気や苦痛になるようなことは慎重に避けた。ばかだという自覚はあるが、そこまで我が身を窮地に追いこむまねはしない。目的は、断じて自虐ではないのだ。
恋愛感情は抜きという暗黙の了解が、わたしを安心させた。どんな表情もどんなふるまいも思いきりよくのびのびとできた。
高みにのぼりつめようという一点に、ただひたすら集中すると、どこか厳粛でひたすら無邪気な気持ちになれた。熱中すると雑念が消え、自分が空っぽになれる気がした。
全身の肌で感じる。やわらかい毛布とふとん、さらさらのシーツ、相手の肌と体温。わたしは開放感につつまれて、体を大きくひらいて受け入れる。相手を、自分を、世の中のなにもかもを。
かわされる声は、うめきやあえぎばかり。もしも好きだ、とか可愛い、などとささやかれたら、わたしは嫌悪感と羞恥で一杯になって、つづけることができないだろう。言い訳や許しが欲しいわけではないのだから。それに、うっとうしいのはごめんだった。
未経験の男は、丁重にお断りさせていただいた。はじめての相手って、やはり特別な存在だと思うから。
わたしは、相手にとって特別な存在になりたくなかった。ただ欲望のはけ口、欲求解消の手段にしてもらいたかった。
不本意ながらはじめての経験をする前は、こんなことは、きっと自分の好きな人とはできないだろうと、漠然と思っていた。自分の知らない姿、自分の制御できない姿を好きな人に見られるのなんて、恥ずかしくて悶死しそうだ、と考えていた。単なる想像だったけど。
が、実際にされてみて、好きでもない人間にあられもない姿を見られるのは絶対にいやだ、とんでもないことだ、自分はまったくそのあたりのことをわかっていなかった、と感じた。
なのに、今はどうだろう。出会ったばかりの男を誘い、いとも簡単に一緒に寝てしまう。それが安心だったりする。だって、相手はわたしを知らないし、わたしも相手を知らない。相手が誰であろうと、することは似たり寄ったり。誰でも同じだ。
近ごろの行状について、わたしの友人たちはなにも気づかないでいた。万一耳にすることがあっても、にわかに信じがたいだろう。
わたしは相も変わらず、簡素で地味で目立たない身なりをしていたし、まめに講義に出席してまじめにノートをとっていたし、子供じみた見かけをしていたから。
メグミやそのほかの女友達が、昨日彼氏とどうした、こうしたなどと秘密めかして告白してくるたび、へえ、と目をまるくして、余計な口をはさまずに聞いている。そのリアクションに、彼女たちは満足する。
昨日までの処女が、今日から淫売に変身しているなんて、誰も想像できないだろうと思うと、少し愉快だ。笑いたくなる。
「ひたすら、いかがわしくて淫靡で猥雑だ。美だの詩だの浪漫だの哲学だのとは無縁だね、ひとかけらもない」
わたしがひとりごとを言えば、
「それがいいんじゃないか。しょせんはそんなものなのだから。どろどろしていて、なまぐさくて、滑稽で。受身の人形、愛玩物の少女になるよりはるかにましだろう」
もうひとりのわたしが応える。
最初のうちこそされるがままになっていたが、楽しむ余裕が生まれてからは、相手をよろこびにいざなうわざを次第に会得するに至った。
簡単なことだった。抵抗感を捨て、相手のことをいとおしいと思いこむふりをすればよかった。丹念に丁寧にすれば、それなりになる。
一度こつをつかんでしまえば、あとは楽なものだ。心になにも感じていなくても、まるきり別のことを考えていても、できるようになった。
男がたいそうよろこんで、たのむからもう一度、とかすれた声で見栄も忘れてわたしに懇願する態度がおかしくて、楽しかった。いつも理屈や説教や蘊蓄ばかりの男が、あえぎながらしどろなく乱れている姿態はなんともおもしろい見ものだった。
せめたてられるくらいなら、こちらからせめたててやったほうがいいんだ。
とはいっても、わたしはできるだけ誠実に、相手に接していた。もっとも、まともな意味で「誠実な」つきあいを求めるような者を相手にすることは避けたけれど。
わたしに敏感に反応してくれる相手を、ほんのちょっぴりいとおしいなんて、感じてしまったりしても、そんな重荷になるようなせりふは、口が裂けても言わないでおいた。相手の体をひきうけることはできても、心まではとうてい無理だ。
こうしてわたしのトレーニングは、順調にすすんでいた。
慣れが肝心だ。慣れておけば、突然迫られても体のどこかを触られても、うろたえずにすむだろう。鈍さという名の強さがあったっていいじゃないか。わたしは強くなりたいのだ。
それでも、ついうっかりTVドラマで女の人が乱暴される場面などを目にしてしまうと、唇をひきつらせたり涙ぐんだりしてしまうのだ、情けないことに。ああ、まだまだ修行がたりない。もっともっと精進しなくてはならないというわけだ。
わたしの行動は、どういうんだろう。世間一般にいう男遊びっていうものか? でもわたしは、遊んでいるつもりなんてない。ひたすらまじめで、真剣にとりくんでいる。だから、どういう言葉でこの行為を表現するのか、よくわからない。
トクラ君の言うとおりだ。わたしには、わかっていないことが多すぎる。
何がわかっていないのかさえも。