ふるふる図書館


第二話



「好きなんです」
 ひねりも打算もない、いさぎよいまでの直球だ。
「もっとお近づきになりたいんです。だから、お部屋に遊びに行きたいんですけど。だめですか?」
 僕を中庭に呼び出して、話を切り出してきた下級生。またぞろ彼を憧憬する、真実を知らない哀れな犠牲者だ。
 彼と僕とは寮の同室だから、こんな依頼が後を絶たない。
 ここで阻止しないと、彼からのどんな報復措置が待ってるものやら恐ろしいったらない。
 なにしろ彼は、プライベートなテリトリーに人が立ち入るのが大嫌い。理由は簡単、かぶった猫が脱げないからだ。
「ううん、残念だけど彼、忙しいみたいで」
 答えると、下級生はにこにこして首を振った。
「いいんです、そんなの。相手してくれなくてもかまいませんから」
 そうきたか。
 駆け引きや謝絶は僕が苦手とするところだ。スポークスマンなんて大役など務まるはずがない。さりとて、自分で断るような真似を、彼は絶対しないのだ。我が身にマイナスになることはことごとく僕におしつける、それが彼のやりくちだ。
 天使の顔した卑怯な悪魔。僕だけが知る、まごうかたなき生徒会長様の正体。
 サタンよ、退け!
 と、荒野のイエスよろしく心の中で悪態ついてると、当のサタンがやってきた。僕の切なる願いをやすやす粉砕する点も、まさしく悪魔たるゆえんだ。
 何の用だろ。使い走りでも言いつかってたかな。掃除当番の代役だっけ? 学級日誌を職員室まで届けるんだっけ? おやつの買い出しだっけ? 多すぎていちいちおぼえていられない。
「こんな場所で立ち話?」
 高貴で優雅な微笑みをたたえる生徒会長様。下級生がちょっと赤くなって、まぶしそうにもじもじと下を向いた。
「実は、あの」
 おや? これはいい展開なのではあるまいか? たまにはみずから交渉してみせろよな。恨むなら、こういう現場に出くわした、おのが運の悪さを恨め。
「会長のお部屋に遊びに行ってもいいですか、ってお願いしていたんです。お邪魔はしません、ちょっとだけでいいですから」
「で、彼はなんて?」
 僕を目で指してたずねる。この問いに含むところを感じるのは学校中で僕だけだ。
「会長が忙しいからって」
「そんなことを言ったのか。ごめんね、彼も悪い人じゃないんだよ。僕を気遣っただけだ、許してやってほしい」
「あ、それはもう」
 はいはい、どうせ僕は悪者ですよ。ルームメイトの立場をいいことに、みんなの生徒会長様を独りじめする心の狭い凡人ですよ。どうとでも扱うがいいさ。
「部屋に来るのはかまわないよ。ただ僕も、ずっと立てこんでいてね。充分なもてなしもできないなんて生徒会長の名折れだ。だから一度かぎりにしてもらえるとうれしいな。それと、誰にも内緒で来るんだよ。いい、約束できるね?」
 舞い上がって返事をつまらす下級生よりも僕の方が仰天だ。まさか許可するなんて! 気まぐれにしても晴天の霹靂だ。

 夜になった。
 テーブルに、菓子をならべて客人を迎える準備をするのは、論ずるなかれ僕の役目だ。
 しかし、自分のもの以外の茶器を使う日が来ようとは。わがままで猫かぶりで人格破綻をきたしているルームメイトのおかげで、僕は友人さえもここに呼べないのだ。
「なんだよ、さっきから僕の顔ばかりじろじろと。ぶしつけな。いくら僕がたぐいまれなる美貌を誇っているからといって見とれるなよ、この身の程知らずめ」
「ちがいますっ! 事実無根もはなはだしいよ」
 彼が自室に他人を招くとは、おどろきがいまだにさめやらないだけである。
「ふうーん」
 毎日恒例、僕の腹部に炸裂する手加減なしの蹴りがきれいに決まった。僕は声も出せずに激痛をこらえ、手にしていたお盆をどうにか水平に保つべく踏みとどまるのに心を砕いた。
「貴様が僕の容姿を否定する権利はない」
 もうっ! どう答えればいいんだよ! あなたさまの秀麗な眉目を、わたくしめはとくと存じ上げておりまするが、恐れ多くてとてもとても見とれることなどできません、とでも言えばいいのか。冗談じゃない。
 と。不毛な会話を打ち切るように、チャイムが鳴った。お盆を置いて、僕はよたよた玄関に向かい、ドアを開けた。
「やあ、いらっしゃい」
 彼は来客に、人心をとろかす笑みを浮かべてみせた。ちゃっかりと、僕がスタンバイしていたティーセットを流れるような手さばきでテーブルの上に甲斐甲斐しく載せながら、だ。あたかも自分がすべて用意しましたと言わんばかりに、だ。
「いいお部屋ですね」
 下級生がはにかんだ。
「ありがとう。でも、造りはどの部屋も同じだろう?」
「でも、なんていうか、品がありますよね。すごくきれいに片づいてるし」
 後は勝手にふたりでどうぞ。僕はお役御免とばかりにその場を離れようとした。しかしそうは問屋が卸さない。
「きみもいたらいいじゃないか」
「そうですよ、先輩がいなかったらさびしいです」
 彼はともかく、下級生は社交辞令でもなんでもなく、本心のようだった。麗しの御仁とふたりでは、会話も弾まないだろうと不安なのかもしれない。不承不承、茶の間を囲んだ。
 しまった。お茶をまだ淹れていなかった。
 彼がポットを取ろうとする。形だけである。ふりだけである。お茶を手ずから振舞うつもりなど、さらさらないのはわかりきってる。
 その証拠に、ポットは彼の座る位置から遠く、僕の席の真ん前にある。ポジショニングもセッティングもすでに完璧。僕がたやすくポットを取り返せるよう、ごくごく自然に算段されているのだ。
「いいよいいよ僕が給仕するから」
「でも」
「いいって。気にしないで、ふたりでおしゃべりでもしててよ」
「そう、悪いね。お言葉に甘えさせてもらうよ」
 様式美の域にすら達せんとする、暗黙のうちに定められたやり取り。忠実にのっとるおのれの素直さ従順さに、涙が出そうだ。
「先輩って、ほんとうに気遣いのある方なんですね」
「そんなことないよ」
 彼には、気が利かないだの鈍いだのと常に面罵されている手前、同調するわけにもいかない。
 下級生は、やおら僕の目を直視して、爆弾を投下した。
「やっぱり、先輩好きです」
「は?」
 僕は豆鉄砲を食らった鳩の顔をしていたにちがいない。
「ひどい、聞いてなかったんですか? ちゃんと言ったじゃないですか、昼間」
 確かに好きだと聞いていた。いつものように彼のことだと、てっきり思いこんでいただけで。
「受け入れてくださいとか、付き合ってくださいとか、言うつもりないです。単に、気持ちを知ってほしかったんです。会長にも、同じ部屋だから打ち明けておいたほうがいいかなって思って」
 ふってわいた事態を収拾しようとあわててしまい、沈黙を守る彼の表情をチェックすることをすっかり失念した。
「えーと。僕は具体的に何をすれば」
「そうですね、すれちがったらあいさつするとか。ちょっと世間話するとか」
「そんなのでいいの?」
「気が向いたらどこかに一緒に出かけてくれたりすればうれしいですけれど。はじめはそういうことからでいいんです」
 なんだ、要するにお友だちってことじゃないか。びっくりさせるなよ。

 下級生が帰った後、彼はまったく口をきかなかった。さっさとふとんにもぐって寝てしまったのだ。
 もちろん彼の場合、早寝と早起きはイコールで結びつかない。翌朝、僕がとうに洗面をすませても、すうすうと眠りこけている。
「そろそろ起きたら?」
 僕が声をかけると、ぷいっと顔をそむけ、壁際にごろんと寝返りを打った。ころりとまるまった背中を軽く叩いて再度呼びかけ。
「ほら、朝だよ?」
「……った」
 むにゃむにゃと不明瞭なつぶやきがもれた。
「ん? なんだって」
「断らなかったあ……」
「え、昨夜のこと? 断りようがないだろ。あいさつや世間話もだめだっていうの?」
「だめえ……」
 抱きしめた枕に顔をうずめて言うものだから、くぐもって聞き取りづらい。そうでなくても、寝ぼけているときは幼児なみの発話能力なのだ。
「自分に近づいてきたと思った人間が、実際は僕が目的だってわかってやっかんでるんだろ。やきもち焼いているんだろ?」
 僕が言うと、彼は「んー……」と鼻声を出しながら、体を左右に小刻みにゆらゆらさせた。
「やきもち……かも」
 やっぱり。僕はあきれてためいきをついた。
「それで拗ねて不貞寝ってわけか。まったく子どもっぽいなあ。安心しなよ、全校生徒の九割以上は、生徒会長のファンなんだからさ」
「うう……」
 顔を枕にぐりぐりと押しつけた。駄々っ子のいやいやそっくりだ。両腕からすぽりと枕を抜き取った。
「あっ……んんー!」
 抗議の声を上げて腕を伸ばし、枕ではなく僕をつかまえた。バランスをくずして、僕はベッドにどさりと倒れこんでしまった。
 覚醒しきってないくせに、どうしてこんなに馬鹿力なんだ!
 靄がかかったようにぼんやりとした目と、かすかにひらいた唇が目前にあった。長いまつげがまばたく音さえ聞こえそうに間近だ。
「あれ、もしかして熱があるんじゃないか?」
 彼の頬や吐息の熱っぽさに、額に手を当てると、燃えるようだった。気に入らないことがあると熱を出すなんて、どこまで子どもなんだろうか。
「どこか痛む?」
 起き上がろうとすると、ますますきつく体をつかまれた。僕を抱き枕とかんちがいしているのか? 黒目がちの瞳をうっそりとひらいて、頬を上気させたまま、舌足らずに命令を下す。
「ここに、いて」
「救急箱に薬ないか、見てくるよ」
「いいから、いて」
「薬飲まないと治らないだろ? なかったらもらってこないと」
「置いてきぼりにする気なの? 病人を? ずっと、こうしてよう? 一日じゅう」
「えー、僕も? 学校は?」
「やーすーみっ。だって、僕から離れちゃ、いけないんだもんっ」
 僕の胸に、ちょんとおでこをくっつける。
 はあ。彼が天使だろうが悪魔だろうが、僕は永遠に逆らえっこないらしい。
 ずる休みの言い訳をなんとかひねり出さなくては。命じた張本人は、そんなの考えてくれないに決まってるんだから。

20070804
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