ふるふる図書館


第十章



 夏至祭がやつてきました。
 空は夕星(ゆふづつ)をまたゝかせ、淡いむらさき色に染まりました。ブルウムーンの色みたいだと少年は思ひました。少年が好み、魔法使の隣の止まり木でよく口にした、ジンと檸檬とすみれのリクウルとのコクテルです。
 いつかのやうに、魔法使は胸に、少年は髪に瑠璃萵苣をさしてゐました。やはりブルウムーンの色に似た、星のやうな花には、哀しみを忘れて愉しくさせる力があると云はれてゐるのです。
 広場では、よそゆきを着た人びとが笑いさゞめきながらあなたこなたと行き交ひます。尻尾や尾鰭や羽を隠した人びとも、こつそりまぎれてゐるはずです。
 でも梨子地の星空のもと、魔法使と一緒にそゞろ歩いてゐても、少年には、彼らがごくありふれた普通の人びとに感じられるのです。
 それに、移り気で気紛れな彼らは他の子供に興味を移し、もう、少年のことなどすつかり見向きもしないのです。
 あゝ、不思議な人たちの寵愛を一身に浴びてゐたのは、彼らにちやほやと甘やかされ誉めそやされてゐたのは、ほんたうにあつたことなのでせうか。今や、何もかもが遥かに遠すぎて、すべてが夏至の一夜の夢だつた気がするのでした。
 少年の顎に手をあてがつて上向かせ、あの晩のやうに、魔法使は陽気にぱちりと片目をつむつてみせました。
「そんな顔をしてゐては、折角の美しさが台無しだよ。」
「ほんたうに。ほんたうにさう思つて呉れているの。実はあなた、僕に倦きて仕舞つたのぢやないの。別の、もつと稚くて可愛らしい子を拾つてこやうと思つてゐるのぢやないの。あなた好みの、」
 蓮葉な口吻で笑ほうとしました。なのに、唇はわなゝき、声はおのゝき、眸からはぽろぽろと泪がとめどなくあふれてくるのでした。少年はそんな自分に心底愕きました。
 魔法使が少年の体に両の腕を回しました。寄る辺ない幼子のやうに、少年は力をこめて魔法使いにしがみつきました。
「愛してゐるよ、私の可愛いヨハネ。だから、ずうつと私の傍にゐなくては不可ないよ。さう誓ふなら、決して解けない魔法をかけてあげる。」
 囁きと共に、魔法使は接吻しました。
 少年の髪から花が辷り落ち、石畳にかさりと幽かな音を立てました。

20070715, 20140920
PREV
NEXT
INDEX

web拍手

↑ PAGE TOP