第七章
ひとり自室にゐた少年は、大切にしてゐるみごとな黒珊瑚の珠を取り上げ、指紋がついてゐるのを発見しました。やはらかな布で磨きながら、誰のものか知らといぶかりました。少年の持ち物に触るのは、少年しかゐないはずです。
「まさか、」
小さくつぶやいて、指を近づけました。それだけで、黒い珠はくもりました。少年は呆然と立ちすくみました。自分の体が何かを穢すことなど、想像すらしてゐなかつたのです。
視線を上げると、鏡台がありました。頬に見慣れぬ異物があるのに気づきました。あやしんで、近寄つてしげしげとのぞきこみました。その瞬間、
「いや!」
叫んで鏡を叩き割りました。
ありえないもの、あつてはならないものでした。面皰(にきび)だつたのです。
部屋を走り出ると、片端から家中の鏡を壊して回りました。ありつたけの声で叫びながら。
「いやだ! いや!」
騒ぎを聞きつけた魔法使が狼狽へて走り寄り、背後から少年を抱き止めました。
次第に少年の悲鳴と足掻きはをさまりました。かわりに弱々しくか細い歔欷(すゝりなき)がはじまります。
「血まみれぢやないか、」
魔法使は、絨毯にしやがみこんで仕舞つた少年の華奢な右手を取り、丹念に舌先で消毒して呉れました。凝とうつむいた少年の左手は、ずつと頬をおさへてゐました。
「いつたい何があつたんだい。さあお見せ、」
手首をそつと握つてはづさせ、魔法使は合点がいつたやうでした。いつものやうに、おだやかにやさしく諭しました。
「大丈夫、こんなものはすぐに治るからね。心配はいらないんだよ、」
さうです、今まで魔法使にすべてをまかせ、ゆだねきつていたではありませんか。どうしてこんなに取り乱したりしたのでせう。
少年は恥ぢ入つて魔法使を仰ぎました。そのとたん、はつとして凍りつきました。
「どうした、」
魔法使の問ひかけに、少年はたゞかぶりをふります。みづからに云ひ聞かせます。
見間違ひだ、さうに決まつてゐる。だつてそんなこと、あるはずないのだから。
ほんの一瞬にせよ、魔法使の面輪に老いが透けて見えるなんて。