第二十四章 正直で偽善
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Sにメールを送った。
「あのあと、ちゃんと仕事に行きました。ちょっと寝不足だったけど、だいじょうぶでした。
今まで、ほんとうにごめんなさい。それから、ほんとうにありがとう。
自分は、誰かと恋したりすることは一生ないと思っていました。
きみと、こういう時間が持てて、こころから感謝しています。楽しかったし、満たされました。きみには、何もしてあげることができなかったけど。
きみには、もっとふさわしい人がいると思います。
いつかその人に会えることを、どうかせめて祈らせてください。
仕事、がんばってね。」
美しくまとめすぎただろうか。でも本心なのだからしかたないと、慶は送信ボタンを押した。
返信は、しばらくやってこなかった。でももう落ち着かない気分にはならなかった。
忘れたころに、メールボックスにSの名前を見つけた。
「まず、前に、せっかく慶がメールをくれたのに、いくつも返事を出さなかったことに謝ります。ごめん。
いろいろ考えていて、頭の中が整理できなくて、返信できませんでした。」
まずそこからなのか。律儀な人だ。そんなこと、忘れていたのに。
「慶はやさしいね。メールを読んでいたら、涙が出そうになりました。うれしかった。
慶はなんでも正直に打ち明けてくれたのに、受け止めることができなくて、逃げていました。
自信ありそうに振舞っても、ただ逃げてばかり、はぐらかしてばかりの意気地なしです。真正面から向き合うことができなかった。
もっと決断力があれば、慶をこんなに振り回すこともなかったのに。
いい人に見られたくて、とりつくろって、結局ぼろが出てしまいました。」
慶はやさしいだろうかと自分に問うた。
こんなメールを送って、慶はいい人だったのだと印象づけているのに。
未練がましく執着せずに、きれいな別れができるものわかりのいい大人を演出しているのに。
こんないい人をお前は捨ててしまったのだと意地悪くつきつけているのに。
彼をひとことも責めないことによって、意趣返しをしたのだ。
非を認めさせ、謝らせるきっかけを与え、まんまと成功をせしめたのだ。
だからね、ほんとうはやさしくなんかないんだよ。ちっとも。
慶はSと今後も友達としてやっていきたかった、でもそれは不可能なのだろう。慶はちっともかまわないが、彼はできないだろう。もうこれっきりなのだ。なぜ一度踏み込んでしまったふたりは、過去に戻ることができなくなるんだろう。
あれこれと計画を立てていた。旅行の計画、遊びに行く計画。いつ、どこへ、どの電車を使って何時に出発して、どこに泊まって、そんなふうに具体的にくっきりとしたかたちをなしつつあったそれらがいともあっけなくことごとく消滅し、もののみごとにぽっかりと、未来に空洞ができてしまった。
胸を躍らせながらあんなに綿密に練っていたプラン、ありありとこころに描くことができるまでにはっきりと出来上がっていた計画が、決して実現されなくなったことが、たまらなく不思議だった。いったいどこにいってしまったんだろう、あんなにもあざやかに存在していたのに。
この時間を、執筆にあてよう。
ずっとおろそかだったから、サイトの更新もしよう。
突然意欲がわいてきて、慶はパソコンに向かって、仕事に行く以外はとりつかれたようにひたすらキーをたたいてすごした。
それでもしばらくは、何を見ても彼の影がよぎった。街を歩いても、本を読んでも、何かを食べても、買い物しても。そこかしこにSがいた。雨粒にも、スプーンにも、靴下にも、窓枠にも。
彼の存在で満たされていた慶の中は、かわりに喪失感でいっぱいだった。