ふるふる図書館


第十六章 どんなに小さくても空



 しかし、Nは慶の部屋にほんとうに引越してきてしまい、いつでも互いの身を絡み合わせる状況を作り上げた。時間帯を問わずというよりむしろ真昼間から。
 慶の精神状態が落ち着いてから、例のレッスンは再開された。
 ひとつ、慶は気づいた。
 いまだに、行為に対する恐怖心が根底に巣食っている。それを打ち消すために、過剰なまでの快感がひきだされてくる。声が大きすぎると言ってNは慶の口をふさぐ、だけど実際には、快感は恐怖の裏返し、しょせん同じ一枚のコインにすぎない。
 いつまでたっても、ベッドの上での彼の扱いはやわらかくて、慶は素肌を包む怯えをゆっくり脱ぎ捨てていくことができた。ようやく、我を忘れて没頭することができるようになった。
 最大の懸案も、ようやく解決をみた。
 力を抜いて、リラックスして、と何度言われても、どうしても他人のからだの一部を自分のからだに入れることができず、痛さと怖さでまた萎縮するという悪循環に陥っていた。数えるのが面倒になるほど、くりかえし手を変え品を変えて試みてきた。
 試行錯誤の末、どうにかやり方をつかんだ。一度つかんでしまえば、若さと体力に突き動かされるまま、飽きもせず反復していく事態になった。
 気持ちよく感じることと、達するということがイコールで結ばれる、それは慶にとっては天地がさかさまになるほどの大事件だった。子どものとき、なかなかできなかった鉄棒の逆上がりが、ふとしたはずみで成功した瞬間のことを思い出した。数え切れない努力と失敗を積み重ねた末、慶のからだは不意にふわりと宙に浮かび上がりくるりと一回転し、見慣れた光景をひっくりかえし、三半規管を空中に放り投げ、かかとで風を蹴り上げさせ、まったく未知だった感覚で幼い慶を深く彫りつけた。その経験はあまりにも強烈で、何度でも恍惚を味わおうと慶のからだは激しく慶を駆り立てたのだった。
 しばしば、慶のからだがどうしようもなくNを拒絶することはあった。ひどいときには、手が触れるのもいやなときもあった。だが、次第にその割合は減少の一途をたどった。



photo:mizutama

 慶が趣味で小説を執筆してはインターネットで公開しているのと同じく、Nは写真を撮っては自分のウェブサイトに載せていた。
 写真などプロがやることで、素人の楽しみといえば記念撮影くらいなものだと考えていた慶にとって、非常に新鮮に映った。
 自分でもカメラを手に入れて、風景をあれこれ撮った。
 しかし慶が住む街には、被写体にしたくなるような風景を見出すことは難しかった。散乱した廃棄物、汚物をまとった浮浪者、けばけばしいネオンサイン、色合いのでたらめなビルディング、かろうじてのぞけるちっぽけな空。
 実家に帰ったら、少し気持ちが休まるだろうか。母のおしゃべりを聞きながら、母の作ったお菓子をつまんで、お茶を飲んで。晴れ晴れとして、おだやかで、なごやかな気分になれるだろうか。
 でも、収入源もあやふやで不安定な状態で帰省するのはいやだった。両親はがっかりするだろう、何のために大学まで行かせたのかと失望するだろう、どうしてこんな子どもに育ってしまったのだと嘆くだろう。
 自分はここで、いったい何をやっているのだろう。いったいどうしてこうなってしまったんだろう。
 定職についてないと知ったら母は気にするにちがいない、血のつながった親子じゃないから。
 そんなことは気にするなとは言えない、「ほんとのお母さんじゃないくせに」とひどいことばを投げつけたのは、ほかならぬかつての自分だ。
 そうだ。何が、「どうしてこうなってしまったんだろう」だ。自業自得じゃないか。全部。全部。
 胸がきりきりとしめつけられた。
 まだ帰ることはできない。

 慶はひとり街を行く。ビルの隙間から見える夕焼け、窓を染める残照、縁を金色に光らせる雄大な雲、木の枝の無駄のないシルエット、横切る鳥の影。
 そんなものをうっとりと眺めるだけで、しみじみと幸せな気持ちに包まれる。
 なのに。
 慶は周りを見渡す。誰一人、空を見上げている者はいない、感動を分かち合う者もいない。
 無心に、「空がきれいだね」とこころの命じるとおり指をさして口に出せる幼少時代はとっくに過ぎてしまった。
 今となっては、ただ突き刺されるだけだ、痛々しいものを見る奇異な視線をいくつも。
 もう戻ることはできない。

20051022, 20080223
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