ふるふる図書館


第六章 夕焼けにカメラ




photo:mizutama

 いろいろなところをぶらぶらまわって、夕暮れが迫るころ、尋の車は帰路をたどった。
 途方もない大きさで覆いかぶさってくる冬空が澄明すぎて、慶は飽きず車窓の外を眺めた。
 夕焼けに染まった雲が、胸をきりきりと疼かせた。永遠に続くことなく迎える一日の死を、すぐそこまで静かに優しく舞い降りてきている夜の残酷さを、慶の肌が痛いほど教えてくる。
 燃える色の空に、枯れ木がよく映えていた。葉をすべて落として幹と枝だけになった樹木の、捨てられるものはすべて削ぎ落とした、必要最低限の、ぎりぎりの姿は美しいと慶は思う。息がふさがり苦しくなって動悸が速まるほど。
「写真は? 撮るなら停めるぞ」
 横合いから尋がたずねた。
「いいの?」
 ウインカーを出しながら、尋はちょっぴり笑った。いや、ためいきをついたようにも聞こえた。
「相変わらずだな。遠慮するくせ」
「ううん、してないよ」
「なら、いいんだけど」
「……うん」
 慶が黙っていたのは、夕陽に照らされた車内を尋とふたりでいる、静かな時間の流れをとぎらせたくなかったからだ。
 これも、遠慮のうちに入るんだろうか。
 ドアを開けて外に出ると、冷たい風にあおられた。
 川べりの、高い建物も山も坂もない町だ。何ものにもさえぎられないのをいいことに、風は気随に唸り、体ごと慶をさらう勢いでためらいなく襲いかかる。もぎとられかけたマフラーが誇らかな旗のようにはためいた。
 寒いだろ、とからかう尋にだいじょうぶだよ、と強がりを返した。
 ただただ広大な畑を貫く一本の県道。誰も通る者とていない。空と雲と風の中、世界で尋とふたりきり取り残されてしまった。
「そんなにいいかなあ、この景色が」
 生まれたときからずっとこの町にいる尋はおもしろくもなさそうに、シャッターを切る慶の隣で愛車にもたれ、ダウンジャケットのポケットに両手をつっこんだ。
「うん。自分でもそう思っていたんだ。だから東京に出たわけだし。でも、都会は合わないな。四年も住んだら身にしみたよ」
「たまにしか帰って来ないっていうから、ケイはここがきらいなのかとてっきり」
「東京のほうがきらいだよ。いつまでたっても慣れない」
 この町に移ってきたばかりのころ、この町から早く出るのだとずっとせつに願っていたはずなのに。東京という街も、いい場所だったと懐かしむ日がいつかやって来るのだろうか。慶を踏みつけにした、こころを踏みつぶした、からだを踏みにじった街を。
「実家に帰ればいいじゃないか」
「そう簡単にはいかないよ」
 慶は、手もとのカメラに視線を落とし、意味もなく指でいじりまわした。なすがままにされる慶の髪を、風が翻弄し、なぶり、乱し、さんざんに吹き散らし、駆け去っていく。
「ここに戻ってこいよ、ケイ。だめなのか、おれがいるのに。どこにも行かずにずっと待ってるのに」
 冷えきっていたはずの慶の頬はみるまに熱くなった。その赤みを隠そうとする指先がふるえた。
「なんてこと、言うんだよ。そんな台詞、口に出すな」
「お前のファンだからだよ」
 いたたまれなさに慶は空いた手で顔をおおった。
 日比野ひびきの最新刊は、いつものように、濃厚な場面と描写が充実している内容だ。その中に出てくる台詞を尋の口から聞こうとは思いもかけなかった。
「読むなよあんなの! 信じられない」
「ははっ、熱心な読者をむげにするなよ」
 卒倒しかける慶の反応を、あきらかにおもしろがっていた。
「ばか」
「でも、さっきの台詞、ほんとうに本音だから」
「……ばか」
 慶は足もとに吐息をこぼした。

20051012, 20071005
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