ふるふる図書館


第五章 再会した旧友




photo:mizutama

 後ろから、クラクションの音がした。
「あ、やっぱりケイだ!」
 屈託ない声にふりかえると、白いセダンの運転席から顔を出している旧友の尋の姿があった。
「あ。ヒロ。久しぶり」
「帰ってきてたんだ」
「うん、昨日の夜にね。明日の夜にはまた東京に戻るよ」
「ずいぶん慌ただしいな」
「仕事があるから。それにしてもよくわかったね、後ろ姿で」
「そりゃあね。ケイ、全然変わってないから」
「全然って。成人式以来なのに」
 実年齢より下に見られるのは慣れているが、まったく変わってないと言われるのは、あまりうれしくない。そんな心情を見透かしたように、尋は笑い出した。
「それより、時間ある? ちょっとドライブでもしない?」
 手にした袋のなかには、すぐに冷蔵庫に入れないといけないものはない。ほら乗れよ、と助手席のドアを開けられ、慶は車内に滑りこみ、シートにおさまった。
 背筋をのばしてかしこまって座っていると、
「荷物。後部座席でいいよ。重いだろ」
 うながされて、慶はようやく買ったものをしっかりとひざの上に抱えこんでいることに気づき、後ろに置いた。体をねじった慶がもとどおりに前を向くのを待って、尋は車を発進させた。
 尋は、慶の中学時代の友だちだ。
 引っ越してきた慶は、地元の小さな小学校からそのまま進学してきた同級生たちにまるでとけこむことができなかった。
 もともと内気で、教室のすみで誰とも打ち解けずに本ばかり読んでいた子どもだったから、この町で友だちと呼べる存在は尋だけだった。
「今ごろ正月休みか? 何の仕事してんの?」
 たずねてくる口調が、七年も空きがあると思えないほど記憶そのままだったので、慶はひそかに安堵した。
「接客業、かな」
「へえ、そんなことやってるんだ。大変だな」
「ヒロは家を継いだんだよね。そっちのほうが大変そうだけど」
 尋もご多分にもれず地元の農家の生まれだった。それも跡取りだ。
「うん。早く結婚しろ、孫の顔見せろってせっつかれるのがね」
「その予定は?」
「あるわけない。ケイこそどうなんだよ」
「右に同じ」
「どうだか。東京なんて、出会いのチャンスがごろごろしてるんじゃないのか?」
「すれ違った人をかたっぱしからとっつかまえて口説くわけ?」
 慶は尋と軽口をたたきながら、窓から景色を眺めていた。
 こんな大きな空を見たのは、ほんとうに久しぶりだ。どの角度で見つめても、絵になる。
 電柱が道路の端に並んでいる。遠くには、鉄塔が電線につながれて立っている。昔やった遊びを思い出した。子どもたちが手をつなぎ、真ん中に座った鬼を取り囲む。「かごめかごめ」だ。だったら慶は、ひとり目隠しして暗闇の中にしゃがみこんでいる鬼なのだろう。
 ふいに、視界すべてが広大な墓地に見えた。電柱は、鉄塔は、立ち並ぶおびただしい数の十字架だ。
「ヒロ、ちょっと停めてもらっていい?」
 慶は路肩に車を寄せてもらい、ポケットからカメラを取り出した。
「どうした」
「すこし、撮っておきたくて」
「記念撮影?」
「違うよ、ほんの趣味で」
「へえ。ケイが写真を撮るなんてなあ!」
 大仰なまでに、尋がおどろいた。
「んん、ちょっとかじってるだけだよ」
「誰かに勧められたとか?」
 妙に勘がいい。詳しい経緯を話すつもりはなくて、慶は逆に聞き返した。
「そんなに意外?」
「意外だよ。写真大きらいだっただろ。絶対写りたがらなかったし。たまに撮られてもすごく無愛想だったし。うちの母親がよく言ってた。もったいないね、こんなに可愛い顔してるのにって」
 突然何を言い出すのだと、カメラをぶらしてしまった。銀塩ではなくデジタルカメラだったのが幸いだった。
「なに赤面してるんだよ」
 尋がからかう。
「してないよ」
「してるって」
 二十代後半にもなるのに、すぐ動揺してしまうとは情けない。
「ケイ、いまだにおばさん連中に語り継がれてるんだぞ。ほんと、おばさんってよその子どものこともよくおぼえてるよ。それにあのネットワークは侮れない」
「えっ、何を言われてるって?」
「いや、たいしたことじゃないけど。顔がきれいだとか、勉強の出来がよかったとか、いろいろ賞を取ってたとか、そんなことだよ」
「どうせ、新住民のヨソモノだもん。珍しくて目立っただけじゃないの」
「でも、やっぱりすごいよ。この町で大学に行くなんて、なかなかいない」
 大学に進学したからって、立派な人間になれるわけじゃない。今ある自分がいい証拠だ。
 それにしても、もしこの小さくて辺鄙な町に引っ越さずにいたら、これほど人の注意をひかずにすんだだろうに。慶は、話題を逸らすことにした。
「で、どこに行く? これから」
「どうしようか。新しくショッピングモールができたんだけど、行ってみる?」
「ああ、母親に聞いたよ。えらく大きくて立派なんだって」
「よし、決まり」
 楽しそうに尋はステアリングを握った。まだ、行くなんて慶が言っていないうちから。でも、そのちょっと強引なところが慶は気に入っていた。慶がいやだと意思表示すればもちろん尊重してくれるし、なにより、こういうときには誰かに決めてもらうほうがずっと楽だった。早い話が主体性がないのだろう、と自覚する。
「ほんとうに広いなあ。こういうふうに遠くを見ることなんて、すっかり忘れてた」
 慶は、田畑と雑木林ばかりが広がる平坦な光景を見つめて、ためいきをついた。
「そういうものか?」
 尋は不思議そうに問い返す。
「そうだよ。都会なんてさ、ちまちましてて、ごみごみしてて、人がうじゃうじゃいて、一日中騒音が大きくてうるさくて、落ち着かなくて、汚くて。空は小さいし、ホームレスはごろごろ寝てるし。三年も四年も住めば飽きるよ」
「じゃなんで住んでるんだ」
「うんまあ、いろいろあってね。仕事とかさ」
 慶は小さくつぶやいて、うつむいた。
 しばらく沈黙が落ちた。追及されないことに慶がほっとしていると、おもむろに尋が口をひらいた。
「そうそう、前から聞こうと思ってたんだった。『日比野ひびき』ってケイのこと?」
「えっ。な、なに?」
 虚をつかれ、あられもなくうろたえたその態度が、問いを肯定したも同然と気づいた慶は、しらを切らずにひらきなおることにした。
「なんでヒロが知ってるの?」
「妹がよく読んでる。日比野ひびきの小説」
「まゆちゃんが?」
 耳まで真っ赤になったのがわかった。
「ああ、だいじょうぶ。ケイだとは気づいてないから」
「ヒロはどうしてわかったんだ」
「妹が本を置きっぱなしにしたんだ、居間に。一瞬だけ。で、ぱらぱら読んでみたら記憶にある話だったからもしかして、って思った」
「デビュー作か」
 中学生のころから、慶は趣味で小説のようなものをひっそりと書いていた。そのことは家族にも秘密にしていた。
 ただひとり、知っていたのは尋だった。慶の書いたものを何でも読みたがり、読み終えると必ず感想を言ってくれた。おもしろかったとか、ここはこうしたほうがいいとか。慶は、自分の作品をていねいに大切に味わってくれることに、ずいぶん慰められたものだった。
 たしかに、尋が読んだという作品は慶が中学生のときに書いた物語をベースにしていたが、そこそこ内容を変えてあったのだ。
「よくおぼえてるなあ。十年以上も前のものを」
「当たり前だよ、ケイの小説のファンなんだから。いまだに持ってるんだぞ、プリントアウトしてくれたの。全部。ときどき読み返してる」
「そうか」
 また、自分の頬がほてってくるのが慶にはわかった。
「じゃあ、がっかりしたんじゃないの? ああいう話に作り変えて」
 つとめて平静に話そうとしても、どうしても声がうわずる。自分のみっともなさを、慶は服のすそをぎゅっと握りしめてこらえやりすごそうとした。
 中学生のときの慶は、子どもに夢を与えてくれる本が好きだった。だからそういう話をたくさん書いていた。
『日比野ひびき』は、プロフィールを一切明かしていない。インターネット上にサイトを持ち、そこで自分の創作小説を発表している。一日のアクセス数もけっこうあるし、たまに商業誌で小説を書いて出版することもある。
 まさか、尋が読むなどとは想像すらしたことがなかった。なぜなら。男性どうしの恋愛を描いた、女性向けの小説。それが、日比野ひびきが執筆する小説のジャンルだったからだ。
 慶の問いにこたえて、尋はまじめに言った。
「いや、おもしろかったけど? 別にがっかりなんてしないよ。それよりよかったじゃないか。お前の書いた作品が本になって。大きい本屋に行くと、けっこう平積みになって売ってるんだな、びっくりした」
 尋が、書店のそんなコーナーをうろうろしているところを思い浮かべ、慶は吹き出してしまった。
 すぐに笑みは消え、真顔になって視線を落とした。
「どうして、そんなふうなんだ。ヒロは。失望したとかそんなことを考えてるやつだと思わなかったとか言うのがまっとうなんじゃないのか」
「ケイって昔から、自分が小説とか書いてることを隠したがってたよなあ。悪いことしてるわけじゃないし、堂々としてればいいのに」
 誰もが、ヒロみたいにいつでも悪びれずに生きていけるわけじゃないんだよと、慶は声に出さずに応じた。

20051012, 20071005
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