ふるふる図書館


第ニ章 帰ってきた家




photo:mizutama

 寒かった。
 電車で二時間ほどしか離れていないが、都心の気候に慣れた慶にとっては厳しく感じる冷えこみだった。しんしんと手足が冷えて、身がひきしまる感じは、懐かしくもあった。感覚というものはいつも明敏に直截に鮮明に、体に刻みこまれた記憶をすぐさま目の前に連れてくる。
 耳鳴りがするほど澄んだ大気は、指ではじくと音がしそうなくらいにはりつめていた。
 駅まで車で出迎えに来てくれた母が慶を見つけ、窓から身を乗り出して、笑顔で大きく手を振った。
 久しぶりに会う母は、去年見たときと少しも変わらず元気そうで、慶を安心させた。
 母のような、ものごとに動じることもこだわることもない快活で明るい性質がほんのかけらもないことを、慶は自覚している。
 やはり遺伝子の違いだろうか、と埒もないことをいつも考える。
 久々の親子対面でも仰々しいあいさつはかわさず、まるで毎日顔を合わせているようにふるまう。母との共通点はささやかなものであっても、発見するたびに慶の心をほんのりと明るませた。
 慶が助手席に乗りこむと、小回りのきく軽自動車はロータリーを敏捷に走り、軽快に家路をたどった。
 母の陽気なおしゃべりがとめどなくつづく。新しいパート先のこと。親戚のこと。近所にできた大型ショッピングモールのこと。
 慶は寡黙だと思われているから、いつでも聞き手にまわる。それが十年以上にわたって培われてきた関係だった。
 あいづちをうちつつ、わきを流れる景色にぼんやりと目を移した。相変わらずうらさびれた光景だと慶は思う。冬の木立も、ぽつりぽつりと等間隔を保って立っている街灯も、飲み屋の明かりも寒々しい。提灯が吊るされた店に客が入っているところを、慶はついぞ見たことがなかった。
 年があらたまって松も取れたころ。正月休みとしてはいささか遅いが、なかなかこちらに帰る機会がなかった。
 それに、頻繁に顔を出すところでもない気がする。
 父親と、その後妻の家。
 継子をいじめる母親と家庭に無関心な父親という図式はまったくなく、ふたりとも慶に愛情をそそいでくれた。
 慶は、産後すぐ死んだ生母の記憶がない。今の母親に対する確執もまるでない。
 ただ、実家がある町に愛着がないというだけの話なのだろう。
 父の再婚にしたがって、中学一年のときに移ってきた家であり、町だった。一応首都への通勤圏内ではあるが辺鄙な場所だ。はじめて足を踏み入れた日は、にぎやかな町で生まれ育った慶を呆然とさせた。
 交通が不便で、どこにもいけない。バス停もなく、単線の私鉄が通る最寄り駅まで自転車で四十分というのは遠すぎると感じた。広大すぎる監獄のような気がした。
 近所の中学校に通ったが、もともと社交的でないせいで、友だちはあまりできなかった。
 高校は電車で二十分ほどの場所、大学は東京にあったから、地元との交流がまったくないまま、実家を出て都内に住んで四年たった。
 今年で二十七歳だ。

 慶の住まいとまるで異なり、きれいにかたづいた居間。東京のマンションではまず無縁な、灯油ストーブの匂いがあたたかく鼻をくすぐった。
 こたつの上に蜜柑がふんだんに盛られた籠が載っていた。
「蜜柑だ」
「いっぱいあるから食べてね。買った日にお隣からいただいちゃったの」
「最近食べてないなあ」
「ビタミンC、摂りなさいよ。風邪ひくよ」
「果物なんて、もらうことも買うことも食べることもないよ」
 実家は食物が豊富にあることが慶には疑問でしかたがない。一人暮らしをして、自分のマンションの冷蔵庫がいつもからっぽに近い状態であることがわかってようやく、その謎を謎と認識できるようになった。
 慶がぼんやりしているうちにも、母はてきぱきと食事の用意をしてくれた。慶とは大違いだ。母を見ていると、なんだか自分もきびきびとした人間になれそうな気持ちがしたものだ。母と離れて、それが錯覚にすぎなかったことを知るのだが。
 こたつには、煮物とぶりかまと温野菜サラダが並んだ。どれも慶の好物だ。
 たくさん食べるようすすめられるまでもなく、慶は心ゆくまで手料理を味わった。東京の生活では、こんなに食欲がわくことなどないのにと、これも不思議だった。
 すごくおいしいと本心から言うと、母は顔をほころばせた。父は、人をほめるのが下手だから、料理ひとつ満足にほめられないのだろうと慶は察しをつける。
 つけっぱなしのテレビは、なんてことのないバラエティ番組を流している。母とふたりで同じところで笑った。
 ひとりではテレビなんて見ないし、見る気もしないでいた。つまらなくて、くだらなくて、すぐに飽きた。新聞さえもとっていないから、世間の話題にはまるでついていけない。その点、母は実にくわしく、いろいろと話をしてくれた。
 たわいない会話が、慶を落ち着かせた。時間の流れがのびのびとしていてここちよかった。
 時間がもったいない、もったいないと毎日毎日、心のどこかでせきたてられているのに、なぜ今はこんなにゆっくりできるのだろう。
 ひさしぶりに湯船に浸かってくつろぎ、あたたまった体のまま、階段をのぼり自分の部屋に入った。
 かつて使っていた部屋は、そのままになっていた。小学校に入学するときに買ってもらった学習机も、二十年を経ていまだに健在だ。
 陽だまりのにおいがするふかふかとしたふとんと、清潔なシーツにくるまった。
 いつもだったら、まだ、パソコンの前に座っているころだ、と時計を見て慶はふと気づいた。まるで遠い過去の遠い世界の話みたいだ。毎晩、パソコンの電源を入れないと落ち着かない体質になっているなんて。
 実家にはパソコンはない。だがパソコンを恋しいと思いもしなかった。
 夜は静かだ。ひっきりなしに自動車が走る音も、通行人の大声も、まったくない。
 すぐさま眠りにつけそうだ。こんなことは、東京ではめったにない。
 ふと、体を起こし、本棚をのぞいた。
 慶が生まれる前からある、やはり年季の入った安手のカラーボックスは本棚として使われていて、本でぎっしりと埋められている。
 どれも、お金がないながらも一冊一冊吟味して買って、大切に読んだ本だ。
 何も考えずに、時間のたつのも忘れ、大好きな本を夢中で読みふけっていたころが突然自分の中によみがえり、慶は胸がしめつけられた。
 自分の幸福が、ここにつまっている、そう思った。
 あの、かけがえのない時間があるから、慶は小説を書きはじめた。
 小説家になりたい、作家になりたい、などとはまるきり考えなかった。
 体の奥からわきあがるように、物語がどんどん生まれてきていた。文字にしないと、気がふれそうになるくらいの、怒涛の勢いで。だから、ただ、ひたすら、夢中で書いた。
 ずっと、この感覚を忘れていた。激しく突き動かされるような、衝動。
 歌っている。気がおかしくなるほど、あの子の声が奥底から響く。
 狂おしい気持ちで、慶は本の背表紙を視線でなぞっていった。
 東京で買った本も、数冊まぎれていた。ずっとずっと読みたいとあこがれつづけ、でも、手に入れて目を通してみるとなんだか期待はずれで、手もとにとどめず、以前実家に帰ったときにこの本棚に放りこんだものだ。
 指でひきよせ、手にとり、ページをめくって、数行を目で追った。水がかわいた砂漠に染みこむように、ことばが慶の中に流れこんでいく。
 どうして、この本をおもしろくないなんて思ったんだろう……。どうして、東京ではつまらなく感じたんだろう。
 そっと、本を戻した。少しだけ、ためいきがもれた。
 ふたたびベッドに入ると、今度こそスイッチが切れたようにことりと眠りに落ちた。

20051010, 20070906
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