ふるふる図書館


第十章 小日向克己 4



 やはり、どこの店も混んでいた。六人席を確保するとなると、さらに時間がかかってしまう。まったくこいつら、ほかに行く場所はないのかそろいもそろって芸のない。猫も杓子も台場に行きたがって。
 店の前で列を作って待っている間、僕は臺カオルとその連れの女児の指を見比べた。おそろいの指輪が、左手の薬指にきらりと光っている。ははあ。女の子にもてるんだな。僕とはまったく違う意味で。
 視線に気づいたらしい。臺カオルが僕の顔を見て、すっと視線を逸らせた。めがねと長い髪でよくわからないが、頬が少し赤いみたいだ。
 ぶしつけだったかもしれない、品行方正をもって鳴る僕としたことが。自省しつつリサという女児に話しかけた。
「その指輪、すてきだね。臺君とおそろい?」
 臺カオルが、ますます居心地悪げにうつむいた。先日偶然話したときは、あんなに飄々としていたのに。この僕とふたりきりでも臆することなく、しれっとした態度だったのに。
 ふうんこれが弱点か。おもしろい。実におもしろい。
 完璧なおすまし顔を僕は一ミリたりともくずさない。
「エンゲージリングだもん当然でしょう」
 リサがこまっしゃくれた口を利く。へええ、と僕は目を丸くしてみせた。
「そんなに若いのにフィアンセがいるの。すごいなあ。臺君のことが大好きなんだね」
「あたりまえでしょ。愛し合ってるのよ」
 臺カオルがとうとう顔を横に向けてしまった。冷や汗をかいているかもしれない。得意技のさわやかポーカーフェイスを一分の隙なくきっちり顔にはりつけつつも、僕は笑いをこらえるのに必死だ。ご心配なく、「商品管理課にいる派遣の臺カオルは女に相手されないあまりにロリータ趣味に走りました、あろうことか五歳女児をまんまとたぶらかしています」だなんて、そんな流言飛ばすわけがないだろう。そんな下種で下世話な真似をこの僕がするかってんだ。
「ふうん。どこが好きなの?」
 うーん、とリサはちょっと考えるそぶりを見せた。言葉に悩んでいるのかと思ったら。
「かっこいいでしょ、やさしいでしょ、強いでしょ、頭いいでしょ……」
 すらすらととめどなく列挙。
「もういいよ理沙ちゃん」
 止めにかかったのは臺カオルだった。
「なんでよう」
「照れちゃうから」
「ほんとのこと言って悪いの?」
「理沙ちゃんのお気持ちはうれしいけれど、のろけはいけませんのろけは」
 ちょんと指先でリサの額をつつく。そのしぐさのほうがよほどのろけだろうよ。
「のろけてないよう」
「のろけてますよう」
 会社で目にするのとは別人のようだ。無口で、誰に対しても常に敬語で、何を考えてるのかわからない感じで、女子社員からは暗いだのオタクっぽいだのキモイだのアキバにいそうだのとさんざん陰口たたかれているのに、今女の子と笑って自然にじゃれ合っているのは、とっつきやすくてごくごくふつうの若者だった。服装も、見慣れている作業用のださいものではなくて比較的まともだ。うっとうしいめがねと髪型は相変わらずだが。
 だからこのリサって子にこんなに好かれているのだろうか。幼児の価値基準はよくわからないと思っていたが。
「どこで知り合ったの?」
「理沙は友だちの子どもなんです。小日向さんは、西宮さんとはどこで?」
 矛先を変えてきた。
「友だちの紹介です」
 何食わぬ風情で答えた。あながち嘘ではないはずだ。
 そのうちに店員に名前を呼ばれ、僕たちはぞろぞろとレストランへと入って行った。

 会食に席順は重要ポイントだ。
 僕は西宮悠希といちおう恋人どうしで、臺カオルと知人どうしで、リサは臺カオルと離れたがらないから、自然と僕たち四人はまとまってしまった。
 吉住とアユミのことは構えなくなってしまったが、致し方ない。
 料理が運ばれてきた。
「ほらカオル、髪じゃまでしょ? リサのピンとゴム貸してあげる」
「ああ……うん」
 なんだか気乗りのしない返事をして、臺カオルはそれでも微笑んで礼を言い、リサがピンクのリュックサックから出したものを受け取った。
「ちょっとすみません」
 食卓から少し離れて、長い髪をまとめる。
「湯気でくもるよ。めがね取ったら?」
「ああ……そうだね」
 わずかに渋った口調で、めがねに手をかける。
 リサひとりを除いて、僕たちは等しくあっけにとられて臺カオルの素顔をまじまじ見つめた。
「お待たせしました。さ、食べましょう。いただきます」
 臺カオルは、むしろ平然とおしぼりで手を拭き、淡々とフォークを操ってパスタを食べ始めた。
 なんだよありか、その漫画みたいな展開は! 髪型変えてめがねを取ったらあら美形っていうステロタイプなパターンは!
 彼はそこらの女が、いや男でもとうていほっとかないような容貌だったのだ。いかにも小さな女の子用の可愛らしいお花のついたヘアアクセサリーが、恐ろしいことに違和感ない。目を伏せるとまつげ、特に下まつげの長さが際立つ。
「食べないんですか?」
 その目がすいと上げられ、僕の目をひたと見据えた。僕は動揺を押し隠して笑みを浮かべた。
「ずいぶん印象が変わるなと思って、びっくりした」
「そうですか?」
 軽く流して、臺カオルは再び食事を再開した。年中ほめられ慣れているとでも言いたげな余裕が透けて見える反応。そっけないとも取れる態度に、僕の心は一瞬だけ波立った。なぜだろう? 今日会うまでは、僕のほうがあらゆる面で優位に立っていると思っていた。いや確実にそうだったはずだ。今日までは? いや、ついさっきまでは。
「いつもそうしていればいいのに」
「そうですか?」
 またさらりと返答する。
「女の子用の髪留めをつけていろってことですか? さすがにそれはおちゃめすぎるでしょう?」
 こいつわざとはぐらかしやがった。ふん。やるじゃないか。
 臺カオルは姿勢よく、洗練された優雅な手つきでパスタを口に運んでいる。まともに就職もしないで、肉体労働の派遣でやっとのことで生計を立てている。そんな臺カオル像にぴしりとひびが入った。ありていに言えば興味をひかれたのだ。
 そういえば、臺カオルのことをほとんど知らない。正確な歳さえも。謎めいた人間だ。そう思うのは、知りたいと思うからだ。よくわかりもしない人間のことを、知りたいと欲しなければ、謎だなんて思わない。ただのよくわからない人で終わってしまう。解きたいと願うものを、魅力があるものを、ひきつけられるものを謎というのだ。
「臺君、今度ふたりでランチしない?」
 好機は今、このときしかない。会社では話すことなど無理に等しいのだから。僕はお得意のさりげなさを駆使して誘った。たいがいは女相手だけど、男に通用しないことはない。果たして、
「ええ。いいですよ」
 相手はあっさりと同意をくれた。
「よかった」
 僕はほっとして微笑んだ。
「おにいちゃん、リサの彼氏をとらないでよね」
 すかさずリサが釘をさす。
「まさか。そのつもりだったら、リサちゃんの前で堂々と誘わないでしょう」
 僕はすばやく切り返す。なのに鼓動がほんのわずか、乱れた。

20090125
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