ふるふる図書館


第九章 臺カオル 3



 気づけば、連れの姿がどこにもない。彼女は携帯電話など持っていないから、どこにいるのか確認することもできない。
 困ったなあ、とお台場の人ごみをきょろきょろしているうちに耳に入ってきたのがこのアナウンスだ。
「……からお越しの、臺カオルさま。臺カオルさま。お連れさまがお待ちでございます……」
 はぐれたのは俺ですか。迷子になったのは明らかに彼女なのに。
 でもまあ彼女はまだ子供だ。立腹してもしかたない。
 指定された場所に行くと、彼女が腰に手を当てた仁王立ちとふくれっ面で待ち構えていた。
「もうっ。カオルったら。理沙を置いていくなんてひどいじゃない」
 そんな態度ですら可愛いと思う俺はなにかまずいだろうか。人として。
「心細かった?」
「そんなことないわよ、ばかね。カオルが手をつないでくれないから悪いの」
 深町理沙はにっこりした。
「でも、アイスひとつで許してあげる。怒りんぼの女はきらわれちゃうものね」
 あくまでも、俺の恋人という攻めの姿勢を崩さない理沙。五歳女児と大人の俺の組み合わせ。周囲の人々に不審を与えるのではないだろうか。
 ふとあたりを見渡してみる。
 すると。
「あれ? 小日向さん?」
 少なからずびっくりした。俺の職場の有名人、営業一課の期待の星、若きエースがこんなところにいようとは。
 向こうもかるく目をみはる。
「ああおどろいた」
 小日向克己は俺とまったく同じ感想を口にした。
「そんな趣味があろうとは思わなかった。へええ」
 そっちか!
「小日向さんは想像どおりです。きれいな女の子連れで」
「女の子連れはお互いさまじゃないか」
「あれ? お茶屋さん?」
 なんだか見覚えがあると思えば、彼の隣に立っている今どきのファッションに身をつつんだ女性はお茶屋で働いている店員さんではないか。西宮悠希だ。
「こんにちは」
「制服しか見たことがなかったから、すぐにわからなかった」
 そう言うと、西宮悠希は少し笑って居心地悪そうにうつむいた。確かにばつが悪いよな、プライベートを客に見られて、しかもデートの相手が知り合いどうしだなんて。
「ねえ行きましょ、カオル」
 理沙がいいタイミングで腕をひいた。よしこれは立ち去るチャンス。
「それじゃ、俺たちこれで失礼します。あ、西宮さん、また近々お店に寄りますんで」
「はい。お待ちしております」
「ね、ちょっと待って」
 つんのめる勢いで理沙にぐいぐいとひっぱられていた俺は、小日向克己の呼びかけにようよう振り向いた。
「こんなところで会ったのも何かの縁だし、みんなで一緒に食事でもどう?」
 優雅に華麗にふわりと浮かべる品行方正かつ端整な微笑み。うわこれ絶対に興味津々、詮索する気満々なのでは。
「そんな突然、悪いじゃないの小日向さん。ね?」
 西宮悠希があわてたように、理沙に同意を求める。理沙はまたむすっと唇をとがらせて、むぎゅうと俺の腕にしがみついた。なにがなんでもいやよいやよあたしのカオルに女を近づけるなんて、の顔だ。うーん。
 時間的に、俺たちはそろそろ飯を食いたいと思っていた。彼らもそうなら、店を探しているうちに再びばったりと会ってしまいそうだ。それもまた気まずい。おまけに、俺はいい店をあまりよく知らない。それならここはひとつ、彼の提案に乗ってしまったほうが効率がよい気もする。どうしたものか。
「どういうお店がいいかな。いろいろ候補はあるんだけど」
「ちょっと、勝手に話を進めない! コジマさんとヨシズミさんはどーするの」
「あ」
 まだほかにも人がいるのか……。小日向克己の一瞬の間は、彼がコジマ某とヨシズミ某の存在を忘れていたのではないかというひそかな疑いを俺に抱かせた。しかしすかさず、小日向克己はおだやかにさわやかに笑顔を浮かべる。俺の胸に巣食った黒い疑惑をひとかけらも残さずきれいに払拭するかのように。
「だいじょうぶだよ、あのふたりはいやって言わないから。安心して。でね臺君、どういう系が食べたい?」
 名前を呼ばれた。俺が、小日向克己に。はじめて。
「どうかした、僕の顔をそんなに見つめて」
 首をかしげられて、はっと我に返った。ほんの少しだけだけどうろたえてしまう。
「あ、いえなんでも。お店はですね、やっぱりデザートが充実しているところが」
「じゃああそこがいいかな」
 あ。しまった。
 ごめん理沙。俺、うっかり丸めこまれちゃった。
 ごめん俺。窮地に立たせることになっちゃった。理沙の手前、手作りのおそろいのビーズの指輪をはずすこともできない。
 おかしな成り行きになってしまった。こうして愉快な一行は、行動をともにすることになったのだった。

 店に向かう一行の最後尾は、俺と理沙。
「いいわよお、理沙は別に。カオルの言うこと聞くもん」
 理沙が殊勝に言う。目は怖い。
「あのおにいちゃん、カオルの何なの?」
「会社の人だよ」
「ふーん」
 おもしろくなさそうだ。俺と理沙の関係を見るまなざしにひやかしが含まれていることを見抜いたらしい。女は怖い。
「おねえちゃんは?」
「俺がよく行くお茶屋さんの店員さん」
「きれーな人だね」
 おや、今度は好感触だ。西宮悠希は、接客仕事のときと同じ態度で俺に接してしまう。さっきも、俺のことをさま付けで呼んでいた。モード切り替えがうまくできないんだろうな気の毒に。しかしそれが理沙的にはポイントが高いようだ。よくわからない。
 はてさてこのランチタイム、いったいぜんたいどうなることやら。この道のりが、平穏から遠ざかっていることはまちがいない。

20060730
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