ふるふる図書館


第七章 小日向克己 3



 僕は悠希とかいう名前の、色気もへちまもない、男か女かさえもさだかでないような外見の人物とデートする事態に追いこまれていた。
 悠希とつきあおうと提案したのは自分のほうだ。それに、彼女は僕と口裏を合わせられるほど賢く機転が利くだろうという評価はまちがっていなかった。そこまでは計算どおり、まさに想定内の範囲だった。さすがは僕。
 だが、僕を合コンなんぞというばかげた企画にひきずりこんだ吉住(よしずみ)が、悠希に対しておどろくほどの執着を見せたことは、完全に予想外だった。
 あの子のどこがそんなにいいもんかね。
「今度どこか遊びに行こうよー。悠希さんをまじえてさあ。セッティング頼むよ、小日向ぁ」
 ということであるから、厳密にはデートと呼べるしろものではないのだろう。だが、適度に恋人らしさを装わないと不自然だ。
 せっかくの休日だというのに。面倒ごとはまったくごめんこうむりたい。
「なんだよ吉住、あわよくば人の彼女を横取りしよう、なんて算段を巡らせてたりするのか?」
 とりあえずさわやかにジャブ。
「そ、そんなわけないだろ。人聞きの悪い」
 ふうん図星か、なんてわかりやすいやつ。張り合いないな。
「そうだよな、お前がそんなことするわけないものな」
 僕はにっこり。明眸皓歯、かがやくばかりの笑顔は僕の十八番、お家芸だ。ふふん、吉住よ、良心の呵責と羞恥に悶え苦しんで赤面するがいい。
「でもよお、小日向はものすごくもてるじゃん。今どきの女の子にしといてくれたっていいじゃないか。悠希さんのような人までかっさらっていかなくたって」
 そんな抗議すらも申し立てられないほどの、花も恥じらう微笑みだ。
 まあいいだろう、一度くらいは彼氏彼女のふりをしておいても損はなかろう。この一件で、吉住を諦めさせるほどの迫真の演技を見せつけてやればいいわけだし。
 とまあ、こんなわけで、デートスポットに繰り出すことと相成った。参加者は、僕に悠希に吉住に、もうひとり。やはり男女ふたりずつが望ましいということで、友達を連れてきてくれるように悠希にメールした。
 ここまでこの僕の手をわずらわせるか吉住よ。その代償は高くつくぞ、せいぜい覚悟しておくんだな。

 約束の日曜日がやってきた。晴れ上がった実に気持ちのよい天候だ。
 吉住とふたりで、待ち合わせ場所にたたずむ。新橋駅だ。
 僕は至ってシンプルでカジュアルな服装でのぞんだ。特にファッションにこだわらずとも、モデルのようなスタイルのよさから何を身につけてもさまになってしまうのだ。手前味噌のようではなはだ恐縮だが、事実なのだからどうしようもない。激安の殿堂ドンキホーテで売っている服ですら着こなす自信がある。
 吉住は、かろうじてアキバ系から脱出したいでたちではあるものの、オーラといい髪型といい、まだふんぷんとその香りが漂い出していた。
 まったく異色の組み合わせだ。吉住のおかげで、そこらの女の子から声をかけられなくてすむので助かる。もし吉住までもがイケメンだったら、逆ナンがわずらわしくて仕方ないところだ。僕は心の中で、友人に深い謝意を述べた。
「こんにちは。お待たせしました」
 近づいてきた若い女の子二人連れ。
 ひとりは悠希と一緒に合コンに参加していた、アユミという子だ。
 だからもうひとりはもちろん悠希のはずである。
 悠希、のはずである。
「こんにちは、克己さん、吉住さん」
「あ。こ。こんにちは」
 吉住がほうけまくってあいさつを返す。そのおかげで、僕はいち早く精神的立ち直りを果たすことができた。つくづく僕の引き立て役だな、吉住は。僕も人間ができているから、ほんの少しばかり申し訳なく思えてきた。
「いいね、今日の服装、とてもよく似合ってるよ」
 ソフトな僕の声を受けて、悠希は笑顔を浮かべた。
「克己さんも。スーツじゃなくてそういうのも素敵です」
 ふたりで微笑みかわす。
 オタクっ気のある奴だと思ってはいたが、コスプレまでやってのけるとは。いまどきの華やかでおしゃれな女の子、のコスプレだ。見違えるものである、いやはや。
 なるほど、素材そのものは決して悪くないのでかなりのものである。僕と並んでも見劣りしないので好都合だ。ふむ、やればできるものだ。
 吉住も見習えばいいのにな。
 悠希とふたり、腹の底の魂胆を隠してしばらくにこにこと見つめ合い向かい合っていたのだった。もちろん、好きだの愛しいだの惚れているだのそんな感情は双方皆無で。
 あってたまるか。

 彼氏彼女としてどうふるまうかというのは、軽く打ち合わせはしてあった。
 しかしこんななりで現れるとは聞かされていなかったので、僕は悠希と並んで歩きながら耳に口を寄せてささやいた。
「そういう服を着てくるとは思わなかったから、正直おどろきましたよ」
 悠希も、背伸びするようにして僕の耳に顔を近づける。
「若い女の子みたいないでたちの方がいいんじゃないかと判断したので。小日向さんに恋する女の子を演出するにはね」
「なるほどね。そのファッション、まるで悠希さんらしくないチョイスですものね。策ですか」
 僕がにっこりすると、悠希もにっこりする。
「そんなたいそうなものじゃないですよ。小日向さんがどんな女性がお好みか知りませんし? 小日向さんがどんな交際をしてるのかもリサーチしていませんし、調査するにも多すぎてきりがないでしょうしねえ」
 会話が聞こえない周囲の人間には、僕たちの雰囲気は、甘ったるい睦言でも交換しているカップルに見えるにちがいない。世間の耳目をあざむくなど、ことほどかようにちょろいものなのだ。
 念入りにも悠希はフレグランスをつけている。イヴ・サンローランのベビードールか。実にオーソドックスではあるが、ビギナーという面を考慮すれば及第点をあげてよかろう。いきなり上級者向けのものに手を出せば、失敗する可能性は大きいわけだし。
 ふむ。短期間でずいぶん研究したもんだ。
「で、ゆりかもめに乗ってお台場まででいいんだよな?」
 四人の中ではまるっきり浮いた存在と化した吉住が聞いてきた。
 別に僕はお台場などに興味はないのだが、こんなくだらないお出かけ自体にもそもそも乗り気じゃないから、どこに行っても同じだろう。
 運よくゆりかもめでは四人とも座れた。ボックスシートなので、悠希とアユミに海側の窓際を譲る。
 必然的にアユミの隣に腰かけることになった吉住が、悠希にたずねてきた。
「悠希さん、小日向とは仲よくやってるみたいだね」
「え、そう見えます?」
「しかしなあ、意外だなあ、この組み合わせは。もし小日向とけんかしたら、いつでも俺のところに相談に来ていいから」
 おいおい、洒落になってない、目がまったく笑ってないって。いっそおちゃめなくらい正直者だな。
 一応一言しておくのが便宜上彼氏としての責務だろう。
「ははは、冗談言うなよ。悠希が本気にしたらどうするんだ?」
 ことさらに悠希の肩を抱いてみる。悠希がたじろいだように僕を見た。やりすぎだったかとさりげなく手を離そうとしたら、逆に向こうから身を寄せてくる。ずいぶん気合が入っているらしい。ならば僕も負けてはいられない。吉住にはまったくもって気の毒だが、これは奴自身が選んだ道だ、涙を飲んでもらうとしよう。
「はい、あたしもしつもーん」
 アユミが可愛らしい声で僕に問いかけてくる。
「小日向さんは、ユウをどうして好きになったんですか?」
 僕は朝の高原のようなすがすがしさで答える。
「人を好きになるのに、理由がないといけないのかな?」
 ないし。そもそも。きれいさっぱり。
 アユミはまちがいなく僕が目当てだ。悠希に事前にそう聞かされなくともあからさますぎるのだ。まったく、吉住といい、なぜこうも欲望をあらわにするのにやぶさかでないのだろう。日本人の美徳たる慎み深さはどこへ消えたのだ。
 などと、四捨五入すればまだ二十歳の僕が憤っても仕方ない。そんなものはとりあえず、全国紙の社説にでもまかせておけばいい。
 アユミは僕、吉住は悠希を狙い、僕は悠希を、悠希は僕を自分の友人の手に落とさないようにする。勝つために必要なのは頭脳とチームプレイ。
 今日は、悠希と共闘してゲームする一日だ。参加したからには僕に首位を譲る気はない。
 無謀にも僕に戦いを挑んだ者は誰もがことごとく後悔する、そう決まっているのだ。

20060720
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