ふるふる図書館


第五章 西宮悠希 2



 合コン、だそうである。
「お願い、どうしても数が足りなくてさ。この通りっ」
 手を合わせて頼みこんでくるのは、高校時代の同級生、小島亜由美(こじまあゆみ)。
 私のどこをどうとれば、合コンなどに参加意欲を燃やしそうな人間に見えるのだか。
「だって、男子とも気軽に話できるじゃん、ユウキは」
 それがいいとも限るまい。
 だいたい、私はミスコンもマザコンもさしこんもきらいだ。
「ただ、一緒にごはん食べて会話してればいいから。ね?」
 よほどせっぱつまっているのか、ずいぶん熱意をこめて口説きにかかってくる。私はコーヒーカップで手のひらを温めつつ、どう断ろうかと思案投げ首のていに陥った。
 高校のときも、そうだった。文化祭の打ち上げで、みんなでカラオケに行こうと誘われた。
 カラオケなどめったに行ったことがなく、あまつさえ特に仲のよい友人もいないのに、歌声を披露できるはずがない。人前で歌うのは断固ごめんこうむりたい。自慢できるのどでもないのだから。
 小島亜由美は、そんな私の心情も知らぬげに、うっとうしいほど明るく屈託なく誘ってきた。
「行こうよ、ユウキ。だいじょうぶ、一曲も歌わなくていいからさ」
 難色を示しても執念深くあの手この手で説得してくる彼女に、ついに折れた私は、しぶしぶクラスメイトたちについていった。
 しかし結局のところ、私は歌わされる羽目になった。ただ聞いてるだけでいい、というのは小島亜由美ひとりの見解であるし、いくつかの部屋に分かれたグループ間をあちこち移動していた小島亜由美と、ずっとひっついているわけにもいかなかったのだ。
 流行の歌なんて全然わからないし、かと言って古い曲を選べば、こんな趣味だったのかこいつは、という目で見られるし。
 練習なしで歌えるものなのかね、ああいうのって。出来はさんざんだった。
 なんでみんなこんなのが好きなんだろう?
 もう二度と、気乗りのしない誘いには応じまいと、固く固く心に誓った。
 なのに、久しぶりに会おうよ、と小島亜由美に呼び出されて、待ち合わせのカフェに来てみたらこれだ。
 別に親しいとも思ってなかったのに、彼女は私を高校生のときから「ユウキ」とか「ユウ」とか、下の名前で呼ぶ。私は律儀に「小島さん」と呼んでいるのに。
 もっとも、なぜかあのころ、小島亜由美と同様に私のことを呼ぶ女子が多かった。そんな、いかにも若い女の子らしい習慣が、なぜさほど親しくもない私に適用されたのか、ちっともわからない。
「ユウってボーイッシュでかっこいいよね」などと言ってくるのは、たいがい、特に行動をともにするわけでもない女子だった。逆に、私が友だちづきあいしていた数少ない女子はいずれも、そんなことさえ言わないキャラクターで、ごくふつうに「西宮さん」と呼んでいた。私は誰に対しても、名字にさんづけをして呼ぶ。
 よく考えれば変だ。
「ほかの人誘いなよ。私は行かないから」
「意地悪言わないでえ。もうユウキしか頼む人いないんだってば」
 なんのかんのと押し切られ、結局私は参加するはめになってしまった。なんてお人よしなんだろう私は。自己嫌悪。

 合コン会場は、落ち着いておしゃれな感じの飲み屋である。いや、こういう店は飲み屋とは言わないんだろうが、かと言ってどういう名称なのかわからない。
 開始前に入ったトイレで、小島亜由美は、まなじりを決して私に厳しく叱咤をとばしていた。
「ちょっと、何その格好は。合コンだよ? わかってる?」
 それくらいわかってはいる。しかし、今日びの若い娘が着るような服は、私が着られない服ばかりだ。
 きらきらしたもの、ひらひらしたもの、ぺなぺなしたもの、ふわふわしたもの。ああ、やだやだ。そんなデコラティブな服を身につけるなんてとんでもない。どんな拷問だ。いや地獄に落ちたら、こんな刑があるに違いないとすら思う。
 一回こっきりのイベントのために、新調する気にさえならない。
「だからって、それはないんじゃないの?」
 ユニクロやイトーヨーカドーや、ファッションセンターしまむらや、サンキで入手した衣類を、小島亜由美はきれいに描いた眉をひそめて、とっくりと見やった。
 安いからとて、センスは決して悪くないと思うのだが。それに、何はなくとも学業に専念すべき学生が、高価な衣服を持ってるほうが私には理解不能だ。
「ああ、油断したあたしが甘かったわ。ちゃんと服選びから指導すればよかった。
 めがねはしかたないか。コンタクト持ってないんだもんね。でもユウ、それすっぴんでしょ?」
「いつもそうじゃん」
「まあ、肌はきれいだからファンデはいらないかな。眉も形がいいからそのままでだいじょうぶかもね。でも、口紅とアイシャドウくらいはつけなさい。ほら、貸してあげるから」
 おごそかに宣言するやいなや、彼女は化粧品をポーチから出し、私の顔に容赦なくぐいぐい近づける。
「や、やだよ」
 私は本気でおびえてのけぞった。洗面台にぶつかって、後退をはばまれる。慈悲のかけらもなく迫り来る紅筆。まるでホラー映画だ。それもB級の。
「往生際が悪い。観念しなさい」
「だって、私は添え物でしょうが。刺身の菊、お寿司の葉っぱ、サンドイッチのパセリ、牡蠣フライのレモンじゃないの。そこまでおしゃれしたって仕方ないって、ひきたて役なんだから」
「何言ってんの。ユウキに彼氏を見つけて欲しいから、セッティングしたのに。せっかくの友情を無駄にするつもり?」
 ……はあ? ちょっと待ていっ。
「じゃあ、人数が足りないってのは」
「嘘に決まってるでしょ。ほらほら、時間がないから早く!」
 疑うことを知らない人間をだまして罠にかけるような、そんな友情なんていらんわっ。

 しかし、わからないものである。
 蓋を開けてみれば、そこにいたのはちゃらちゃらしたイケメンたちではなくて。
 アニメや漫画に造詣の深そうな若人たちであった。
 たしかに、有名な企業に勤める若手サラリーマンたちではあったが。
 いったい、どういうルートで集めた顔ぶれなのだか。私にはとんと見当もつかない。
 まあこれなら、居たたまれなさもちょっとは軽減できるかも知れない。私はほっとした。
 いや、ほっとしている場合じゃないんだった。できることなら、誰とも口を利かずに黙々と酒を飲み飯を食べしてやり過ごすのがベストなのだ。
 しかし女子の落胆ぶりは相当のものがある。おのずと、私ばかりが彼らの相手をするはめになった。
 女子が三人、男子が二人。あれ、こんなとき、男子も三人っていうのがお約束なんじゃなかったっけ?
 そんなことを考えていると。
「遅れてごめん。ちょっと、仕事が長びいて」
 スーツ姿の新手が、さっそうと姿を見せた。
 とたん、女子たちのまわりの空気がさっと華やいだのが、痛いほど肌で感じ取れた。むせ返るほどのバラ色だ。漫画なら、瞳もハート型になっていたことだろう。リアルの世界で本当によかった。おいおいわかりやすすぎだよきみたち。
「土曜日なのに出勤だったんですか」
 さきほどまでの死んでうつろな表情はどこへやら、瞬時に顔を輝かせた小島亜由美が、先陣を切って話しかける。新手はあでやかに微笑んだ。
「ちょっと、このところ立てこんでまして」
「仕事ができる男の人っていいですねえ、憧れちゃいますう」
「いえいえ、まだまだ一人前じゃありませんからね」
 私は、先にいた男子ふたりと新手を見比べた。あまりにも共通点がないのだ。自分も、女子ふたりと激しくミスマッチだから気になった。
 おおかた、男子ふたりの助っ人を頼まれたってところだろう。営業職のせいか、もともとのキャラクターなのか、まさに如才がない。合コンなんぞに出席せずとも、美女はよりどりみどり、引く手あまたのはずなのだから。
 私の推察はどうやら的を射ていたようだ。空腹だから、という理由でさっさと料理に手をつけはじめ、女子ふたりの手をゆるめない攻撃も愛想よく、だが難なくスマートにかわしている。
 仕事帰りで疲れているはずなのに、まことに洗練されていて品がよく、無駄も隙もあったもんじゃない。
 合コンに臨むにあたり私が取ろうと思っていた理想の態度が、ここに凝縮されているではないか。
 かたや、男子ふたりを相手にZガンダムの話をしている私。住む世界のあまりの違いに腰から脱力しそうになった。
「ちょっとお手洗いに行ってきます」
 私は椅子をひいた。あ、こういうときって、女の子が連れ立ってトイレで密談とかするんじゃなかったっけ。誰かついてくるのかな、それじゃ息抜きにならんな、と思っていたら。
「あ、僕も」
 席を立ったのは、さわやかスーツ氏だった。これなら、女子がついてくることはたぶんないだろう。壁ひとつ隔てた場所で、本人たちがそこにいるのに噂話はできまい。

「あのおふたりとは、お友だちなんですか?」
 ふたりになったので、私はスーツ氏にたずねてみた。スーツ氏はおだやかに微笑んで答える。耳に心地よい、やわらかな美声だ。
「大学のときの同窓生です。どうしてもって頼まれて」
「あ、だったら私と同じだ。私も高校のときの同級生に、拝み倒されて連れて来られました」
「こういう場ははじめて?」
「はい。すごく苦手で」
「なるほどね。合コンなんて似合いませんよ、ユウキさんは」
「自分でも、そう思います。でも本当は、私に彼氏を見つけてやろうってのが目的だったみたいなんです。私はそんな気はさらさらないんですが。すみませんなんだか巻きこんだみたいですね」
「なるほど」
 事情を話すと、スーツ氏がひとつうなずいた。
「じゃあ、ひとつ提案させてください。ユウキさんと僕がくっついたことにするのはどうでしょう。ユウキさんも僕も、今特定の相手が欲しいと思っていないでしょう。これなら利害が一致します」
「は? いや、でも」
 小島亜由美もその連れも、露骨にスーツ氏狙いである。逆恨みされたらたまったもんじゃない。
「お友だちは、ユウキさんが彼を見つけることが目的なのでしょう、だったら文句を言う筋合いはないはずです。
 あ、ご心配なさらず。僕たちが本当に恋人どうしにならないといけないって義務はありませんから。僕も、ユウキさんをどうこうしようというつもりはないですし」
「はあ」
「ユウキさんは、オタクにもてるタイプですよね。言ってみれば、アキバの女神です。何も、芸能人のアキバ系アイドルばかりがオタクにもてはやされるわけじゃない。ユウキさんのような、オタクを拒絶しなくて、オタク文化に詳しくて、ちょっと可愛いけれどとりたてておしゃれでもない、素朴っぽい女性をオタクは必要としているんです。ちょうど住み分けができてるんですね。僕は門外漢ですから」
 なんだろう、すごく優しい声音とすごくきれいな容貌で、すごく失礼なことを言ってないかこいつ? 妙に腹が立たないところがまた小憎たらしい。しかしそんな心情を、私はみごとに韜晦してみせる。
「だから、僕はユウキさんに決して手出ししません。どうか安心してください」
 女性の九割五分をとろかし骨抜きにするであろう完璧な笑顔でにっこり。私は、この男の本性がわかった気がした。負けじとこちらもにっと笑う。ふふん、上等じゃないの。世界中がこのすました男にだまされても、私だけは惑わされないぞ。
「わかりました。その案に一口乗らせてください」
「取引成立ですね。念のため、僕の連絡先を渡しておきます」
 さしだされた名刺を確認した。私でも知っている大手企業名と、役職の下に、彼の名前がある。
 小日向克己。

20050925
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