ふるふる図書館


おかわり12 トリート・ユー・ベター 3





 夢と魔法の国の敷地内でも、時間がとまるわけはなく。翌日になったので帰らなくてはならない。
 昨日はあんなに入国を渋ったのに、離れるとなると名残惜しい気がしないでもない。だけど、それは木下さんがいたから充実していたのだ。木下さんは、俺と一緒にここを出るんだから、憂鬱になる理由なんかちっともない、と自分に言い聞かせた。
「次に来るときは、なんか仮装しよっか」
「ええーっ。俺がですか」
「そ。どのディズニープリンセスがいい?」
「はあ? なんでプリンセス」
「ディズニーキャラしかコスプレしちゃいけないんだって」
「そこじゃなくて!」
「ぜーったい似合いそう」
「話聞いてください」
「あ、昨日お前がぶつかっちゃったあの女の人さ、お前に似てたね」
「へ? 全然似てないと思いますけどいったいどこが」
「可愛いとこが。お前が女だったらあーいう感じかもーて思った」
 俺の反対意見はスルーなくせに、こういうボールはちゃんとキャッチして投げ返してくんのか。「お前が女だったら」、ね……。モヤ。
「だから、お前もプリンセスいけるって」
「そんなに、俺にスカート着せたいですか。俺が女だったらよかったです?」
「飛躍するねえ。男のお前が着るからいいんでしょ」
  むすりとしている俺の表情に気づいたものか、「あ。ちがうわ」と訂正が入った。
「お前が男だからいいんでしょ、だ。……んー。それもちがうか。お前だからいいんでしょ、だ。うん。そうそう。そうだそうだ」
 なぞに満足げだ。今の今まで、ズバッと確認したことなかったある一点を、俺はつとめてさりげなく投げつけた。はぐらかされるんじゃないかと駄目もとで。
「あの、ですね。木下さんは、男と女とどっちがいいんですか。どっちもですか」
 すると、「ぱちくり」というオノマトペが文字で背後に出現しそうなくらい目をしばたいて、こともなげに言った。
「どっちでもないよ。コーキがいいだけ」
「……ば……っ」
 ばかばかばかばかあー! 聞いた俺がばか!
「おーい、どこ行くの。そっちじゃないよ、コーキ君? 駅は逆だよお」
 んなこと往来で叫ばれてもはいそうでしたと戻れない、こんな顔のままじゃ。この人の言葉は軽くて、あっさりさっぱり仕立てで、重みも真実味もないことなんて知っている。真に受けて、動揺して、うろたえて、背中向けて、あさってのほうにずんずん歩いて、うつむいて、視線を落として、耳を火照らせてる俺がいちばんマヌケだ。
 この人は、言質を取られるようなことをめったに言わない、昔から。人に繋ぎとめられることが嫌いなんだろうし、人を繋ぎとめることもしたくないんだろう。だから、ペアグッズを持つなんて想像したことすらなかった。
 ショルダーバッグにつけたミッキーが揺れて弾む。唯一のおそろい、だけども。俺と木下さんは同じ機種同じ色のiPhoneだがそれはおそろいと呼べない。このミッキーだって、俺たち以外のたくさんの人が持っているわけで、スマホと同様、おそろいって言えないんじゃないか。
 ぴたり、と足が止まった。回れ右して、でも顔は上げないまま、木下さんのほうに突進し、その背後に回りこむ。ボディバッグのミッキーが黒い瞳で俺を見つめた。
「どしたの。なにしてんの」
「なんでもないです、お気になさらず」
 右手で木下さんのミッキーをきゅっと握って持ち主の動きを封じ、左手で自分のをつかんだ。両手を近づけると、そっくりだけど微妙に異なる二体がハグをする。見届けて、俺はよし、とうなずいた。これでこいつらは、大量生産されておびただしい数の人間が持ってるグッズではなくなったんだ。
「おそろい、だ。うん」
 ぷーっ! と出し抜けに吹き出す音がして、俺はぎょっと手を離した。コンロにかけたやかんが沸いたわけではなく、木下さんの笑いだった。
「なにやってんのお前」
「は? あ? え? まさか」
「はい見えました。俺の体は柔らかいし、視野も草食動物なみに広いのです」
 自分以外にはまったくもって意味不明かつキモすぎる行動を晒してしまった俺が二の句も継げず固まってるのをいいことに、ぬいぐるみ二体に俺がやらせていたことを俺にした。しやがった。
「可愛すぎか。あざとすぎかお前ずるいわ。わざとなの天然なの」
「俺がっ?! 冗談はやめて、可及的速やかに離れてください! 苦しい! ギブギブ!」
『離れないよ!』
「き、木下さんここ公衆の面前! てか、急にその裏声」
『僕ミッキーだよ! 今この人に憑依してんの。夢と魔法は終わらない。ずっと続くよ! アハハ!』
「夢と魔法のくせに怖いこと言うなオイ」
 あいかわらず無駄に上手な声真似にツッコミを入れるも、歯牙にもかけないご様子。
『僕は相方と離れたくないんだよお』
「俺は、別に憑依されてないから。ミッキーじゃないから。離してくださいってば!」
 抗議にちっとも耳を貸さずに『だからね!』と声を張る。ねずみに乗り移られても、会話が噛み合わないキャラは一貫している。
 俺の両腕をつかんで引き剥がし、不意をつかれて息を呑む俺の顔を真っ向から見て真摯に言った。
「俺と同じ家で、暮らそ?」
「……それは、ミッキーAが、ミッキーBに、言っているんですよね?」
「木下俊介が、桜田公葵に、言っています」
 吸いこまれそうな淡い色の瞳を受けとめきれず視線があちこちさまよって、ついついどうでもいい疑問が出てきた。
「それを言うために、ここに来たんですか?」
「そういうつもりはなかったんだけどねー。さっきのでトリガー引かれた。樽に短剣刺されて黒ひげ飛び出た」
 俺だってそんなつもりじゃなかったっての。どんな弾のこめられたロシアンルーレットだよ怖いわ。そんなんで飛び上がっちゃう黒ひげにこっちがびっくりだわ。
「それで、ものの弾みですか。衝動ですか」
「かもね。でも冷静と情熱の間にいるよ。で、返事は? 『はい』なの『イエス』なの?」
「一択?」
「わかった、ミッキーBに聞いてみよっ」
 ひょいと俺のぬいぐるみを手のひらにすくい上げ、「相方と一緒のお家に住みたいですか?」とたずねた。当然、ミッキーは無言。
「うん? お返事が小さくて聞こえないよ?」
 歌のおねえさんか、号泣議員みたいに耳に手を当てるポーズ。この状態で膠着するのは、あほくさいことはなはだしい。俺はさんざんためらった挙句、しかたなく精一杯の声色を使った。
『一緒のお家に住みたいです』
「そっかあー。じゃあ、コーキ君もついてこないとだめだね?」
 うなずく俺のほっぺたが湯気が出そうに紅潮しているのは、苦手な物真似なんか練習もなしにやったからだ。一世一代の台詞が泣きたいくらい下手くそすぎたからだ。それ以外に理由、ないから! 照れてるとか嬉しいとかじゃないから!
 もう、縛ってるし縛られてるんだ。その、糸だか紐だか縄だか鎖だかが、ものすごく長くて、海を越えられるほどもあって、縛られてることも気づかず意識できないくらいにお互いのびのびと自由に振る舞えているだけで。
 だったらそれは、「縛る」じゃない。「つながってる」ってことだ。
 木下さんの笑顔が、高く青い空を背景に、明るく透明な秋の日差しに照らされる。こんな光景にすら鼓動を早める日は、いつか終わるかもしれない。一緒に生活したら、距離が縮まる分、終わりが早まるかもしれない。
「知り合って十年以上たってるし、同じ家ったって今みたくなかなか顔も合わせないだろうし、あんま変わらないんだろうけどな」
 並んで駅に向かう木下さんが、俺の心を読んだかのように言うものだから、口もとがほころびておさえられなかった。
「そうですね。たぶん、変わらないです」



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仲よくしていただいている、まいこ(Lilien)さんの作品「まち子さんシリーズ」のおふたりに特別出演していただきました! 途中で出てくる美人です。力不足のためあまり登場させられなくて、遺憾です。今回の「ハロウィンのディズニーランドでデート」「おそろいのぬいぐるみバッジ」などのねたも、まいこさんからリクエストいただいたものです。全部のお題を消化できなかったのが残念ですが、楽しく書けました。ありがとうございました!

20161105
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