ふるふる図書館


おかわり13 キャント・リブ・ウイズアウト・ユー





 公葵から、仕事が終わったとLINEが入った。
 今日は、俺は大学時代の友人の結婚式に参列していた。正装した姿を珍しいからと見たがって、自分が帰宅するまで脱がないでと言っていた。「えー。窮屈だし貸衣装だし、早く着替えたいー」とほっぺたを膨らませて「ああ、そうですよね。それならいいです」と答えさせたものの、そんなささやかなリクエストを叶えることにやぶさかではないわけで。こっそりスタンバイすることにした。
 玄関で待ち構えて、ドアが開いた瞬間、不意打ちで、とびきり大きな花束を差し出す。きっちりその場でひざまずくというオマケつき。
「うっわあ、なにそれ、気障すぎでしょ。どこの王子様だよ……」
 憎まれ口を小さく叩いて、公葵は赤く染まった顔を花にうずめて隠した。
「照れてんの? コーキちゃん」
「恥ずかしいのっ。かっこいい格好で、小粋なことやんないで」
「ええー。かっこいいのは、格好だけ?」
 わざと拗ねたふりをすると、眉をハの字にして「むー」と口ごもり、「この花って式でもらったものですか?」と話を逸らした。
「うん。飾ってあったの配るっていうからいっちばんきれいなのもらってきた」
「……あ。花嫁さんが投げたやつじゃないんですね」
「ああーっ。ブーケトスされたのがよかった? やっだもー、コーキちゃんたら乙女!」
「ちっが、い、ま、す! あれ女性向けでしょ? 木下さんがゲットしちゃったらドン引きですよ、まわりも俺も! そうならなくてホッとしたんですっ」
「キュートすぎんだろこのロマンチストさんめ」
「人の話聞けよ」
「俺のほう見てくれたら黙るね」
「……調子狂うなあ。いつもと違うんだもん。そりゃあスーツ姿見たいとか言ったの俺だけど。なんか変です。いやいつもアンタは変ですけど。なにかあったんですか?」

 式と披露宴のあと、自宅で正装で公葵を待つことになる。それも落ち着かないので、外で少し時間を潰すことにした。
 久々にふらりと入った小さなバーは客がまばらだった。カウンター席にひとり腰かけているのは見知った顔だった。何食わぬ顔で隣に座ってみたら、すいっと視線を動かしてこちらを見て、ふいっとグラスに目を戻す。この奇遇に驚いているのかいないのか、整いすぎた横顔からはさっぱり読めない。人に表情を悟らせないのは、俺もほんのちょっとは自信あるけど。
 ジン・フィズをマスターから受け取って「常連客だったんですか? 春日サン」と話を振ると「まあそこそこ」とそっけない返事をよこす。明らかに日常とかけ離れた俺のいでたちにツッコミ入れることすらしない。
「俺はたまーに来る程度。ここで会ったことないよね。春日サンみたいな絶世の美形、一度会ったら絶対忘れないもんねえ」
「周知の事実は、口説き文句にはならないな」
「あっはは、春日サンをナンパしようなんていろんな意味でおっかないからー。あはっ」
 そんな会話をしても周囲から浮かないのは、そういうたぐいの店だから、だ。男が同性の相手をみつくろう場を積極的に提供するわけではないけれど、トラブルさえ起こさなければ黙認してくれる、静かで落ち着いた雰囲気のバー。連れがいなければ、他の客に誘われることもままあることだ。
 遭遇した春日玲は、公葵がよく通う喫茶店『ハーツイーズ』のオーナー・七瀬知世にゆかりある人物だ。口調も態度も表情もエブリタイム氷点下、ツンドラ気候、永久凍土。だが、それしきで怯む俺ではない。すでにアルコールを入れてきて素面ではない俺は、酔っぱらいの特権をおおいに生かして馴れ馴れしく振る舞うことにした(いつもと変わらない?)。
「七瀬サンというものがありながら、ひとりで来ちゃう?」
 へらっとしれっと水を向けると、春日さんは頬杖をついて流し目をくれた。
「七瀬とは、そういう関係じゃないから。そちらこそ、どうなの」
「桜田とは、そういう関係じゃないので」
 俺の返答を聞くと春日さんは肩をすくめた。
「あんた、有名だったりしない? 手が早いって。暴力をふるうって意味じゃないほうで」
「うっわあ、うわさになってるんだあ。光栄至極だわ。でもね、俺が手出ししてるんじゃないよ。逆、逆。されるほうなの。ふふ。俺は気持ちよくしてもらうのが好きなだけであって、気持ちよくしてあげるの得意じゃないもん」
 男でも女でもかまわない、し、実際どちらも経験した。しかし、俺の希望をかなえてくれるのは男のほうが多い。ゆえに、相手が男に偏りがちになる。三段論法。
「赤裸々な事情を誰が話せと言った」なんてありきたりのリアクションを、春日さんはしなかった。
「桜田君にはあんたがちょっかい出してるように見えるがな」
「あいつにはね、なーんか、してあげたくなるの。お・も・て・な・し。ウブだから教えたくなるのかな? 可愛いから、可愛がりたくなっちゃう。あっ、七瀬のほうが可愛いって思ってるでしょー。七瀬に比べたら桜田なんかヘチャムクレのオカチメンコだと思ってるでしょー」
「思ってないけど、事実ではある」
 言ウヨネー。
「そんな七瀬サンを数々の魔の手から守ってきたんでしょ春日サンは。七瀬サン、天然でなんだか危なっかしいもん」
「しかし頑固で意地っぱりだ」
 七瀬さんの話をするときは、切れ長の目もとがごくごくわずか、やわらぐ。
「あそうだ、こないだ『ハーツイーズ』行ったんだけど、休みだった。どうかした?」
「たいしたことない」
「ま、休暇も必要か。働きすぎは毒だよね。七瀬サン、けなげながんばりやさんって感じだしー」
 春日さんはふんと鼻を鳴らした。
「小心者だからあいつ。つい人目を気にして無理してばかりだ。根が怠け者で体力も気力もないのに。おれみたいな、素行がわるい人間を隠れ蓑にしてのびのびやるような知恵も相変わらずまわらない間抜けだから。あいつは、おれを頼ってあてにすることをさっさとおぼえるべきなんだがな」
 辛辣にこき下ろすわりには、春日さんが長いまつげの陰を下瞼に落とすと、ひどく憂いを帯びて見えた。そこには気づかないふりをする。
「七瀬サンは、春日サンをじゅうぶん頼ってますよお。いろいろズバズバズケズケ言うじゃない?」
「そういうふりをしているだけだ。本音をてらいなくさらけ出せるほど大胆じゃない」
「……なに。あの人、どうかしたんです?」
 冷ややかな鉄面皮に、ごくうっすらと懸念が透けて見える、ような。
「さあ」
「頑丈そうじゃあないもんなあ」
「歳だからな」
「高めに見積もったところでアラサーくらいにしか見えませんけど」
 今、世間様にけんか売ったでしょ、と絡んでみたら、めんどくさそうに説明してくれた。
「七瀬家は女系だ。男子は短命で、入婿も夭逝しているらしい。あいつは……知世は昔は父方の姓を名乗っていたんだが、十八歳で七瀬の家に入った。だから、あの一族の男子としては歳ってこと。寿命がどのくらいかはわからん。調べてみたが、前例がない。将来普通に年金暮らしをするかもしれないし、すでに晩年かもしれないし」
「女性なら、長生きってこと?」
「そう聞いている」
「あの人、女にしか見えないけどだめかなー。名前からして男っぽくないし」
「名前は、一種のげんかつぎだな」
「もっと徹底したら?」
「というと」
「女の格好してもらうとか」
「あいつは断固拒否する」
「死ぬよりましでしょ」
「絶交される」
「絶交って。その単語、ノスタルジーすら漂うわ。小学生か」
「あいつとは過去、何度か絶交してるが?」
 なにそれ。なかよしこよしか。
「で。七瀬さんのこと抱かないの」
「は?」
「そんなんで男が女になるわけないけどさ、なんていうか儀礼的なものとして。イニシエーションみたいなテイで」
「それこそ絶交ものだろ」
「春日さんにしかできないことじゃないの?」
「しない」
 できない、と言わないのはプライドか?
「今さらだな」
 ひどく甘そうなチョコレート・グラスホッパーを優雅に口にした春日さんがおもしろくもなさそうに続ける。
「もういい加減に諦めればいい。女装が似合うとか、外見が女だとか、もう認めて楽になればいい。いい歳してなにをあがいているんだか。このおれが全部認めて受け止めてやるのに。なにが不服なんだ。なりふりかまってもしかたないだろうが」
 それはあんたもだよ、春日さん。プライドなんて、神棚でも仏壇でもどこかに丁重にしまっとけばいいのに。命あってのモノダネじゃん。
 本人にはそれぞれ心情や感情があるんだろうけど、第三者は簡単に解決策を出せるもの。
 お前が死ぬのはいやなんだと泣いてすがって抱きしめて絆してお願いをきいてもらおう、というプロセスは踏まないのかしらん。だったら、ぐう正論なプレゼンテーションでもするんだろうか。ああ逆効果か。正論は人を追い詰める。天使は耳に痛いことを、悪魔は甘くやさしいことを言う。追い詰めるんだったら、逆に、
「甘言のひとつやふたつも弄してみたら? お前が死んだら生きていけない、くらいの、さ。今ここで練習してみる?」
 春日さんが、唐突に俺の目を至近距離でのぞきこんだ。彫刻みたいな唇からもれるチョコレートリキュールの香りがふわりと産毛をそよがせる。俺の前髪をするりとかきあげる。
 おお? やんのか。でもそれくらいでたじろぐ木下さんじゃなーいもんねー。返り討ちにしてやんよ。
「その目の色、知世に似てるな」
 イギリス人の血をひく七瀬さんは、髪も肌も瞳も色素が薄い。俺はたまたま目が淡色なだけだけど、あのくりくりまなこに近づけるよう、アルコールで潤んだ目をみひらいた。その他の部分は似ても似つかないから、視界に入らないよう、さらにさらに顔をくっつける。
「似てるって? おれを誰と間違えてるの」
 凛とした高めの声。うん、酒が入っているにもかかわらずうまく出た、七瀬知世の声。物真似声真似はオハコなんだ。どやあ。
「おれは、お前を間違うことなんか、ないのにさ。……ねえ、おれがいなくなったら、困らないの。言ってよ。お前が死んだら生きていけない、って」
 しばしまばたきを我慢していたが、こらえきれずぱちぱちしたら、ぽろぽろっと涙が落ちてきた。我ながら女優すぎだ。春日さんの長すぎる指が、滴をすくう。あ、迫真すぎる。マジで七瀬さんの代わりにされる前に、自分のキャラに戻しとこ。
「それ、あげない。返して」
 春日さんの手を取り指先をちゅっと吸って、水滴を回収した。一瞬、虚をつかれたような(ぎょっとしたような?)春日さんの顔はレアもので、俺は満足して「うひひ」と笑った。
「かわりにこれあげる!」
 手荷物の紙袋から、花を数輪取って、握ったままだった春日さんの手に押しつけた。
「わー、薔薇、似合ーう! 絵になるわー。ひざまずいて七瀬さんに渡すといいよ」
「おれは花に興味はないからあいつにやるけど。膝を折る理由はないぞ」
「そーお? 抱くより手軽で簡単でしょ。だったら、俺はあの子にひざまずいて花を渡そっと!」
 俺はひらりと止まり木を降りて、「そんじゃ、まったねー」と手を振って、さっさと会計をすませて店を出たのだった。

 春日さんは、どんなふうに薔薇を七瀬さんに渡すんだろ。
 俺は言わないよ、「お前が死んだら生きていけない」なんて。そんな言葉でお前を縛らないよ。
「ちょ、苦しいです、てか花が潰れます! ロープロープ!」
 なのに、なんで、腕をお前の体に回してお前を縛ってるんだろうね?
「いやあ、花束抱えてもじもじしてるコーキがほんっと可愛くって。てへへ」
 俺の笑いはしまりないのに、腕は力がこもってぎゅっとしまる。
「キモイです! なんなんですか、結婚式にでもあてられちゃったんですか? 離してくださいよ、まだ玄関だし!」
「やーあーよ」
 式では、新郎と新婦がお互いを永遠に愛することを誓い合って、大勢の参列者の祝福の言葉、いっぱいの美しい花に囲まれて、幸せそうに涙しながら笑っていた。だけど。
 本人にはそれぞれ心情や感情があるんだろうけど、第三者は簡単に解決策を出せるもの。バーで春日さんに放った揶揄まじりの言葉のいくつかは、そっくりそのまま俺へのブーメランだった。だけど。
 言わないよ。俺は、言わない。

20170326
PREV
INDEX

↑ PAGE TOP