ふるふる図書館


番外編3 トリッキー・トリックスター tricky trickster



「あの、すみません」
 俺と差のない身長。あまり手のかかってなさそうなナチュラルな髪。どこかのんびりした雰囲気。前を歩いていたその背中に、続けて呼びかけようとして躊躇した。
 たしか、こないだ店長に紹介された人じゃなかったっけ。名刺に役職が書いてあった気がする。なんだっけなんだっけ。ちゃんと肩書をつけて呼ばないと失礼なんじゃないのかな。えっとー。
 俺がぐずぐずしていると、ふいとその人が振り返った。
「おはよ。今日からのバイトの桜田君だね。よろしくね」
「は、はいっ。おはようございます。よろしくお願いしますっ」
「俺のことは木下さんでいーよ」
 こともなげに言って、にっと笑った。
 すげーなこの人。読心術の使い手か? 驚きさめやらぬ胸のうちで、忘れないようにきのしたさん、きのしたさんと復唱した。
「職員通用口はね、こっち」
 案内されて、安堵した。
「すみませんわかんなくなっちゃって。誰かに聞こうとしたんですけど誰もいなくて困ってました」
「そーだよ時間ものすごく早いよ。もっとゆっくりでよかったのに」
「家が遠いから、余裕をもって電車に乗ったらこんな時間に着いちゃって」
「そっかあ。じゃあ、始業時間まで俺とよもやま話でもする?」
 俺はきょとんとした。すぐに仕事の説明に入るものだと思っていたから。
「だってさー。どっちにしたってバイト君には時給分しか出さないわけだし。しょっぱなからそんな飛ばさなくていーし」
 そういうものなのかな。俺、おしゃべりじゃねーし昨今のトレンドも知らねーし学校生活も単調だし、なにを話せばいいんだろ。まともに会話できるかな。
「あっ、こんなに早く出勤したってことは、なにかお仕事があるんじゃないですか?」
 俺が言うと、木下さんは「うむ。よいところに気がついた。なかなかやりよるのう」と重々しくうなずいた。忘れてたんかい!
「残念至極だが、俺には仕事が待っている。そういうわけで、しばしお別れだ。今度は迷わないように気をつけてな」
 話しやすいといえば話しやすいのかもしれない。なんか、おもしろい人だけど。俺のまわりにまったくいないタイプの大人だ。直属の上司らしいし、うまくやっていけるといいな。抜けてるっぽいけど大丈夫かな。期待と不安をこもごも抱きつつ、アルバイト初日はこんなふうに滑り出したのだった。

 その数時間後のスタッフルームで、木下さんがバイト全員に飲みものを差し入れしてくれた。自販機でどっさり買いこんできたみたい。俺は後ろのほうで、みんなが缶を選んでいくのを見てた。すると木下さんと目が合った。どこか呆れた顔をしているように見えた。俺のことどんくさいって思ったかな、思っただろうな。好ききらいがないから、残りをもらおうとしてただけなのに。
 だけど木下さんが口をひらいたのは、バイトの先輩たちに向かってだった。
「お前らなあ。ちったあ新人君に譲れよ。今日が初日の子がいるだろ」
 えっ。みんなが悪者になっちゃうじゃんっ。そんなの申し訳なさすぎる。
「いいんです、いいんです、俺のは」
「なくなっちゃったぞ。残ったのはアップルティーか。いいのかこれで」
 手渡してくれた。あ。もしかして、俺のことを気遣ってくれてたのかな。そう気づいたのと、親族と先生以外の大人の人になにかをおごってもらうのははじめてだったのとで、嬉しくて胸とか顔がぽかぽかした。給料をもらって働くことへの緊張と、うまく人間関係を築いていけるのかという心配が、ほんのちょっと薄れた。それに、飲みものに口をつけている間は、見知らぬ人と同じ空間で過ごす休憩時間に、身の置きどころがない思いをしなくて済む。受け取った缶を見つめて、大事に両手でそっと包みこんだ。

 言われたことをこなすうち、どうにか環境や仕事に慣れていった。
 商品を陳列しながら、俺は木下さんに関する情報を整理してみた。あたかも、BOSSのCMに登場する、この惑星の住人を調査する宇宙人ジョーンズだ。
 たぶん面倒見はいいほうなんだろう。俺が携帯を持ってないと知ると、店の近くのビックカメラまで一緒に行って選んでくれたし、携帯の設定までしてくれた。話の輪に入れてくれるおかげで、ほかのバイトの人たちとも早くなじめた。仕事の教え方も上手だ。おまけに名門大学卒業ときたら、お馬鹿な俺は足元にも及ばないほどすごい人みたいだ。だけど。
 性格や口調がどーにも軽い。いつでもへらへらぺらぺらハイテンション。山内さんによると五か月前、十一月で二十五歳になったとか。俺が十七だから八こも上のはずなのに、そんな事実をうっかり忘れてしまいそうだ。それでいて、声はいいんだよなあ。「Dr.スランプ」とか「CITY HUNTER」とか「キン肉マン」の主人公じゃないんだからさ。そうゆーギャップが売りだったら「魁!!クロマティ高校」のメカ沢もか。
 あっ、いかんいかん。給料もらってんだから、ぼんやりしてないで仕事に集中しなくちゃ。近づいてきたお客さんを見て、俺は心をひきしめつつ「いらっしゃいませ」と挨拶した。
 中年のお客さんだった。本を手にしながら、うんちくを俺に向かって語り出したので、俺は丁寧に相槌を打ちながら聴いていた、つもりだった。のに。
「なに上っ面だけ合わせてんのよわからないくせに!」
 お客さんはいきなりキレたのだった。面食らって固まってしまった。こういう人が世の中にいるとは想像すらしていなかった俺に、お客さんは頭ごなしに怒りをさらにぶちまける。
 俺がとろいとか馬鹿だとか、そういうのはいい。そのとおりだし。だけど店の教育が悪いとか、もうこんな店二度と来ないとか、そういうことを言われて俺は真っ赤になった。どうしよう。俺なんかを雇ったばかりに、ここが悪く言われて売り上げも評判も落ちたらどうしようっ。教育悪くなんかないのに。ちゃんと教えてくれてんのに。どうしたらいいかわからず、俺はひたすら謝りどおした。
「お客さま、どうかなさいましたか?」
 木下さんの声がした。それだけで救われたような気持ちになって、俺は視線をそろそろと上げた。でも木下さんだって、世間的にはじゅうぶん若造だ。ここはドラマ「HOTEL」の東堂支配人のような貫禄のある人が出てきたほうがいいんじゃないか? あれ持田マネージャーだったっけ。どっちにしても木下さんにまでクレームの矛先が向けられるなんて。俺だけが悪いのに。姉さん事件です。ううう。
 俺が涙目で小さくなっているうちに、いともあっさりと木下さんは場を収めていた。ただでさえパニクっていた上に記憶力のない俺には、どんな魔法が使われたのかきちんと思い出せない。俺にこんなまねは八年どころか百年かかってもできっこない。す、すげえ。ヤン・ウェンリー提督か。「魔術師キノシタ」か「奇蹟のキノシタ」。「ぺてん師キノシタ」っていう可能性もあるけど。
「大丈夫か?」
 無人のバックヤードに連れてこられ、いつもの調子でひょいっと木下さんに顔をのぞきこまれて俺は「迷惑かけてすみません」と頭を下げた。初日の朝といい、また木下さんに助けられてしまった。木下さんが吹き出した。
「お前さ、『すみません』ってものすごい言ってるよな」
「すみま……」
「ほらな。まあ苦しうない、おもてを上げい」
 けらけら笑って、俺の頬に手を添えて持ち上げた。手のひらがひんやりしてこころよい。俺の赤面はまだ収束していないみたいだった。
「も、申し訳ありませんでした」
 固定されて頭が下げられない。
「それもブー」
 俺は困ってしばし考えた。かちこちかちこち、シンキングタイムが流れていく。
「あ。ありがとうございました」
「ピンポーン」
 正解だったらしい。なのに、まだ解放してもらえない。
「俺は謝る必要ないって、なんで思うんですか?」
「見てたから」
 宇宙人ジョーンズは地球人に逆にチェックされてたのか。これはしたり。
「でも。俺がお客さんを怒らせたんですよ」
「お前は精一杯やってたよ。この店を心配してくれたんだろ、ありがとな」
 俺のほっぺたをぷにぷにつまみながら柔らかい口ぶりで話す。
「落ちこんだり、へこんだりすんなよ、って言いたいけど難しいかな。でも、辞めるとか言い出すなよな」
「えっ? 俺、続けていいんですか? こんな粗相をしたのに?」
「こんなんでくびにしてたら、日本中からサービス業従事者がいなくなっちゃうぞ」
「そ、そうなんですか」
「ちっとつらい経験だっただろうけどさ。大事件ってわけでもねーから悲観すんな。そだ。今度みんなで飲みに行こうぜ。ま、お前は飲めねーけどさ、昭とか惇一の失敗談、聞いてみ。ある意味勇気出んぞ」

 せっかくの木下さんの提案だったのに、飲み会は先輩たちのエピソードを耳にするどころではなかった。何度もすすめられてうっかり啜ったウーロンハイでへべれけになってしまったのだ。
「こら昭。桜田に飲ますな。桜田、こっちに来い」
 離れていたところに座っていた木下さんが呼んでくれた。やった。助かった。お座敷を子犬みたいにいそいそと駆けて、隣に滑りこんだ。もちろん走れたわけはねーんだけどそこは言葉のあやってやつだ。
「大丈夫か?」
「うー。まずーーーーーいですう。なんでこんなの飲めるんですかあ?」
 俺は顔を思いっきりしかめていやいやをした。木下さんがグレープフルーツジュースをオーダーしてくれた。こういうときくらい、日ごろお世話になってるお礼を言おう。しっかりと改めて。
「ありがとうございますう。いつも親切にしてくれて。手がかかって、すみません」
 ぺこりとしたら、ふらりと体が揺れた。木下さんが支えてくれたから、えへっと笑った。あー頭がふわふわする。体がふにゃふにゃする。心地よさに任せて、俺はいろいろしゃべった。いつもはこんな多弁じゃねーのに。
 木下さんはちゃんと相手をしてくれる。俺なんかの話を聴いてくれて、嬉しい。ほめてくれるし、やさしい。きっと根はいい人なんだな。と考えるのは俺が酔っぱらってるからか。いつも俺のことかまってからかっていじめてばかりいる変な人だってのは確定してんだから。
「眠いんだろ。あっちで横になるか?」
「うーん。ううん。だいじょぶ、です。ここで……」
 俺がちっとも大丈夫じゃねーんですけど、という木下さんのつぶやきが至近距離で耳に落ちてくる。どーゆー意味かな。
「あ。桜田君、寝ちゃいました?」
 山内さんの声がする。起きてます、ただ目をつぶっているだけです、と反論したいのに、口がむにゃむにゃとしか動かない。
「今後いっさい飲ますなマジで。なにかあったらどーすんだよ。人の頼みを断れない子だっての、わかってるだろ」
「すいません」
「反省したならよろしい」
「……いーなー木下さん、桜田君に懐かれてて。すっごいべったりくっついてるじゃないですかー」
「誰のせいでこーなったのかなあ? 山内昭君」
「俺のおかげでそーなったんでしょ? ……はいすいません。ほんと反省してますって。俺の責任なんで、俺タクシー代出します」
「この状態で帰すのか。お前がこいつの親に申し開きすんのか? こいつが起きるまで俺がついてるよ。なにかあったら俺が責任取るから」
 請求書と一緒に置き去りにされることはないらしい。ホッ。いや、ホッとしてる場合じゃねー。俺のせいで時間を取らせちゃ駄目だろ。
「お、俺ひとりで帰れます。へーきです」
 精一杯まぶたを開けて言うと、木下さんの顔が俺の顔にすっと近づいた。
「んにゃあ?」
 どしたんだろ? このままじゃ衝突しちゃう。眠たくて、まぶたがとろんと落ちかかる。重たくて、頭がかくんと横にかしぐ。
「うーん。自分が飲んでるから、アルコール臭するかどうかわかんねーなあ」
 俺の息の匂いかいだだけか。
「大丈夫ですよう。ほんの、ちょっぴり飲んだだけですもん。頭すっきりしてますからあ」
「どこがだよ。今、全然逃げなかっただろーが。それとも慣れてんの?」
 鼻の頭をこしょこしょとくすぐられた。んんーとむずかって俺は軽く首を振った。
「ほら。もーちっと寝てな。まだ時間あるから」
「きのしたさん、俺の考えてること、わかるんじゃないん、ですか」
「ん?」
「だってほらあ……はじめて通用口で会ったとき、『木下さんでいーよ』ってゆったでしょ。なんで、俺が悩んでたこと、わかったんですか? 種とかしかけがあったとか? 正体が実はまほうつかいとか?」
「あああれか。考えごとを声に出したらそりゃわかるよ」
 なあんだ。俺がわかりやすかっただけ、か。気をつけよ。こうして寄りかかってくっついてると安心するとか気持ちいいとか、そういうの、悟られないようにしよ。
「あーまた寝ちゃったみたいっすね。ずいぶん幸せそうにまあ」
 駄目だソッコーあっさりばれてるじゃん、と思った時点が限界だった。木下さんが山内さんになんて答えたのか、聞こえなかった。
 そうださっき、俺、木下さんについていきますって宣言しちゃった気がする。調子に乗りすぎちゃった。後で謝んなくちゃ。




***
物語の前日談、ふたりの出会いのあたり(コーキ視点)をお届けしました。
リクエストをおねだりしてすみませんでした、トイ子さん。ありがとうございました!
まだこの時点では、ちょっと変わってるけど優しい上司という認識が強かったようです。
他人からの親切に免疫がないと、ころりといっちゃうわけですね!

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