ふるふる図書館


第26話  ジャスト・ディザイア just desire 6



「木下さんがいなくなって、さみしくなっちゃったね」
「ああ……、なんだか静かになっちゃった気がする。別に、いつも会ってたわけじゃないのに。変だよな」
 カウンター席に並んで座る涼平の穏やかな声音に、俺はそう応じて、七瀬さんがサーブしてくれたカモミールのお茶をすすった。
 俺たちは久しぶりに『ハーツイーズ』に来ていた。閉店間際で、俺たちのほかに客はいない。お任せします、と頼んだら出てきたのがこのお茶だ。七瀬さんの自宅の庭で育てた花だという。ふんわり甘酸っぱい香りは、新鮮なせいか濃厚だ。効能はリラックス、花言葉は「逆境に耐える」だそうだ。
 七瀬さんがハーブに詳しいのは、イギリス人の血筋であることも理由らしい。木下さんのいるロンドンでも、ハーブティーは飲まれてるんだろうか。
 涼平は、俺の髪をさらさら撫でている。子供扱いされてるのかな、と思ったけど、いやじゃないからされるがままになっていた。七瀬さんのお茶のセレクションといい、俺のようすが傍目にもしょぼくれてるのかもしれない。いかんいかん。
 そうだ涼平、と話しかけたら、涼平が「ん?」とにこにこ首をかしげる。
「木下さんからの伝言。『リョーヘー君は、人の留守中に悪さをしない、正々堂々とした子だって信じてるからね(はぁと)』。だって」
 口真似までしてできるだけ忠実に伝えると、ぴく、と涼平の手が止まった。
「ほんと、ふたり仲よしだよな。俺、木下さんに信じてるなんて言われたことない気がするんだけど」
 信じてないわけじゃない、と告げられたことはあるけど。それとこれとは雲泥の差だ。
「はは。そう? わざわざ言う必要なかったってことじゃない?」
「そーかなー」
「メールはやりとりしてるの? スカイプって手もあるよ、顔見ながら話せるよ」
 テレビ電話? というやつか。俺も木下さんも、そこまでがんばるキャラだろうか。そこまでして、互いにつながりを保とうとするだろうか。現に今、メールも手紙も頻繁に交わしているわけでもないんだから。
「あはは、そこまでしねえよー」
 俺に金と時間を使うよりも、別なことをしてほしい。木下さんが、自分でベストだと思う人生を邁進してほしい。俺がそこに不要だったら、俺とかかわらなくていい。俺とのつながりは、上司と部下じゃなくなった今、義務じゃないんだから。
 七瀬さんが、クッキーの入った皿を俺たちの前に置いてくれた。
「失敗して小さく欠けちゃったんです。味は商品と変わらないから、よかったらどうぞ」
「ありがとうございます、星くずのクッキーだ」
「可愛いこと言うね」
 ふたりに笑われて、俺は赤くなって弁解した。
「ち、ちがいます、『魔女の宅急便』に、あ、アニメじゃなくて原作のほうです、それに出てくるんですよ!」
「それをとっさに思い出せて口に出すのが可愛いんだけど」
 結局そんなまとめに持っていかれて、俺は「ぐぬぬ」とうなってしまった。星、か……。星ね……。
「はあ。なんか酒でも呷りたい気分……」
「ごめんごめん。気を悪くしないで」
 あわてたように謝る涼平をジト目で見て、「いーや、飲む。断固として飲む。酒や酒や、酒買うてこい!(浪花恋しぐれ)」なんて俺はここぞとばかりじたばたごねてみた。
「やめて。コウちゃんに酔われたら俺死んじゃう」
 まただ。俺、酔ってなにしたってんだよ?!
「いいじゃないか、そこまで言うんだから飲ませたら」
 涼やかなレイさんの声が響いて、俺はぎくりとした。いつからここにいたんだろ。いやでも、今日ばかりは助太刀がありがたい。渋る七瀬さんに「ここで飲めばいいじゃないか、あったろアルコール」と言い放ち、さっさと店の前に「close」の札をかけた。

「コウちゃん……大丈夫?」
「らいじょぉぶ。俺、きのしたさんが、いなくても、だいじょぶ、だから」
「そんなに涙目なのに?」
「アルコールの、せい、だもん……」
「悶々とするんだったら、会いに行ったら?」
「や、そんな、だめだもん。俺、これ以上、迷惑かけたくない」
「すごいな」「すごいね」「すごいですね」と、レイさんと七瀬さんと涼平が三者三様にうなずき合う。
「ただのフルーツジュースでこれだけ酔えるとはコスパがよくてうらやましい」
「これがプラセボというものかあ」
「コウちゃんが悪い人にだまされないか、心配だなあ」
 はあ? ちょ、ちょっと待ってどういうこと! 俺が飲んでたの酒じゃねーの? 恥ずかしさで赤くなればいいのか、本心がダダ漏れしたことに青くなればいいのか、わからない。ずっと木下さんのことばかりしゃべってたような気がするのはきっと気のせいじゃない。
「本音を出してしまいたいって気持ちがあったからですよ。ね。
 桜田君。祖先のお墓を訪ねてちょっと渡英しようかなと思ってるんです。いつとは決めてませんけど、よかったら、一緒に行きませんか? 桜田君と旅に出てみたいなあ」
 突然の誘いに戸惑う俺に、七瀬さんは微笑んで、立てた人さし指を自分の顎に当てた。
「あ、そういえば桜田君の知人で、ロンドン在住の人がいましたよね。訪ねてみたらどうでしょう。住所も知っているんでしょ? ついで、ですよ。あくまでもついで、ね」
 ついで、か……。それならいいかも。
 俺がうっかりうなずくと、「よかった、明るい顔になった」と七瀬さんがきれいな天使のように笑い、レイさんにほっぺたをつねられていた。
 まだ木下さんと関係が切れないでいられることが、こんなにほっとするなんて。毎日とか、毎週とか、毎月じゃなくていい。ふとした拍子に木下さんとなにかでつながれれば、俺は幸せだ。それを木下さんも嬉しいと感じてくれれば、もうなにも望むことはない。
 劇的な要素とは無縁な、平々凡々な人生を俺は歩みたいしおそらく実現するだろうけど、そこにほんのわずか、異色な光を奇跡みたいに投げかけてくれた人を断続的にでも思い続けて、胸をぽかぽかあたためて過ごしていくのがきっとよろこびなんだろう。メーテルだって、「遠い時の輪の接するところでまた会いましょう」とか「私は、あなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」とか、鉄郎に言ってたし。
 俺を取り巻く世界と人々は、やさしい。それを気づかせてくれたのは、木下さんだ。だから俺は、あの人の幸せをずっと願う。俺ごときが願ったところで、あの人は自分で幸せになるだろうけど。それでも。

20150919
PREV
NEXT
INDEX

↑ PAGE TOP