ふるふる図書館


第26話  ジャスト・ディザイア just desire 1



 木下さんの家には、客用のふとんがなくて、だから家主はタオルケットにくるまって床に寝ると言う。
「ええっ、俺の家でも床だったじゃないですか、駄目ですよ。しきぶとんもないんじゃ、体痛くしますよ。木下さんはベッドに寝てください、俺若いから平気です」
「せっかく、シーツも枕カバーも洗って、ふとん干したんだから、お前がベッドなのっ。ほーらお日さまのいーにおいがするぞー。柔軟剤の清潔な香りがするぞー」
 俺はアンタほど匂いフェチじゃないつもりなんだけど。でもそこまでしてくれたんじゃ断りづらいし……。
「じゃ、じゃあ、ふたりともベッドに寝るのはどうでしょう……」
 却下、って言われたらちょっと傷つくなと思いながらおずおず提案したら、「いやんコーキ君たら積極的ー」と裏声でからかわれて、俺は首をぶるぶる振った。
 促されて、先にころんとベッドに寝転がったら、本当にいい匂いがして、頭がふやけてくる。ちょっと眠くなってきたみたいだ。
「この暑いのに、せっかくの休みだったのに洗濯してたんですか」
「大掃除もしたんだぞ。お前が来てくれるからさーそりゃがんばるでしょ」
「ありがとう、ございます」
 木下さんを見上げてふにゃりと笑った。不意に視界がかげって、「ん?」と思う間もなく、俺の口に柔らかいものが触れた。それは一瞬だけで、すぐに離れていく。
「へへ。木下さんからしてくれたの、すごい久しぶり」
 さっきやらしいことをするなと怒られたのにという理不尽よりか、手出しをしないという誓いを破られたことよりか、嬉しさがまさって、単純な俺はほっぺたを綻ばせてしまった。
「そんな幸せそうな顔して。もっとしたくなっちゃうじゃん」
「え。やめちゃうんですか?」
「お前、俺と職場で顔会わせても、平気なんか?」
 ドキ。もしやばれていたんだろうか。何気ないふうを装って「んなこたあない」とタモさんっぽくこたえた。
「ね、知ってます? 木下さんの唇ってめちゃくちゃやわっこいんですよ。すごく、おいしそうなの」
 指先で自分のをぷにぷに触って、木下さんのも同じ指でなぞって比べて、くすくすと笑ってしまう。
「コーキ、眠いんだろ」
「えー。まだまだ、いけますよおー」
「嘘つけ、そんなとろーんとした顔しやがって。それともただの誘い上手?」
 誘うってなにが? そんなことしてない、けど。
「俺が誘ったら、どうなるんですか?」
 問いかけて、わずかにまぶたを下ろしたら、声ではなく感触がこたえをくれた。手の置き場所に困って、木下さんの猫っ毛を梳いた。口も髪もふわふわ絡みついてくる。どんどん脳みそがぼうっとしてくる。なにか声を出していないと、膨れて爆発してしまうかも。
 だけどこのタイミングに、木下さんへの想いを告げるのは禁止されてたんだ……。今の正直な心情を吐露したいのに。
 だから。
「き、もちいい、です」
 はあはあと荒くなる呼吸の合間に告げた。「あ」とか「ん」とか、日本語にならない声までついでに漏れていく。自分のかと疑わしいほど高くてかすれていた。
 気持ちいい、と言うたび、その告白を自分で聞くたび、心臓も全身もしびれて熱っぽくなってくる。
「なに、いやらしい声出してんの。まだなにもしてないのに。敏感すぎ」
 響きのいい低い声が鼓膜を撫でて、俺を追いつめようとする。
「嘘、だあ……。うますぎる、んでしょ、俊介さんが」
 ああ、どさくさまぎれ(?)に下の名前、呼べた。
「俊介さん……。きもちいい。しゅんすけさん」
 乱れる息に乗せて、名前呼びと、気持ちよさの訴えを交互に、うわごとのように、馬鹿のひとつ覚えのように繰り返す。恥ずかしくて顔が火照るけれど、ほかになんて言えばいいのかわからない……。
 するんと、上下の歯のすきまからなにかが入ってきた。びっくりして自分の舌で押し返そうとして、かえって絡め合っている結果にしかなってないことに気づく。不器用か! うめきともあえぎともつかない声が、鼻からひっきりなしに出た。
「また、そんないい声で鳴いて」
「ちが、いきつぎ、うまく、できな、だけ」
「んん? やーらしい声してるよ? 自分でもそう思うだろ? ほら」
 不意打ちで耳をくすぐられてひとたまりもなく、変な声が悲鳴のように上がった。上半身がよじれるようにのけぞる。ああ、そうだ、俺がここが弱いこと、もう二年前にばれてたんだっけ……。
「う、ごめんな、さい」
「なにがごめんなさい? 言ってみ?」
「やらし、こえ、して、……ごめんなさい……」
「いい子。可愛い、公葵」
 甘くささやかれて、木下さんの髪をぎゅっと握りこんでしまう。頭の芯がスパークする。浮かされて流されて溺れてひだまりの匂いのするマットレスと清潔な香りのするすべすべのシーツに拘束されてやさしい責め苦を受けて理性がどんどん焼き切れていく。俺がよく知ってたはずの俺が消えていく。怖い、けど、その先を知りたい。二年もこういうフラグが立たなくて急展開すぎてついていける自信がない、けど、この機を逃したらいつになるかわからない。
 いつしか完全に閉じていた、涙にかすむ目を開けてみたら、これまたいつのまにか木下さんは俺に覆いかぶさるようにベッドに乗っていた。そのくせ、呼吸がちゃんとできない俺なんかよりも苦しそうな表情をしていた。

20150916
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