ふるふる図書館


第26話  ジャスト・ディザイア just desire 2



 俺はなんといっても超ビギナーなのだ。今日がデビュー戦になるかもしれないのだ。どうやってこの先の舞台に移行すればいいのか皆目見当がつかない。
 木下さんのシャツ(というか俺のだけど)をそっとつまんで、つんつんとひっぱってみた。動きを止めた木下さんが「どうした?」というように目を覗きこんでくる。拒絶されたらなかなかな打撃であるので、俺は要求を言語化できずにただちょんちょんと裾を引くしかできない。
「ふふ。もじもじしちゃって。おねだり公葵も可愛い」
「やっ、うう」
 そんな言い方されて居たたまれないのと、俺の欲求が伝わってほっとしたのとがごちゃまぜになって、失語してしまう。
「ね、……サトミちゃんとは、なにもしなかった?」
 こんなときに里美さんの話題を持ち出さないでほしい。俺はこくこくと頭を動かす。
「じゃあ、サトミちゃんにするつもりだったこと、俺に、できる?」
 …………。
 …………。
 …………。
「……はいぃ?」
 突拍子もない声が出た。
「お前は、そっち側だろ。逆はいやだろ。だから、そっちでいいよ」
 とろかされてた気分もきれいにふっとび、俺はまじまじと木下さんを見た。さきほどまでとはちがうドキドキが俺の胸腔をどかどかとノックする。眠れない午前二時に苛立ちがドアを叩くより激しく。
 だって。木下さんにこうして主導権を握られるのがふつうだと思ってた。さっきは俺からしかけたけれど、それは木下さんが部下でバイトであるところの俺に手出しをしないと宣言したからそれを守ってるだけだと思ってた。
 俺が、するの? この人に?
「い、いやでも、いいんですか、木下さんは」
「うん。てか、もともと、俺はされる側だから。泣かせてほしいほう、だから」
 ななななナンダッテー! 俺に触れられて涙をためていた木下さんならうなずけそうな気もしなくもなくもないけど、通常および今しがたの俺を巧みにいじめて追いつめていた木下さんを思い起こすと想像を絶する。
「俺に気をつかってる、とかじゃないですよね?」
 木下さんは困ったような恥じらうような複雑な顔になった。レアな表情だ。
「気づかいとか、冗談じゃ、こういうことはさすがの俺でも言えない、かなあ」
 マジだ……。
「ちょくちょくほのめかしてたつもりだけど、気づかなかったか?」
 ヒントなんてあったか? 絶対それ、「象印クイズ ヒントでピント」よりむずかしいやつだろ。漫画か小説だったら、一ページめから読み返すわ。
「ごめん」
 木下さんがそっと俺のほっぺたに手を添えた。なんで謝る必要があるんだ。
「えっちなことをしないって言ったのに、徹底できなかったな。えろい気分にならない、て聞いてちょこっとむっとしたけど、そこで我慢しておけばよかったんだな。お前からあんなにいやらしく触られてもこらえておけばよかった。お前からあんなに色っぽく誘われても、スルーすればよかった」
「あのー、なんか、俺ばかりのせいにされてません?」
「まさか、俺の責任だよ、大人で年上で上司なんだから。たったの今まで、お前がほだされるように、お前が気持ちよくなることたくさんしてたし。……今度こそ、引いた?」
「またそんな! 引かないって言ってるじゃないですか。木下さんなんだから今さら驚きませんよ、なんでもありだと思いますよ? 俺は木下さんのすべてを知ってるわけじゃないし、いろんな引出しがある人だってわかってますし。俺に対して持っててほしいイメージがあるのかもしれないけど、それ以外の木下さんだって俺、受け入れますから」
 そう、引いてなんかいない。けど。ひるんではいる。実際に自分ができるかどうかは、また別次元の話だ。どうしても木下さんをそういう目で見られない。そういう気持ちを抱けない。自分から押し倒すとか、無理。むりむりむりむり。ただでさえ若葉マークなのに。
 俺の心をそっくり読んだように、木下さんが笑う。
「ほら、サトミちゃんで練習しておけばまだしもだったのに」
「つるっとひどいこと言いますよね……」
「だってサトミちゃんの例の復讐がこれだもん」
 おそろしい子! と月影先生みたいなことをつぶやいているが、俺にはなんのことやらさっぱりわからん。
「すっかり萎えちゃったな。冷めちゃったよな」
 俺の体の変化まで見透かされて焦った。
「あ、それは、ちがう、木下さんに対して、じゃないから!」
「この流れで断言するのは危険だぞ? フォローしなくたって、俺はお前を責めないし恨まないから、いったん立ち止まってみな?」
「俺、冷静です。ちゃんと考えてます。考えました。体目的じゃないって、快楽目的じゃないって、言いましたよね? フォローなんかじゃないです。今のままでも充分満足してますもん」
「そっか」と小さくうなずいて、木下さんが俺の横に身を横たえる。
「でも俺、なんとかがんばってみます。木下さんのこと、泣かせてあげたいです。俺がちゃんとしないと、ちゃんとできないんでしょ?」
 なにをもって「ちゃんと」なのかしっかり理解してないけど、そう言った。
「あははっ、馬鹿。無理しなくていいよ。小説とか漫画とか読んだんだっけ、お前。別に、必ずああいうのと同じことしなくていんだよ。人によってそれぞれちがうんだからさ。合意があればなにしてもいいし、なにもしなくてもいいし。俺たちは俺たちなりに見つけてけばいいよ。誰に話すわけでもないし」
「はい。そうですね」
 それからは、たわいもないふれ合いやつつき合い、くすぐり合いをしているうちに、ふたりして眠りについた。木下さんは、俺の胸におでこをすり寄せてまどろんでいる。ひょっとしたら俺に対して甘えたなのかな。体中の細胞が沸き立つような喜びと、ほんのかすかな不安に心臓をきゅーんとわしづかみにされながら、俺も目を閉じた。

20150916
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