ふるふる図書館


第24話  クーリング・オフ・ピリオド cooling-off period 3



 俺が黙ったせいか「疲れた? 眠くなったか?」と木下さんがたずねた。大丈夫です、と木下さんを見る。
「お前、いつもそう答えるよな。大丈夫じゃなかったらちゃんと言うんだぞ」
「俺、かなり正直者だと思いますけどね」
「そか。じゃあ、今日来てくれたのも、無理してない?」
 反射的に「大丈夫」と言いかけてやめて、「してません」と首を振った。
「俺は嫌われてない?」
「え、柄じゃないですよー。そんなこと考えたことないくせに」
 俺が笑うと、木下さんは口をとがらせた。
「そんなことないもん。俺は、いつだって気にしてるよお」
「うっそだあ」
「……ほんと」
 笑みを消して、木下さんは小さくささやく。ドキッとして俺の笑いも瞬時にひっこんだ。これはなんだかヤバイ流れな気がするヤバイよヤバイよヤバイよ……脳裏で出川哲郎ぽいサイレンがやかましく鳴り響くが、ゆらゆら光る蜂蜜色の瞳に絡め取られたように動けない。
「公葵に嫌われたらどうしようってほんとはいつも怖い」
「そ、んな、なに言ってんですか俺ごときに倒される木下さんじゃないでしょ」
「そうでもない。……お前は俺の初恋だから」
「……は、……」
 けたたましいほどおしゃべりでへらへらハイテンション人間の木下さんから。アラサーでお酒大好き陽気なオジサンの木下さんから。酸いも甘いも噛み分けたふうの大人の余裕をかましてみせる木下さんから。そんな純情可憐でピュアピュアで乙女チックでうぶでおセンチでスイートサワーな単語が出てくるとは完膚なきまでに想定外で、裏返った声が一文字しか出てこない。
 目を白黒、口をぱくぱく開け閉めしている間に、木下さんは唇をへの字に曲げて視線を伏せてしまった。うわ、うわあ……。
「そーゆうの、駄目です」
 ぴく、と木下さんの睫毛がふるえた、気がする。
「駄目です。無理です。反則じゃないですか。掟破りの逆サソリじゃないですか、そんなふうに、ちょいちょい可愛くなるなんて……」
 木下さんがふふっと吹き出した。
「掟破りの、ね……。可愛いのはお前の専売特許だったな、うん」
「ぎゃあっ、ちがくて、これは言葉のあやですっ」
 掟破りの逆サソリ、とは、藤波辰巳が長州力の必殺技「サソリ固め」を逆に長州にしかけたことを指す。てことは、俺の必殺技は可愛さって俺が言っちゃってるわけで、特大ブーメラン返ってきたコレ。
「ん、ドン引きしてないなら、よかった」
「木下さんのことでいちいち引いてたら身が持ちませんて」
「だといいけどねえ」
 含みのある表情で、木下さんは麦茶のグラスを手に取り、こくこくのどを鳴らして飲む。会話が中断したおかげで、カミングアウトに対する理解が遅ればせながら及び、俺はぶわっと赤面した。のどを湿らせて落ち着きたいのに、俺のグラスはすでに空っぽだ。くそう。
 木下さんがグラスにちゃぶ台に置いたので素早くかすめ取り、くっと呷った。人の飲みかけに口つけちゃったけれど、まあ今さらそんくらいいちいち意識しないよな。
「あのさ、今の俺の話聞いてた? それとも本気にしてないんか? わざわざそんなことするとかさ」
 あ。意識、してなくなかった。

20150815
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