ふるふる図書館


第21話 ストレイ・ライト stray light 2



 木下さんに先にバスルームを使ってもらうことにした。「えー背中流してくれないの?」と冗談を言ってくるものだから、「ふとんの用意をしないとなので」と逃げる。なるべく新品に近いTシャツとハーフパンツをたんすから出して、最大限にふわふわできれいなバスタオルを選んで一緒に脱衣所に置いた。
 客用のふとんを俺のベッドの脇に敷いていると、お風呂上がりの木下さんがしっとり濡れた髪とピンクのほっぺたをして俺の部屋に入ってきた。コンタクトははずして、予備用として持ち歩いているめがねをかけている。
「よかった、服のサイズぴったりですね」
「ふふふ。コーキのシャツ、いい匂いがするー」
 襟をひっぱってそこにうずめた鼻をすんすんさせる。
「あ、母親が今レノアにハマってて」
「てことは、お前一度はこれ着たんだ?」
「すみません、おろしたてじゃなくて」
「だがそれがいい」
 イトーヨーカドーで買った至極平凡なシャツなのに、やけににまにま顔をほころばせる。
「じゃあ俺も風呂行ってきますね。このへんの本棚に入ってる漫画でも見て適当にくつろいでてください。あ、ガサ入れしてもいかがわしい本は出てこないですからね」
「ちぇっ」

 まさか本当に家捜しされるとは思わなかったが、俺の部屋に木下さんがひとりでいるという状況がなんとなく落ち着かず、シャワーを早々に切り上げてしまった。取り急ぎタオルを首にかけて部屋に帰る。
「ちゃんと拭いて来いよ。そんなにあわてて戻らなくてもいーから」
 冷房で涼もうとベッドに腰をおろしたら、ふとんに寝そべって「マカロニほうれん荘」を読んでいた木下さんがむっくり起き上がり、俺の隣に座ってぽたぽた髪から落ちる滴をタオルで拭いてくれた。
 そういや、俺の誕生日祝いの夜にも同じようなやり取りがあったと思い出す。あれから矢継ぎ早にいろいろなことがあった気がするけど、まだひと月くらいしかたってない事実が若干信じがたい。
 ふわっと木下さんの耳元からいい香りがする。これまた母親が気に入ってリピしているマジックソープ。頭も顔も体も洗えるという、肌にもズボラ人間にもやさしい液体石鹸。ラベンダーの匂いをつい鼻一杯に吸いこんでから、俺も同じ匂いのはずだったとちょっと恥ずかしくなった。
 木下さんの指が俺の髪を軽く梳いて流す。こんな間近にいられて、どういう表情を保てばいいのか。新手のいじめか。俺は視線を伏せて耐えることしかできない。
 ふいと木下さんが俺から目を逸らした。机の方向にまなざしを移す。
「ちゃんと勉強してんだな。感心した」
 俺の机に並んだ、教科書やノートをほめてくれているらしい。
「ああいや、課題とかまだ終わってなくて」
 と言いつつ木下さんの目線を追ったら、その先にはイギリスから届いたくだんの絵はがきが載っていた。そうだった、課題をやる合間に眺めてたんだった。心の準備をしないまま差出人に見つかって、猫だましを食らった気分になった。
「俺の送ったはがき、大事にしてくれてるの?」だとか「なぞなぞの答えわかった?」だとか話題を振られるかな、と返答の準備をひそかに整えた。「この写真、きれいだから息抜きに見てるんです」とか「どこがなぞなぞなんですかもったいつけないで教えてくださいよ」とか?
 なのに木下さんはなにもコメントしない。こっちは臨戦態勢(?)だったのに、とんだ拍子抜けだ。
 このはがきのことになると、木下さんの言動はよりいっそう不可解になる。あまり触れてほしくないような雰囲気すら漂う。そういうのってどっちかといえば、今生の別れと早合点して空港で必死におねだりするという醜態を演じてしまった俺のほうじゃないのか。

20150801
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