ふるふる図書館


第19話 ビーティング・ハート beating heart 3



 車はいつしか、俺の住む町にさしかかっていた。
 あ、うちに着いちゃう、どうしよう。と思ったとき、丸い赤い明かりの群れが視界に入った。高いところに等間隔に揺れているのは、無数の提灯だ。
「あっ木下さん。あの祭りに行くのどうですか? そこでなにか食べませんか?」
「おおーいいねえ。祭りかあ、ずいぶんごぶさただなあ」
「俺もしばらく行ってないです。あれ、うちの町内会のです。小さいころはすごく楽しみにしてたんです」
 とはいっても、ありふれたお決まりの縁日と盆踊りと花火くらいしか出しものがない、これといった由緒もない無名な小さい祭りだ。来るのも近隣の住民ばかり。それでも俺は、夜の闇にぶらさがる提灯の光やら太鼓の音やら屋台のあんちゃんたちの姿やらに無性に心躍らせたものだった。当時のことを思い出す。オラ、わくわくしてきたぞ。
「車停めるとこあるかな」
「もちろん停め放題です。ど田舎を舐めちゃいけませんぜダンナ」
 停車すると、俺は先に立って歩き出した。顔見知りもいるのだろうけど、視力1.5の俺でもちょっと離れれば人の顔が判別できるかできないかの暗がりだ。それに、町内の住民だけでなく通りすがりのひやかしもいるので、「あら桜田さんとこの公葵君じゃない、大きくなったわねー」だとか「おー桜田、久しぶりじゃん」だとか、声をかけられることもなさそうだった。木下さんの手前、そーゆーのはけっこう恥ずい。
 生ぬるくなった大気も、それに乗ってただよってくる食べ物のにおいも当時そのままのような気がする。あまりはしゃぐとガキだと思われるから、なるべく抑えようとするものの、ついつい落ち着きをなくしてしまう。
「懐かしいなあ。ぜんぜん変わってないです」
「ふーん。お前、浴衣とか着てたん?」
「えっ。こんなしょぼい祭りで、本気の浴衣とか着たら浮きますって」
 和裁に凝ってた母親が、祭りの夜に俺に手製の浴衣を着せようとして、泣いて抵抗したことは伏せとこ。
 たこ焼き、焼きそば、りんごあめ、チョコバナナ。夕食にしては不健康なものばかり食べ歩いた。不健康だけど、楽しい。俺が子供のときに好きだったものを買おうと木下さんが言ってくれたから、その誘いに全力で乗っかった。もちろん当時は、食べたいものを好きなだけ食べることなんかできなかったから、今、こうして、抑圧されてた欲求を満たせて幸せだ。ああオトナってすばらしい。
 腹がくちくなってきたので、テキ屋の屋台や露店をひやかしたり、子供たちの盆踊りを眺めたりしてそぞろ歩く。
「あげる」
 木下さんが、やすやすと釣った水ヨーヨーを、ひょいと俺に渡してくれる。ほんとこの人、器用。むだに器用。器用さのむだづかい。
 黄色に近い明るいオレンジ色の地にカラフルな水玉模様と縞模様のついた、昔ながらのデザインの風船だ。
「お前って、そーゆー色の感じするから、それを狙って取ってみましたー」
 へえ。オレンジ? そんなんはじめて言われた。俺ってそんなふうに見えてるんだ? 意外。もっとこう、地味でぼやけてくすんで目立たない色だと思うのに。木下さんの色彩センスはようわからん。悪い気は……しないけど。
「ありがとうございます」
 ゴムの輪っかに右中指を入れて、手を振ってみる。久しぶりすぎたのかうまくいかず、びよんびよんと風船があらぬ方向に踊ってしまう。おまけに、サイズが合わないのか指がちょっときつい。
 木下さんが俺の右手を取って、ゴムをはずした。そのまま、輪っかを薬指にはめてくれる。なぜに薬指。小指の次に細いから? 人さし指じゃだめなのか? という疑問を挟む余地を与えず、俺の右手を両手で捧げ持って水平に支えた。とっさにリアクションがとれない俺をやっぱり意にも介せず、そのまま上下に動かす。オレンジの玉はさっきと別もののように、俺の手のひらできれいにバウンドを繰り返した。ざんざんざん、と、中の水がリズミカルに踊る音がする。
「そーそー、うまいうまい。上手上手!」
 木下さんは屈託なく笑う。満悦至極なところに水をさすようで恐縮だけども、手を握られてヨーヨーしているこの光景、とてつもなくいたたまれないんですが。俺は顔を上げることができなくて、ヨーヨーに夢中なふりをしばらくがんばって続けていた。何も言えなくて…夏(JAYWALK)。
 弾む水音がまるで自分の鼓動みたいだ。

20150606
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