ふるふる図書館


第19話 ビーティング・ハート beating heart 2



 職員用の通路を歩きながら、木下さんは、俺に見舞いのお礼がしたいと言った。そんなたいそうなことをしたつもりもないから謝絶したのだが、
「断られたら木下さん拗ねちゃう。いじけちゃうもん」
 などと、上目づかいに空中で「の」の字を書かれたら、むげに断りづらい。
「今夜空いてたらメシ行かね? 食いたいもん考えといて」
「身の危険を感じたらすぐに逃げなね」
 谷村さんが俺に真顔で忠告し、腹に木下さんのパンチを食らった。じゃれるふたりがなんだか、まぶしかった。俺、木下さんにそんなことされるの、最近ないもんなあ……。うらやましい……って、そんなんじゃねーから! そーだ、ほほえましいんだ。ちょっと日本語まちがえただけだ!
 扉を開けた自分のロッカーに体を向けて、黙々とユニフォームに着替える。そわそわふわふわ、木下さんとふたりですごすはずの時間に脳内は飛んで、まだ今日の仕事が始まってもないうちから、終業を待ちわびる自分を予感していた。
 ああもう、不本意。おおいに不本意。

「メシ決めた?」
 シビックの助手席に座る俺に、木下さんが話しかける。まだ外は明るくて、うだるように暑くて、正直食欲はまだわかない。
「うーん……少し走ってもらってもいいですか? 考えます」
「まだシンキングタイム中だったか? それとも俺との約束忘れてた?」
「そんなわけないでしょ。ちょっとまだ腹へってないていうか」
「夏バテか? つるっとしたのがいーかもな。蕎麦とか?」
 つるっと食べ終わって、つるっと解散か。酒でも飲めれば、ふたりで長時間すごせるのかもしんないけど。俺は下戸だし木下さんは車だしなあ。
「消化器官が弱っているならそういうのがいいですね、病み上がりですもんね」
「やっさしーねえ、桜田君は。俺はなんでも食えるから大丈夫。テキトーにお前んちのほうに走るから、これって店があったら言えよ」
 そんなやりとりをして数十分後、俺たちはみごとに渋滞にはまった。交通規制もされている。どこぞで大きな花火大会があるらしい。
「あ、そういえば、浴衣の人いっぱいいましたね」
「いたしかたない、裏道走るか。いい店あるかにゃー」
 ウィンカーを出し、混雑した車たちを抜けてすいっと曲がる。この人の運転は、なんていうか、ほんと危なげなくて要領がいい。免許ないし教習所も行ったことないからわからんけど、きっと俺はこんなふうにさらさら車を動かせない気がする。
 そんなことを言ったら、「そおかなー?」と木下さんが首をかしげた。
「まあ、ノープロブレムだよ。お前の代わりに俺が運転すりゃいんだから」
「俺が上達するまで?」
「でなくても。お前が運転したくねーなーと思ったときはいつでも代行しますですよー」
「なんでですか。いつも俺ばっかり運転してもらってばかりで申し訳ないじゃないですか」
「そんなん気にすんなよ」
「でも」
「デモもストもボイコットもございません」
「いいんですかずっと俺のパシリで」
「いいよ。好きだから」
「……はい?」
「運転が」
「……はい」
「いや、ちがうわ」
「……はい?」
「運転は好きだけど、お前を乗せてんのが特に楽しいんだなあ」
「……はい」
 どーしてそーゆう、ギョッとするよーなこと言うかな……。

20150606
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