第19話 ビーティング・ハート beating heart 1
「よ。病み上がり」
俺がバイト先に出勤すると、ちょうど職員通用口で木下さんが谷村さんに話しかけられているところに出くわした。今日は木下さんも谷村さんも、俺と同じで早番だったようだ。
ふたりは俺より前方を歩いていて、こっちに気づいてない。
「突然休んで迷惑かけたな」
「それよりさ、ちゃんと来ただろあの子」
「お前の差し金どおりにな」
「人聞きの悪い。同期の厚情に感謝の言葉はないのか」
「ない」
「お。なにかあった?」
「べぇっつにー?」
木下さんの顔が見えなかったが、ぷーっとほっぺたを膨らませている表情が容易に想像ついた。いい歳して、なにをそんなに谷村さん相手にむくれているのか。
と、谷村さんが背後の俺を発見した。おはよう、と声をかけてくれたので、俺も返す。木下さんは頬袋にどんぐりをパンパンに詰めこんだシマリスみたいな顔で、ぷいとそっぽを向いた。
「桜田君、コイツとけんかでもしたの?」
「いや……ちがうと思うんですけど」
俺が木下さんの家に見舞いに行った日。木下さんが眠りについたら帰ろうと考えていたのに、結局、木下さんはなかなか寝ようとしてくれなかった。最終的に、「ちゃらららん♪」とWindowsXPがシャットダウンする音を口ずさんだきりだんまりを決めこんだ。シャットダウンどころか、スリープすらしてない狸寝入りだ。声をかけても揺さぶってもそれを頑固に続けるもんだから、俺は諦めて帰ったんだ。つまりは、「木下さんが眠るまでそばにいる」という最初の約束を破ったことになってしまった。だから腹を立てているんだろうか?
「どうしたんですか、木下さん。俺になにか怒ってるんですよね? だったら谷村さんにまでそーゆう態度取らなくたって」
「お前ずいぶん谷村の肩もつよな」
久々に利いた口がソレですか。
「俺たちふたりのことに、なんで他人を巻きこむんです」
こっちに向き直った木下さんの片眉がぴく、と動いた。
「そのほう、俺たちふたり、と申したな」
「え? はい申しましたよ」
「俺たちふたり、だけ?」
「はい。そうですね」
眉がまたもぴくりと動く。いったい、なにが言いたいんだろ?
「ならば、わしの不機嫌はお前ひとりのみに向けてよいのか?」
「それは、いやです。怒りを鎮めてほしいです」
「よかろう」
重々しく宣告を下すや、木下さんは、おもむろに両腕を自分の顔の前でクロスさせ、下ろした。いつものへらへら顔に戻っている。なにそのジェスチャー、大映の「大魔神」かよ。って、二十代でそのネタですか。わかっちゃう俺も二十歳だけど。
「さーて、仕事仕事っと」
足取り軽くすたすたと歩いていく木下さんの背中に、谷村さんが言った。
「ほんと可愛いよな、天然小悪魔って」
木下さんが振り返った。「ふふん、挑発には乗らないもんねー」とにまにま笑う。この一連の流れの意味が、俺にはさっぱりわからない。