ふるふる図書館


第18話 グンナイ・ベイビー good night baby 3



「わかりました。帰ります」
 俺は立ち上がった。じっとベッドに目をこらしたが、木下さんは微動だにしない。
 このまま去ってしまったら、次に顔を合わせたときに気づまりなんじゃないか。
 ずいぶん迷ったけれど、俺は口をひらいた。
「ゆっくり休んでくださいね。シフトがまた一緒になるの、楽しみにしてますから」
 リアクションは感じられない。
「怒られるかもしれないけど、俺、ちょっと嬉しかった。いつも元気一杯な木下さんが、俺にそういう弱ったところを見せてくれて、なんか安心しました。木下さんは見せたくなかったから不本意だと思いますけど。俺、いつも木下さんに甘えてるから、こーゆーときくらい、たまには甘えてほしいです。……って、生意気ですよね。俺が頼りないだけなのに」
 やっぱりリアクションはない。でも黙れとも言われないから、聞いてくれているのだろう(たぶん)。
「今日、ほんとは、ここに来るつもりなかった。体調悪いときに押しかけたら迷惑だろうから、なんて思って、見舞いに行かないことにしてたんです。だけど実際は、『俺には風邪だって教えてくれなかった』ってへこんでたのかもしれない。木下さんは、俺にうつさないように気をつかってくれてたのに、見当ちがいなこと考えてました。
 俺、木下さんに頼ってもらえるように、そーゆー人間になれるようにがんばりますから。ひとりで抱えないでほしいです」
 相変わらず、ベッドの上はしんと静まり返っている。つねづね、木下さんはもっと黙っていたらいいのにと思っているが、勝手なものでいざ沈黙を守られていると不安になる。眠ったのかもしれない。俺はあたりをつけて、木下さんの鼻と口もとのあたりに手のひらを近づけた。
「や、生きてるから。俺、回遊魚みたいにしゃべるのやめると死んじゃう芸人とかじゃないから」
 木下さんの苦笑い。あ、まちがえた。これ、呼吸してるかどうかを確かめる方法だった。まったくもって雰囲気だいなし!
 顔にかざされた俺の手を、木下さんがつかんだ。
「お前を信じてないってんじゃないんだ。でも誤解してるんだったら、俺の態度のせいだったんだな。悪かった」
「なんで木下さんが謝るんですか。俺が単にガキなせいです。だから……」
 先を続けようとして一瞬つまった。木下さんは、俺なんかよりも若い子が好きなんだった。じゃあ、俺、この先を言ったら駄目だ……。
 いや。俺はそれでも、木下さんに信頼されたい。ひとりでメシも食わずに病床に伏せっていられたくない。だから。
「ちゃんと、しっかりした大人になります」
 木下さんの支えになれるように。
 笑う気配とともに、木下さんが俺の手を握り直した。握手かな、と思ったけど、なんかちがう。俺の指と指の間に、木下さんの指が入って、組み合わさってる。えっ、ちょっ、このつなぎかたって……?
 俺とちがって木下さんは他人とのスキンシップは日常茶飯事なんだ、特別な意味なんかない。動揺する理由もない。な、なにか話を続けよう。可及的すみやかに。うん。えーっと。
「俺、谷村さんに感謝しなきゃ」
「は?」
「谷村さんがすすめてくれたから、俺、今日思い切ってここに来れたんです。やさしいし大人ですよねえ。けっこうイケメンだし、バイトの子にもファンが多いし」
「あっ、そう」
 木下さんはぽいっと俺の手を離し、上掛けをかぶった。また出たよ、必殺手のひら返しの術。いったい全体なんだってんだ。
「どうしたんですか、いきなり?」
「この場面でそーゆーこと言う? 他のヤツの話する?」
「はい? 俺がわかるように説明してくださいよ、俺のこと信じてないわけじゃないって言ったじゃないですか」
「お前にすべてを話すとは言ってねーし」
「ええーっ」
 木下さんは頑として口を割らないのであった。俺が認めてもらえるためには、まだまだ道のりは遠そうなことだなあ。

20150112
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